| ホノルル点描 |
| 第 16 回 :日本人が設立した「クアキニ・メディカル・センター」 |
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画: 西川幸夫 |
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古くから「日本人病院」の愛称で親しまれ、今日ではハワイ全州民
に解放されて、あらゆる医療に当たっている「クアキニ・ メディカ ル・センター」は、もともと草分け時代のハワイ在留日本人のために建てられた慈善病院だった。 |
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十九世紀後半、ハワイは砂糖キビ・プランテーション全盛期であっ
た。 七万人もの日本人がプランテーションの労働力にな るべく太平 洋を越えてハワイへ移民してきた。 この時代、ハワイ住民の生活支 援は民族別のチャリティ団体が行っていた。 日系のチャリティ団体 「ジャパニーズ・ベネヴォレント・ソサイエティ」は、ハワイ在住 の病気や貧困、事故などで困っている 日本人を援助する慈善団体と して設立された。 これが後のクアキニ・メディカル・センターの先駆けとなる。 |
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一八九九年の冬、ペストがチャイナタウンを襲った。
翌年の一九〇
〇年一月、感染地区は立ち入り禁止となり、さらなる 広がりを防ぐため家屋が焼かれた。 その際飛火し、何千もの日本人移民が家を失 ってしまった。 「ジャパニーズ・ベネヴォ レント・ソサエティ」は被害者のための緊急救済活動をすると同時に病院を建てる計画を立て始めた。 |
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募金で集まった資金で、カパラマのサウスキング・ストリートに木造二階建ての「ジャパニーズ・チャリティ・ホスピタル」を設立 した。 その後患者数が増えるに従って何度か移動し、現在の地、クア キニ・ストリートに移転したのは一九一七年のことで ある。 そして、 病院名も「ジャパニーズ・ホスピタル」とした。 |
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一九三〇年代に入り、日本人プランテーション労働者たちは定年を迎え始めた。その中には未婚の男性も多く、彼らには 世話をしてく れる家族がない。 そのような年配の男性たちに快適な生活環境を与えるため、地域の寄付により病院内に 「ジャパニーズ・ホーム・オ ブ・ハワイ」が建てられた。 それが現在の「クアキニ・ホーム」である。 |
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日本人移民により生まれた病院は、戦時中は第一四七オアフ一般病院と呼ばれていたが、戦後になって、そして「クアキニ ・ホスピタ ル」と改名され、日系人だけでなく、地域全体にメディカルケアを提供するようになる。その後も拡張し続け一九 七五年に「クアキニ・メディカル・センター」と再度改名して現在に至る。 |
| 文:阿部 道子 |
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