バックナンバー: 2005年 11月 15日
● トップ: 現地取材 --- 独自性を模索する沖縄
             脚光を浴びている観光と物産のトップに聞く
  ・ 沿線一帯が次々に開発され、都市景観と機能が変化しつつあります
  ・ ビーチリゾートからスパリゾートをめざします
  ・ 観光客の行動パターンが大きく変わってきています
  ・ 県外への物産販売は、島内経済への波及効果が大きい
  ・ 産学官連携で新製品開発をめざし研究センターを設置しました
  ・ 話題の人 話題の店 「醗酵ウコン」でウコンブームをつくった
  ・ 話題の人 話題の店 大人気のTシャツ「海人」
     - 漢字のTシャツを売り出す
     - 石垣島から沖縄本島へ進出

● ハワイは今
 ・ 空きビン・缶の収集率が五十二%
 ・ オアフ島の不動産売り上げ六十億ドルに到達?前年比で三〇%アップ?
 ・ アロハ スタジアム禁酒案12月中旬に公聴会
 ・ リングル州知事来年の選挙で再選確実
 ・ エンジンをかけた車に幼児を残し用足しは厳禁 来議会で立法化
 ・ 医師の医療ミス 謝罪訴訟免除の立法化を弁護士協会模索
● 英字紙 アドバタイザーの投書欄に見るホノルル市民の生活と意見
 ・ 汚れた道路
 ・ タイヤがパンクした時、四人の男性が助けてくれました
 ・ ゴミ処理問題 市長が日本から学んだこと
 ・ 安全を優先してくれた市長に感謝
 ・ 車の盗難常識のない親を罰せよ
 ・ 剰余金、消費税の減税は大きな利益をもたらす州の剰余金をどうすべきか?
 ・ 墓地と劇場の清掃に感謝
● NEWS LETTER FROM ハワイ州知事 リンダ・リングル

バックナンバー: 2005年 11月 15日
● トップ: 現地取材 --- 独自性を模索する沖縄
     脚光を浴びている観光と物産のトップに聞く
  ・ 沿線一帯が次々に開発され、都市景観と機能が変化しつつあります
  ・ ビーチリゾートからスパリゾートをめざします
  ・ 観光客の行動パターンが大きく変わってきています
  ・ 県外への物産販売は、島内経済への波及効果が大きい
  ・ 産学官連携で新製品開発をめざし研究センターを設置しました
  ・ 話題の人 話題の店 「醗酵ウコン」でウコンブームをつくった
  ・ 話題の人 話題の店 大人気のTシャツ「海人」
     - 漢字のTシャツを売り出す
     - 石垣島から沖縄本島へ進出
 
今、沖縄県は普天間基地に代わる県内の移転先をめぐってもめている。 日米の政府により名護市のキャンプ・
シュワブの沿岸が決定したが、「当初から県外 への移転は全く考えられてもいない」とする地元民の反発も強
く、すんなりと行きそうにない。
 
日本政府はこれまでも基地を押し付けている弱味と地元民への懐柔策として、海洋博覧会、サミットなどの事
業を 窒カて道路整備などに多額の開発支援を行ってきたが、今後ともこの額は増え続けるに違いない。 これ
らの支援と沖縄政財界の努力により、沖縄は大きく変貌しつつある。 今回は、観光・物産に焦点を当ててその
現状を取材した。
 
那覇市の景観が大きく変わりつつある。 沖縄の玄関口那覇空港。九九年五月に供用開始されたコンテンポラ
リーなデザインの国内線ターミナルビルの搭乗ロビーを出ると、連絡道路で結ばれた立体駐車場、そしてゆる
やかなカーブで伸 びるモノレール。まるで未来都市のようである。
 
モノレールは空港から常緑の奥武山公園を経て那覇市街に入る。 ビル群の中での威容は県庁舎、国際通り
につながる牧志駅を過ぎるとやがておもろまち駅。 ここは東洋一の規模を誇るDFSギャラリアもある大型ショ
ッピングエリアであり、高層マンションが立ち並ぶ沖縄の「ヒルズ」エリアでもある。 終着駅は世界遺産に指定
された首里城に近い首里駅になっている。
 
沖縄を訪れる観光客数は年間五百万人余り。 バブル経済崩壊後の日本の観光市 場が低迷を続ける中で、
沖縄観光だけは依然伸び続けている。 九月に行なわれた時事通信の調査によれば「住んでみたい県」のト
ップは沖縄県。 日本交通公社の調査でも「長期滞在したい土地」の第一位は沖縄である(ハワイは長野県に
次いで第三位)。 沖縄の人気は単なるブームを超えたものであるようだ。
 
これら沖縄の「好感度」を支える沖縄都市モノレール社の大谷直彦常務取締役、沖縄観光コンベンションビュ
ーロー洲鎌孝専務理事、そして沖縄大学人文学部の松鷹彰弘教授(観光論)の各氏に聞いた。
 
  ・ 沿線一帯が次々に開発され、都市景観と機能が変化しつつあります
     --- 沖縄都市モノレール社 大谷直彦 常務
二〇〇三年八月十日、那覇市にモノレール(愛称「ゆいレール」)が開通した。 沖縄戦で破壊された路面電車
や軽便鉄道以来、約六十年ぶりの沖縄の軌道交通の復活である。 モノレールは那覇空港と首里間(十五駅)
全長十三・一キロを 所要時間二十七分で結ぶ。 開業までの経緯や利用状況などを沖縄都市モノレー ル社・
大谷直彦常務取締役に訊いた。
 
――都市モノレール開業に至る議論や経緯を聞かせてください。
大谷――沖縄県の人口は約百三十万人で、うち三十万人は那覇市に集中しています。沖縄戦で軌道交通
が破壊されたので、陸上交通機関はバスを含めて自動車のみで、那覇市内は慢性的に交通渋滞が発生して
いました。 こうしたなかでモノレールの必要性が論じられ始めました。 しかし開業までに は長い年月がかかりまし
た。 一つは採算性に対する疑問です。 
「軌道交通に巨額の建設費用をかけて本当に採算がとれるか」との疑問に対する的確な回答が見出せませ
んでした。 もう一つはバスの問題です。 モノレールが既存のバス事業に大きな影響を与え ることが予想されま
した。 様々な議論の結果、「バス活性化資金」の名で補償金を支払うことで決着しましたが、バスに関する問
題は現在も存在しています。
 
――軌道交通の中でモノレールが選ばれた理由は?
大谷――沖縄県では用地買収は困難な問題です。空港や米軍基地の土地の多くは個人が保有しており、
強制的に借り上げられているケースが多い。 このため用地買収に対して沖縄はセンシティブです。 モノレール
は道路上に建設されますので用地買収の必要がありません。 また、国道や県道の上にレールを建設すれば
費用の一部を道路特定財源で賄うことができます。 これも大きなメリットでした。
 
――建設資金はどれくらいで、どのように調達されたのですか?
大谷――総工費約千百億円のうち柱、レール、駅、変電所などインフラに約 七百億円、会社設備に四百
億円の費用がかかりました。これとは別に関連す る道路工事が四百億円、これが道路特別財源により建
設された部分です。 工期は九六年十一月の着工から約七年間でした。 現在の資本金は七十三億円。 
沖縄県と那覇市が各々三四%を出資、沖縄振興 開発公庫が一四%、残りは沖縄電力、琉球銀行、沖
縄銀行など地元優良企業五十社が出資しています。
 
――利用者数や収支状況はどうですか?
大谷――順調に推移しています。 開業当初は「珍しい」ということもあり多 くの利用者ありました。 その後落
ち着いてきて、現在では一日当たり三万三 千人の方々に利用していただいております。 今後は年毎に一日
当たり千人増加して、二〇一一年には一日平均四万人となり、以後は頭打ちになると予測しています。
収支では、現在減価償却後は大赤字ですがこれは想定内、償却前では黒字になっています。 また、開業か
ら十一年目に単年度黒字、二十七年目には累積黒字にするとの計画をもっていますが、黒字化までにはもう
少しかかるかも しれません。
モノレールは都市交通という側面に加えて観光線、空港アクセス線という三 つの顔を持っています。 実際の
利用者の内訳は観光客が約三〇%、通勤・通 学が七〇%を占めていて、地元の人が買い物などで利用す
るケースは多くあ りません。 モノレールの建設に当たり、駅から五百メートルを駅勢圏ととら えて、この圏内
に住む人びとが潜在的利用者だと考えました。
しかし実際には周囲百メートルに住む人ですらあまり利用しないことがわか りました。 那覇の人は歩かない、
それだけ自動車社会が浸透しているということでしょう。 交通渋滞の解消のためにも定期券利用以外の地元
の利用をどう掘り起こすかが課題です。
また、バス会社は必ずしも協力的ではありません。 当初の合意ではモノレールは幹線、バスはフィーダー輸
送というように機能分担をすることになっていました。 しかし、バス四社は現在も独自の行動をとっており、バ
ス路線の再編もほとんどなく、モノレール駅とバスの接続も良好ではありません。 バス問題は今後の課題です。
 
――営業活動はどのようにやっていますか?
大谷――湖城英知社長を先頭に積極的かつ地道に行なっています。 これまでは通勤・通学にモノレールを
利用するよう働きかけてきましたが、現在、重 要視しているのは修学旅行です。 沖縄には年間四十万人の
修学旅行生が来ますが、旅行行程のなかにモノレールを利用するよう要請をしています。
 
――今後の路線延長などの予定は?
大谷――あります。安定した経営のためには全長三十キロが必要です。 様々な計画がありますが、現路
線での実績を踏まえる必要があります。 まずは高速道路とのドッキングが可能になる形で延長して本島中
南部からの利用者を 獲得したいと考えています。 また、沿線一帯が次々に開発されて、那覇市の都市景
観・機能が変化しつつ あります。 モノレールという単なる交通機関の枠組みを超えた効果も大きいと考えて
います。
 
  ・ ビーチリゾートからスパリゾートをめざします
     --- (財)沖縄観光コンベンションビューロー 洲鎌孝 常務理事
沖縄の基幹産業は、言うまでもなく、観光産業である。 沖縄の本土復帰(一九七二年)に際して日本
政府は「沖縄を国民の保養基地とする」との方針を打ち出し様々な支援を行ない、国内の観光企業が
こぞってこれに追従してきた。
 
沖縄を訪れる観光客数は復帰年の四十四万人が、昨年は五百十五万人、これによる観光収入は約
四千億円となり、県外からの収入では産業として第一位 になっている。 沖縄における県レベルの観光
行政を実務面で取り仕切る(財)沖縄観光コン ベンションビューロー(OCVB)の洲鎌孝常務理事に訊
いた。
 
――OCVBの組織と役割について説明してください。
洲鎌――OCVBは沖縄県の外郭団体です。運営財源は大部分が県の予算からです。 平成六年に
観光連盟と観光開発公社が合併して沖縄ビジターズビューロー(HVB)となり、さらに平成八年には沖縄
コンベンションセンターと沖縄コンベンションビューローを吸収合併して現在の組織になりました。
各市町村には観光協会がありますが、OCVBは全県的な取りまとめ業務を 行なっています。 職員数は
正規、臨時合わせて百十五人。 主要業務は観光客 誘致、受け入れ体制の整備、観光プロモーション
などです。
 
――最近の沖縄観光の動向はどのようですか?
洲鎌――昨年の観光客数は五百十五万人、今年の見込みは五百四十万人、引 き続き上昇気流に
あります。 これはしばらく続くでしょう。 日本人にとって観光は生活の一部になっていますし、沖縄でのスポ
ーツ、音楽、健康食品な ど、いわゆる沖縄ブランドには根強い人気があります。
本土各都市は戦後、画一的に開発されに成長してきました。 沖縄は遅れて開発が始まりましたが、その
中にスローライフなどの伝統は生かされました。 これが好感されています。 二〇一一年の観光客数は六
百五十万人が目標、これは現在のハワイ州の観光客数に匹敵しますね。
 
――沖縄観光に問題点はないのですか?
洲鎌――海外観光市場の導入が立ち遅れています。 外国からの観光客は全体の二%にすぎず、それも
ほとんどが距離的に近い台湾からです。 また、五十 歳以上の観光客数が落ち込んでいます。 五十歳代
を取り戻すためのキーワー ドは「健康と文化」。
久米島のバーデンハウス方式の海洋療法が成功していますので、本島でも取 り入れることを検討してい
ます。 最近は健康診断のために、あるいは花粉症 を避けて沖縄に来られる方々も増えていますし、沖縄
への移住に対する問い 合わせも増加していますのでこれも期待をしています。
海外からの観光客の拡大対策では、現在、言語面の対応が充分ではありません。 交通標識に中国語
や韓国語が必要だし、外国語が堪能な観光ガイドも不足しています。
 
――那覇市を中心にしてホテル建設ブームのようですが。
洲鎌――一九七五年開催の沖縄国際海洋博覧会前に次ぐブームだと言われています。 このため新旧ホ
テルのバッティングが起こっています。 誘客を旅行 社に依存する度合いの強い既存のホテルは薄利多売
が強いられてきました。 新規ホテルの予約はインターネット予約中心です。
 
――今後の沖縄観光事業の取り組はどうなっていますか。
洲鎌――「ビーチリゾート」から「スパリゾート」への転換を考えています。 夏中心のビーチリゾートに比べて、
スパリゾートはオールシーズン楽しめますからね。 また、来年度から高齢者対応のリゾート地についての調
査研究がはじまります。 国際観光では中国市場が重要ですが、中国でも沖縄の自然に注目しているよう
です。
 
  ・ 観光客の行動パターンが大きく変わってきています
    --- 沖縄大学人文学部教授 松鷹彰弘
「観光立県」沖縄県には、琉球、沖縄、名桜の三大学に観光学科または観光 講座がある。 沖縄大学
で観光を教える、前本紙記者で沖縄大学人文学部 松鷹彰弘教授の大学院ゼミに参加して沖縄観光
のあれこれを訊ねた。
 
――沖縄観光は本土復帰以降急成長したのですね。
松鷹――沖縄が本土に復帰した一九七二年は高度経済成長時代の真っ只中、日本では一九七〇年
の大阪万博を契機に「観光の大衆化」(マスツーリズム)が進んでいました。 旺盛な観光需要と政府の
沖縄政策(後述)に支えられて、沖縄観光は以後量的に目覚しく成長しました。
しかし、沖縄観光の歴史というならば明治中頃に遡る必要があります。 日本の近代観光(ツーリズム)は
修学旅行に始まります。 明治二十一(一八八八) 年、文部大臣は「全国の師範学校に修学旅行導入」
の訓令を出します。
沖縄でも五年後の明治二十六(一八九三)年九月、沖縄師範学校の生徒が九 州への修学旅行を行
い、翌年には熊本県師範学校の生徒が沖縄へ修学旅行にやってきます。 修学旅行はその後台湾や上
海など海外にも行なわれるようになります。
一般の日本人の(近代)観光は、昭和初期に本格的になりますが、沖縄―阪 神航路には昭和十二(一
九三七)年、大阪商船会社が「首里丸」「波の上丸」 などの優秀船を導入し、太平洋戦争まで沖縄観
光団を送り込みます。
戦後はまず、米国政府のマーシャルプラン政策により米国からの母国訪問団 が来訪しました。 ハワイか
らは、ご承知のように、多数の沖縄系米国人が訪 れて貴重なドルを送ってくれた。 日本の復興が一段
落すると沖縄戦犠牲者の 遺族や宗教団体が慰霊のためにやってきます。
この頃の記録を見ると観光業者には「自主」「自立」の精神と「沖縄を国際 的な観光地にしよう」との気
概が満ち溢れています。 沖縄観光は以上のよう な導入期を経て一九七二(昭和四十七)年の本土復
帰を迎えます。
 
――沖縄の本土復帰の年に四十四万人だった観光客数が昨年(二〇〇四年) には五百十五万人、
三十年間で十二倍にも成長した主因はなんなのでしょう。
松鷹――復帰に際し日本政府は「沖縄を日本人の保養基地にする」との方針 打ち出し、一九七五年
開催の沖縄国際海洋博覧会に向けて空港、港湾、道路などの観光インフラ整備を行ないました。 併行
して国内の観光企業は沖縄にハード、ソフトの観光開発を積極的に行ないます。
七十年代には周遊観光、八十年代にはビーチリゾート、九十年代にはコンベ ンション投資が行なわれま
した。 沖縄には優れた自然・文化観光資源があり ますが、加えて政府・自治体など公的機関及びわが
国を代表する観光企業に よる「オール ジャパン・ツーリズム」とでも称するような開発主体による積極的
開発が今日の繁栄につながっています。
 
――沖縄観光の現状をどのように捉えていますか?
松鷹――日本の観光市場はバブル経済崩壊で九十年代初頭に三割も減少し、 その後停滞しています。
沖縄観光も九十年代前半には低迷し成熟期に入りました。 しかし九十年代後半になって再び成長が始
まりました。この要因 は、日本人の価値観の変化と航空自由化及びインターネットの普及です。
バブル経済崩壊後の長い不況の中で、日本人の志向は「モノの豊かさから 心の豊かさ」に変わりました。
観光でも、仕事に疲れた心身を観光ビジネスが提供するサービスを購入して、短時間に効率よく回復する
という「レクリエーション」型から日常生活を離れたゆったりとした時間・空間に心 身を委ねるという「ヴァカンス」
型の比重が増加しています。
沖縄にはそのような需要に応える時間・空間がありました。また、九十年 代後半の航空自由化政策によ
り、利用者は割引航空券を航空会社から直接購入できるようになりました。
三分の二を占める沖縄へのリピーターは航空・宿泊予約を、旅行会社でな くインターネットで行い、沖縄
での交通は、タクシーや観光バスでなくレンタカーを利用、観光業界推奨の観光スポットを巡るのではな
く、各々お好みの場所に赴きます。食事は、ホテルのレストランでなく居酒屋、カフ ェ、ファミリーレストラン。
バカンス発祥地フランスで見られるような 「観光客の(従来型)観光施設離れ」が沖縄でも進んでいます。
那覇市内には宿泊特化型ホテルやウィークリーマンションの建設が爆発的 に行なわれる一方で、既存の
ホテルやゴルフ場は経営危機に陥り、米国の投資会社に買収されるところも出てきています。
――倒産した東急ホテル那覇を県内の病院が買収して老人保養施設にする そうですが、気候がよく長
寿で知られる沖縄で余生を送ろうとする人も増えるのでは?
松鷹――老人施設には特別養護老人ホーム、老人保健施設、グループホー ムなどがありますが、人口
当たりの施設数は全国でトップクラスです。 沖縄のおじい、おばあには元気なイメージがありますが、老人
施設に入っている人も多いのです。日本の老人には、車椅子で社会参加するなど積極的な意識変化が
見られます。
ただ、これまで暮らした土地の文化や友人を離れて沖縄に移住するかどう か。年間の何ヶ月かを沖縄の
ウィークリーマンションなどで過ごす退職者は増加していますが。
――沖縄観光の課題はなんでしょうか?
松鷹――最大の課題は中国など東アジア海外観光市場からの誘客です。前 述のように沖縄は復帰後
日本人の保養地として開発が進められてきました。 外貨獲得のために政府により国際観光地として開発
されたバリ島プーケ ット島とは出発点が異なります。現在では海外からの観光客は全体の二%程度、そ
れも近接の台湾からがほとんどです。
日本を訪れる外国人旅行者数は年間約六百万人、世界第三十三位という低 位です。このため小泉首
相は「訪日旅行者倍増計画」を打ち出し、全国各地で海外観光市場への取り組みが始まっています。
 だが、沖縄ではこれまで国内観光を優先させてきたためマイナスからのスタートです。
那覇国際空港を発着する国際便は中国東方航空など外国の航空会社ばかり。 日本の航空会社は全
部撤退をしてしまいました。 昨年開業したDFSギャ ラリアも国際線旅客は利用できないという珍しい免
税店です。 沖縄の観光 資源も基本的に日本人の志向に合ったものであり、沖縄には世界的ブランドホ
テルが軒を連ねるリゾートタウンがありません。
沖縄県ではソウルや上海に事務所を設けて観光PRをはかっていますが、道遠しというのが現状でしょう。
既存の観光施設の業績回復は海外市場の導入如何にかかっています。ヴァカンスの本家本元のフランス
は、世界で最も外国人観光客が多い国でもあります。 観光客とヴァカンス客でにぎわう沖縄を夢見て、さ
さやかながら努力を重ねています。
 
  ・ 県外への物産販売は、島内経済への波及効果が大きい
    --- 沖縄物産企業連合 宮城弘岩社長
――宮城さんは、沖縄物産の振興に多大な実績を上げてこられたと聞きま したが、この会社はどのよう
な仕事をされているのですか?
宮城――この会社は沖縄民間の資本で、四年前に発足したものです。ここ を本社に東京、大阪、名古屋、
福岡、台北に営業所を、神戸市には沖縄物産館としての琉球ワールドを持ち、沖縄物産の専門店を千葉、
東京、神奈 川、名古屋、大阪など十四の直営ショップを経営しています。 社員は二百六十名、年商は五
十三億円に達しています。
私はある機械ロボットメーカーのヨーロッパ担当だったのですが、二十二 年前に沖縄産業振興のために県や
県工業連合会から招聘されたのです。 帰沖後の八年間は、同沖縄工業連合会で製造業振興を手掛け
ていたのですが、市場を県外に展開しなければ発展はないと思い、十二年前に第三セクター の「沖縄物産
公社」を設立し、まず沖縄物産の振興に取り組みました。
 
――当時はどんな状態でしたか?
宮城――沖縄は零細企業が多く、十人以下の企業が八二%を占めていると ころで、沖縄物産も県内で
の消費がほとんどでした。産業として伸ばして いくためには、県内では市場は狭すぎ、県外に販路を求
めなくてはというのが私の目標でした。
当時のメーカー数は二百社少し。 どこも規模が小さいものですから独自での販売力がない。そのため物産
公社が日本各地で次々に「物産展」を開き、店舗を開き、卸をやり、輸出にも力を入れる、ということを三年
ごとに開拓していったのです。
公社に在籍中に企業千二百数十社、伸び率年平均で二五%、品数にして五 千種と順調に拡大してきま
した。 全国の物産振興では大分県、北海道、岩手県、長崎県がよく知られていますが、沖縄はゼロから
初めて七年目の平成十二年(二〇〇〇年)には全国トップの県になりました。
 
――公社を辞められて、現在の会社を創られた時は?
宮城――私は物産と言うのは、飲料とか食べ物や民芸品の側面だけではな く、「光」、「音」、「薫り」、そ
して「物」の四要素でコンセプト化で きると考えています。 光は、観光がらみの癒しであり、音は、琉球の
唄と踊り三線、りは亜熱帯特有のフルーツ類、ものは胃袋に入る飲食料と化 粧品や民芸品等です。
これらを押し進めていくためには、公社の形態ではなく、自由な発想と行動が出来る民間企業がいいと考
えたのです。私が抜けた後の公社は、これまでの路線を踏襲していますし、私はさらに幅を広げた事業を
進めています。
例えば、この五年間で新しい化粧品の会社が二十二社も生まれています。 また、医薬品なども開発され
ています。年間百社余りが新たに生まれて、今や年間九百五十億円の売り上げになっています。
当社は製造業のメンバー社員を私どもがお預かり、リサーチから販売の方法を教えるという仕組みです。
その派遣社員の給与は、その会社も私の会社からも払いません。 自分で自社製品を販売して稼ぐのです。
ですから本人も真剣ですし、その 製造業本社には消費者からの注文や苦情、要望も直接伝えられ、品質
も向上していくシステムです。
 
――これだけ品数、数量が増えると、原材料供給に問題はありませんか?
宮城――今、これは全国的ですが公共工事が減っています。この小さな沖縄ですが、土木建設会社が製
造業よりも多い五千社もあるんですよ。 その力を農業や養殖事業に進出してもらえば、原料生産に大きな
力になると思っています。
私が帰沖以来手掛けて苦しんできた製造業産業の振興よって他のあらゆる 産業に波及し拡大拡張が興
っています。 農家もメーカーも卸も流通業も印刷や段ボール業も、特に機械産業分野も潤っているのです。
直接雇用人数もすごいものでほぼ六千人、外部から稼いだ九百五十億円のお金が、この島で何回転もす
るのですからその効果は非常に大きいものです。
 
  ・ 産学官連携で新製品開発をめざし研究センターを設置しました
     --- 沖縄県観光商工部 新産業振興課技術支援班班長 具志堅 敏氏
――新産業振興課というのはどんな部門を担当されているのですか。
具志堅――私どもは健康食品を担当しています。健康食品メーカー開発促 進支援と品質表示の相談な
どが主なものです。 もっとも多いのが海藻と黒糖類です。
黒糖はサトウキビの絞り汁をろ過して煮詰めたものです。黒糖にはミネラ ルやビタミンが含まれています。
この部門が二百六十九件。これは一年半前の統計ですからもう少し増えています。
ウコン類は十年前から順調に成長しています。もろみ酢・黒酢は四〜五年前から脚光を浴びてきたもので、
今最も伸びているものです。 もろみ酢とは、沖縄の特産品である「泡盛」や焼酎のもろみからできた天然醸
造酢です。
原料に麹菌を加え、さらに酵母で発酵させてからアルコール分を取り除いてできるもろに酢には、その過程
で生成されるクエン酸やアミノ酸を豊富に含んでいます。 一般の食酢は、酸味の主成分が酢酸なのに対し、
もろみ酢は、クエン酸が主成分なので、刺激が少ない、さわやかな飲みやすい酸味が特徴です。
 
――県の健康食品の売上がすごく伸びていますね。
具志堅――ええ、十年前の平成七年は二十四億円位、毎年三〇〜四〇%の 伸びで、昨年は二百億円
を越えました。 これからの課題は、原料の安定供給と新製品開発でしょう。
 
――新製品開発に対して県の支援策は?
具志堅――いろいろな情報を提供する他、二年前にうるま市に「沖縄健康 バイオテクノロジー研究センター」
を設置しました。 ここは産学官の連携により研究・開発を行うセンターで、各メーカーの人がここで研究出来る
ものです。中小企業では購入出来ない各種機器・分析器を備えています。 その成果が少しずつですが、出
始めています。
 
  ・ 話題の人 話題の店 「醗酵ウコン」でウコンブームをつくった
     --- (株)琉球バイオリソース開発
健康食品ブームの中で、〈ウコン〉が脚光を浴びている。 各メーカーが競 い合い錠剤、パウダー、ドリンクと
して店頭に並んでいる。 ハワイでも栽培しているところがあり、日本からの製品を含め数種が販売されてい
るが、地元沖縄で評判が高いのが、琉球バイオリソース開発?の「醗酵ウコン」の製品の数々。 沖縄本島
の北地区、本部町の工場を訪ね同社の稲福直・取締役開発部長にインタビューした。
 
―― まずウコンの効用を教えて下さい。
稲福―― ウコンは熱帯アジアの太陽が育てた植物です。原産地はインドといわれ、東南アジアを中心に広
く栽培されています。 高温多湿を好み、成長すると高さ六十センチほどに伸び、秋には葉につつまれるように
して白いきれいな花を咲かせます。
地中にはショウガに似たゴツゴツした根茎があり、その中に薬効成分やミネラルがギッシリ詰まっています。
この滋養分豊かな根茎をアジアの国々ではさまざまに活用してきました。
また、ウコンはターメリックとも言い、インドではカレー粉の材料としては 欠かせません。 中国では漢方薬、
東南アジアでは止血剤・駆虫剤、健胃剤などとしても使われてきました。 また黄色の色素成分を多く含
むため、食品の着色料としても、とても重宝がられてきた植物です。
ウコンについては、ラット・モルモット・サルを使った安全性試験が行われており、その安全性が報告されて
います。 日本にウコンがもたらされたのは室町時代といわれます。 その後江戸時代の前期になると、広く
海外と交易をしていた琉球王国を通じて、薩摩、堺という経路で各地に広まりました。 当時は観賞用や
生薬として、また染織の材料として大阪方面を中心に、かなりの需要があり高額で取引されました。
現在、日本では沖縄県が主なウコンの産地となっています。 冬でも暖かな気候が栽培に適し、亜熱帯の
強烈な日射しと隆起サンゴ礁の上に広がるカルシ ウム分豊かな土が品質のよいウコンを育てます。 今、
この沖縄産ウコンのも たらす健康への効果が、多くの人の関心の的となっているのです。
琉球王朝時代から独自の文化を築いてきた沖縄では、ウコンは「うっちん」と方言で呼ばれ民間薬として受
け継がれてきました。 胃が弱ってきた場合の健胃薬として、また結核や喘息の治療にも使われてきました。
ほかにも薬草の手引書によれば、蓄のう症、胆のう、肺炎、関節炎、浮腫などにも薬効があるとされています。
 
お酒を飲む人たちの間では、宴会の前にウコンを飲んでおけば悪酔いをしな いといったことも広く知られてい
ます。 現在でも、健康維持のために、自分 の家の庭で栽培したウコンを、薄くスライスして乾燥させ、煮出し
て毎食後お茶がわりに飲んでいる人もいるほどです。
日本でも江戸時代には肝臓や胃腸病のくすりとして、また、心臓にもよい効果のある生薬として知られてい
ました。 ところが、明治になって西洋医学が導入されたため、長い間かえりみられなくなってしまったのです。
この忘れられていた薬用植物ウコンに、科学の眼がそそがれ、日本をはじめ、米国、インドなどで研究がおこ
なわれるようになったのは近年のことです。
ウコンに含まれる薬効成分がいろいろな実験によって確かめられ、長い期間 飲み続けることで、ガンや生活
習慣病を予防出来ることがわかってきたので す。また、沖縄で古くから「肝臓病の特効薬」といわれてきたよ
うに、薬と併用してウコンを使い、肝炎の治療効果を高めている病院もあります。
 
―― ウコンにはどんな有効成分があるのですか?
稲福―― ウコンの根茎にはいろいろな成分が含まれています。 クルクミン、精油成分、カルシウム、食物
繊維などです。 中でも特に今、注目されているの が、クルクミンと呼ばれる成分です。 クルクミンは、ウコン
の根茎を輪切りにした時に観られる色素成分で、カレー粉の黄色い色もクルクミンが含まれるた めに出る
ものです。 日本ではたくあん漬けの黄色を出すための色づけや、布を黄色に染めるのにも広く使われてき
たものです。
クルクミンが注目されだしたのは、一九九二年、アメリカでの動物実験で皮膚 ガンの発生を抑制する効果が
あることが報告されてからです。 三年後の一九九五年には、厚生省・文部省・科学技術庁の三省庁がはじ
めた「ガン克服新十か年計画」に「ウコンの色素成分クルクミンによるガン予防プロジェクト」が組み込まれる
までになりました。
私たちの生活習慣と関係のあるところで注目されているのは、ウコンが、肝機 能を強化し、解毒作用を助け
るということです。 肝臓は昔から肝じんかなめの 臓器といわれ体の中の大切な働きをしています。 そのひ
とつに、胆汁を生成して脂肪の消化・吸収を助けるという働きがあります。 ウコンはこの胆汁の分泌を促進
するのです。
このほかにもウコンのいろいろな効用が研究・報告されています。 肝機能改善 はもちろんのこと発ガン予防
から殺菌作用まで驚くほど多岐にわたります。 明 治よりこの方、忘れられていた生薬ウコンが見直されてき
たほんとうの理由が ここにあるのです。
 
―― 当地の市場には、生の〈秋ウコン〉〈春ウコン〉〈紫ウコン〉が並んでいましたが、どう違うのですか?
稲福―― ウコンと同じショウガ科クルクマ属の薬用植物に「キョウオウ」と 「ガジュツ」があります。どちらも、
ゴツゴツとした根茎の形がウコンとよく 似ています。 この三つを区別するために、俗称として秋に花の咲く
ウコンを「秋ウコン」、春に花をつけるコウオウを「春ウコン」、根茎の切り口がうすい紫色 のガジュツを「紫ウ
コン」といって呼びわけています。
最近になってウコンの薬効成分が脚光をあびたために、俗称が一般名として通用するようになりました。 しか
し、本来のウコンは「秋ウコン」だけです。 春・紫 はウコンと名がついていても、別の植物なのです。 「秋ウコ
ン」こそが優れた生薬として、食用や染料として古くから利用され、琉球王朝の財政を支えた「ウコン」なので
す。
外見のそっくりなこの三種は、根茎の切り口の色で見分けることができます。 秋ウコンはオレンジ色をしてい
ますし、春ウコンはうすい黄色、紫ウコンはうすい紫色です。 この色のちがいはそのまま、有効性分クルクミ
ンの含有量のちがいで す。
分析によると秋ウコンが一番多く三・六%、紫ウコンは検出されないという結果 がでています。 秋ウコンの
根茎が眼にもあざやかなオレンジ色なのもうなずける 話です。ほかの有効性分である精油成分も秋ウコン
は「春」「紫」の約二倍の量が含まれます。
ウコンという植物を特徴づけているのは色素成分クルクミンです。 いまや日本だけでなく、インド・アメリカなど
でも研究が進められ、現代病を防ぐさまざまな効果が期待されています。 病気をしない体をつくり、健康を
守るためには、クルクミンが豊富な「秋ウコン」ということなのです。 ですから、私どもはこの「秋 ウコン」しか
使用していません。
 
―― 御社の「醗酵ウコン」というのは、他社とどう違うのですか?
稲福―― ウコンは健康にいい、ということを知っていた沖縄の人たちは、いろんな工夫をしてウコンを摂り入
れてきました。 ウコンの根茎を薄く切って煮出し たお茶は「うっちん茶」と呼ばれ昔から飲まれています。 ウ
コンの粉末を加えて仕上げた炊き込みご飯の「うっちんジューシー」という料理も、お年寄りのいる 家庭では
時として食卓にのぼります。
最近では郷土の家庭料理を紹介した本にも「うっちんのダイコン漬」や「うっち んご飯のカレー」などのメニュー
があり、ウコンへの関心の高さを知ることがで きます。そんな「ウコン先進県」の沖縄ですが、それでも料理の
種類はかぎられたものですし、あの独特の苦味や、香りがどうも苦手だという人は大勢います。 悪酔いを防い
だり、胃の不快感を取り去るためにウコンを飲むという人もいます が、長い期間摂り続けることで体にいい影
響を与え、現代病の予防に役立てることの方がより重要です。
クセのあるウコンをどうしたら飲みやすいものにできるか。 そんな思いからひと つの研究が始まり、八年の歳
月を経て実をむすびました。 それが、琉球大学農学部の本郷富士弥教授のグループが開発した『醗酵ウ
コン』です。 醗酵ウコンはこ れまでのウコンより断然おいしく飲みやすくなりました。これなら子供からお年寄
りまで、いつでも手元において親しんでもらえます。 しかし、それだけではなかったのです。 発酵によって、ウ
コンにさらなる利点が加わったのです。
 
――と言いますと。
稲福―― 醗酵ウコンのさらなる利点はミネラル分の大幅なアップです。 カルシ ウムなら従来のウコンの約六
倍に増えていますし、リンやナトリウム、亜鉛などほかのミネラルもそれぞれに増えています。ウコンの根茎に
もともと含まれているミネラル分を、バイオの技術でさらに高めたのが「醗酵ウコン」なのです。 発酵は特許製
法によって乳酸菌をはじめ十数種の菌を使って行われます。
その時の菌の餌としてサトウキビの糖蜜(サトウキビからしょ糖を取り除いた残り=精製糖廃糖蜜)が使われま
すが、この糖蜜には若干の糖分と、サトウキビ由 来のミネラル成分が豊富に含まれています。乳酸菌はその
中から糖分だけを消費するので、カロリーは低下し、他のミネラル分は、醗酵ウコンにプラスされるのです。
また、醗酵の技術には沖縄の特産品である泡盛の酒造りでつちかわれてきた発酵の知恵も生かされている
のです。 サトウキビの糖蜜といい、泡盛の醸造技術といい、醗酵ウコンには沖縄の自然と人々の知恵が最
新技術として溶け込んでいるといえます。
 
――どんな製品を出されているのですか。 
稲福―― 当社は研究開発と原料生産を行っていまして、各製品は本土のメーカーにそれぞれ委託していま
す。 製品としては、「醗酵ウコン茶」、「醗酵ウコン粒」 、「醗酵ウコンドリンク」、「醗酵ウコンドリンクGOLD」、
「醗酵ウコンパウダー」、「醗酵ウコンごまふりかけ」、「醗酵ウコン入りもろみ酢まろみ」などですが、このとこ
ろドリンクが急激に伸びています。 沖縄では「リポビタン」より売れているんですよ(笑)。
 
  ・ 話題の人 話題の店 大人気のTシャツ「海人」
     - 石垣島から沖縄本島へ進出
   --- 近い将来、ハワイに進出したいと語る 白川 弘 会長
     - 漢字のTシャツを売り出す
私は石垣島生まれです。若い頃にビクター、パイオニヤなどを扱うオーディオの店を大きく展開していたのです
が倒産し、というより騙されて、お金を皆持っていかれました。 あの時代で五千万円ほどの被害でした。 そし
て約四千万の借金もできて、店も売ることになりました。 でも私は人に使われるより自分で何かをするほうが
好きでしたので、残ったお金たった五万円で、昭和五十六年(一九八一年)に小さなお土産屋を開きました。
復帰直後です。 当時も観光客がたくさん来ていましたね。新婚旅行の場所が宮崎から沖縄に変わった時代
でした。
 
復帰が四十七年でしたから、ビザも取らなくてよくなり、大変なブームでした。 ですから、これだけ新婚さんが
いるなら、お土産屋しかないと、小さな手作りの 店を作ったのです。 店というより海水浴場でベニヤ板を引い
て、露天のようにして売っていました。 その時に私は、Tシャツのデザインから印刷までの勉強をしていました
ので、T シャツもやり始めました。 その時にこのロゴも考えました。 当て字で作りました。 「ウミンチュウ」とい
うのは、沖縄の方言なのですが、これに私が「海人」という当て字をつけました。今までどこでも使われたこと
がない漢字。 これがベースになっています。
 
私は借金を返していく時期でしたから、店を経営しながらも様々な思いがありました。 そんな中、観光客の人
は本当に海を愛しているのだなと思いました。 沖縄の人は海が間近にあるけれど、殆ど泳ぎに行きません。
でも海を愛しているのは沖縄の人も同じです。 そこでウミンチュー、これは沖縄の方言で漁師のことです。 そ
うしたメッセージTシャツを作ることができればいいなと思ったのが、始まりです。また当時はそれほどお客さん
も来ず、私はもてあました時間でよく酒を飲んでいました。沖縄では「酒を飲む人・よっぱらい」をウシクヤと言
います。漢字はあ りません。沖縄の方言は、皆カタカナです。そこでこれも当て字で、「酒愛人」と書いてウシ
クヤと読みました。 あの頃が、漢字のTシャツの発祥になったと思います。
 
当時から普通のTシャツはたくさん売られていたのですが、漢字のものはこれが 初めてでした。 あの当時、漢
字で書くよりも、ローマ字で書いたほうが売れたのです。他には可愛い魚の絵のTシャツなどです。そうした中
に漢字の当て字のシャツを入れたわけですが、最初は年間十枚ぐらいしか売れませんでした。ダイビングをす
る方が、少し買ってくれるだけです。 お店を出してから、一年後ぐらいにこのシャツを売り始めて、それでも十年
ほどずーっと売れませんでした。 では何故売れたかと言いますと、新婚さんブームが終わり、その海水浴場の
店を閉めることになりました。 それから平成四年に市内に店を持つことになりました。 ブームが去って、観光
客相手ではもう商売ができないと思い、小さな九坪の店を石垣市内に作りました。 それが「手作り館」です。
私自身手作りが好きで、アク セサリーから何から、何でも作ります。
 
そこで今度は地元の人を相手に、例えば学生さんに「オリジナルのTシャツを十 枚から作ります」というような
アピールの店にしました。 沖縄専門の、Tシャツとアクセサリーの店です。 これがお蔭様で、注文が入るよう
になりました。 新婚 さんブームの後、今度は全国からバックパックを背負った旅人がやってくるようになりまし
た。 「カニ族」というブームです。
 
そうした人たちは、キャンプ場で一か月から二か月キャンプを張ります。 こうし た人がたくさんいました。 彼ら
はお金がありません。 昼間はサトウキビ畑などを 手伝っているような連中です。 彼らがうちの店に寄っては、
お金はないのに海人のTシャツを買うようになりました。 あの当時から、アメリカ製のTシャツでし たから、二
千五百円しました。 今も同じ値段で売っています。 決して安い買い物ではないのに、不思議だなと思いま
した。 そこでお客に聞いてみると、「私は北海道から来て、知り合いもいません。でもこのTシャツを着ている
と、他の人が近寄ってきます。 そうした中で、友達になれます」と言いました。
 
このシャツを着ていることで、声がかけやすくなり、知り合いになれると口コミ で店の名前が広まったようです。
Tシャツを通して、一つのグループになり仲間 になっていったのですね。 すると、十名、二十名のグループに
なった人たちが、今度は「自分たちのオリジナルのTシャツを作ろうよ」と、再び店を訪れてくれ ました。 うちの
店は小さいですが、学生などの出入りが多くなりました。 また高 校生の女の子たちは、このTシャツを見て「
可愛い」というようになりました。
 
今までにデザインは少しずつ変化しています。 ただ現在の二種類のデザインは、うちの店の看板持ちの様に
続いています。 今のシャツは三代目か、四代目になると思います。 最近は俳優の梅津栄さんにデザインを
お願いしたりしています。 字に影のデザインを入れるようになりましたら、売れるようになりました。 印刷の技
術が上がってきたことも、売れるようになった原因の一つです。 本当に売れるようになったのは、店を出して
二年後、平成六年ぐらいからです。 勿論うちの店は、字だけのデザインではありません。 絵のデザインもたく
さん置いています。 今までに百種類以上のTシャツのデザインを作っていると思います。 でもやはり売れてい
るのは、海人のデザインです。 今改良をしていまして、来年には海人の新しいデザインができると思います。
今は、字のシリーズでも六十から七十種類はあると思います。
 
     - 石垣島から沖縄本島へ進出
話は戻りますが、高校生の間で評判になり、彼らは町中を動くものですから、今度は中学生の子供たち
もつけるようになりました。 店は十人ぐらい入ればいっぱいになるような小ささでしたが、地元の人がよく訪
れてくれました。 そして子供たちがつけると、その家族もオリジナルのシャツを着てくれるようになります。
またアメリカ製のTシャツですから、丈夫で長持ちします。 値段は高いけれど、いいものなので、四年も
五年着ても伸び縮みしない、そこが良かったのだと思い ます。 あの時代、アメリカ製のTシャツを売ってい
る店は他に殆どありませんでした。 私共の店では、ヘインズですとかベストといった良質のTシャツをその
頃から使っていました。 そうしたことから、地元の人から「しっかりしたシャツで好い」という評判をもらってい
ました。
 
平成六年ごろから、観光客の層がまた代わってきました。バックパッカーから今度はダイビングに来る人た
ちに代わったのです。 「石垣の海はきれいだよ。 ダイビングにもってこいだよ」という評判が立った頃です。
 ダイビングのツアーは、三、四日から一週間です。 町中で島の子供たちがウミンチューのTシャツを着て
いますので、最初は「あのシャツはどこで売っているのだろう」ということにな り、そうしましたら、ダイビングを
する人たちは、「まさしく海人のTシャツは ダイビングにぴったりだ」ということになったのです。
 
そして今までは一般のお店では売っていませんでしたが、「うちのお店までシャツを取りに来てくれるのな
ら、卸もやりますよ」ということになり、一般の店で も扱うようになったのです。 そして石垣のお土産店に
広がっていきました。 うち の店は小さいですから、観光客の方はそれほど来られないです。 でも一般の
土産屋に置くようになってからは、ダイビングで来た方にも、たくさん買ってもらえるようになりました。
 
そうした内に、卸の売り上げも上がってきて、「それではお店をもう少し大きく しようか」ということになったの
です。 沖縄本島に進出したのは、平成十二年、 五年前です。 これには理由があります。 当時那覇の
新空港ができ、三軒のお土産屋が「那覇の空港につくるお店に海人のTシャツの卸してくれ」という申し出
がありました。 わざわざ那覇から、石垣島まで海月を指名して来てくれたのですから、ありがたく受け入れ
ました。
 
そして「空港にまで置くようになったのだから、沖縄本島にも店を出そう」と思 い立ち、平成十二年に国際
通りから少し入った沖映通りに店をオープンしました。 三階建てで、一階が店舗、二階が事務所、三階が
工場の建物を作りました。 でも 沖縄本島では、Tシャツは五百円ですとか、三枚千円で売っています。
Tシャツ屋としては、あんな粗悪な素材ばかりではなく、良い物があることを知らせたい と思いましたが、
周りの人たちからは、「他のものはとても安いのだから、一枚 二千五百円のシャツは売れないよ」と言わ
れました。 それでも、店を出したいと思いました。
 
そうしましたら、オリジナルのシャツを作ることも珍しかったですし、テレビ局などの取材もあり、その店が
バカ当たりしました。 また私は記者クラブに「八重 山の物産を含めて、民間が進出してきました。 本来
なら行政が行うことを、一市民が行いました」とFAXしました。 そしたら皆さん飛びついてきまして、テレビ
局や新聞社が来てくれて、宣伝してくれました。 今でも一枚から、完全なデザインでオリジナルを作ります。
一週間で送ります。
 
ところが、今でこそ商品についての商標を取っていますが、その頃は商標をとっていませんでした。 そこで
大手のホテルの土産屋などで、類似品がバーっと出回ってきました。 ただその事によって、観光客がより
このシャツを知るようにもなってきました。そしてよく知っている人は、高級ホテルに「何故本物のシャツで
はなく、偽物を売っているんだ」と言ってくれる人もいて、ホテル側もオリジナルである私たちの店のものを
置いてくれるようになりました。 こうなってくると、大きな工場が必要ということになりまして、四十坪ほどの
工場を三階に作りました。 ところが一年間はそこで何とか間に合ったのですが、それでは間に合わなくな
ってきたのです。 そこで具志川市と那覇の古波蔵に大きな工場を作りました。
 
その後、フランチャイズとネット販売をしたいと考え、友達を集め新しい会社を 作りました。 そしてフランチ
ャイズのシステムを考え、宮古島にフランチャイズ の一号店を作りました。 この島は商売が大変難しく、
他島の人がなにをしても成功しません。 でもここでフランチャイズをしたいという人が二、三人現れ、地元
の人なので大丈夫だと思いました。 それが当たり。 二号店・三号店がすぐにできました。 今は直営店が
二店舗と、フランチャイズが七店あります。 国際通りに四店舗ありますが、どれも好調な売り上げです。 
今は卸専門を入れて会社を四つ持っていますが、これぐらいでいいです。 身体がいくつあっても足りませ
ん。 会社の一つに、デコラ事業部(有限会社・海人工房ヒューマン)というものもあります。 アメリカの3M
のスコッチテープに印刷をして車や自転車に張るものを作っ ています。
 
今では、店の看板、ディスプレーにも使われ始め、ディスカウントショップです とか免税店にも納入させてい
ただいています。私がデザインできるのが強みで、簡単に誰でもできるというものではないのです。 スコッチ
の部長が沖縄に来たとき、ウミンチューさんがやってくれるなら安心と、うちを指名してくれまして、総代理店
になったのです。こうしたものは、設備投資も大変です。機械が八千万円ぐらいしました。 この事業は、もう
二年になりますがこれも順調です。 そして四つめがネット販売の会社です。 これから期待される部門です。
今後の私の夢は、ハワイに別の会社を作り、別の法人で経営していきたいと考えています。 二年後には、
ワイキキに直営のお店を作りたいと思います。 また、来年ぐらいには、沖縄の人がニューヨークでお店をやり
たいという人がいますので...。
 
私は今五十七歳ですが、あと十年は頑張りたいですね。 今は会長職に退いていますので、原点に戻って
デザインをしたいと考えています。 経営するよりは、新しいものをもう一度作り直してみたいというところでし
ょうか。 今、ハワイにはウミンチューのTシャツは全く流れていませんが、二年の間に何とかしたいと思ってい
ます。
 
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● ハワイは今
     ・ 空きビン・缶の収集率が五十二%
     ・ オアフ島の不動産売り上げ六十億ドルに到達?前年比で三〇%アップ?
     ・ アロハ スタジアム禁酒案12月中旬に公聴会
     ・ リングル州知事来年の選挙で再選確実
     ・ エンジンをかけた車に幼児を残し用足しは厳禁 来議会で立法化
     ・ 医師の医療ミス 謝罪訴訟免除の立法化を弁護士協会模索
 ・ 空きビン・缶の収集率が五十二%
空きビン、空き缶をリサイクル用に収集する州政府の作業は順調に効率をあげており、関係者を喜ばせている。
今年一月一日から始まった空きビン、空き缶の収集作業は、当初は一〇%そこそこの収集率だったが、次第に
よくなり七〜八月の二か月間だけで、一億五千万本を収集した。 この数は市販されたビン・缶の五二%に当り、
リサイクル作業も軌道に乗って来たと州環境衛生課のローレンス・ラウ副課長は喜んでいる。
 
環境保護を模索するシエラ・ハワイ支部のジェフ・ミクリナ事務総長も、リサイクリングが市民に浸透したことを素
直に評価したいとコメントしている。 リサイクル・センター数や取り扱い時間は多少は延長されたが、 「センターに
行ったら当日の取扱量は終ったといって帰された」など。 まだまだ消費者の苦情は多い。
 
シエラ・クラブのミクリナ事務総長は、「ハワイのリサイクル作業は始まったばかり。 収集率が五〇%を越えたこ
とは評価するが、サービスは充分とは言えない。 飲料水を取り扱う小売店が、全てリサイクル作業に参加しな
いと、他の都市が達成している収集率八〇%は到底達成できない」と州政府の対応の手ぬるさを指摘する。
現状ではまだまだ多くの空きビン、空き缶が埋め立て地にまわされている。 ハネマン市長は、収集センターを
主要の公園に設置すると言っている。 消費者の便宜を最優先させることが収集率八〇%達成への早道だと
事務総長は強調する。
 
 ・ オアフ島の不動産売り上げ六十億ドルに到達?前年比で三〇%アップ?
オアフ島の十月の不動産中古市場(一戸建て住宅、コンド)は堅調を続け、今年十か月の累計販売価格が
五十億ドルを超えた。 十月の単月ではコンドが六百二十四戸、一戸建て住宅が四百四十一戸で各々前年
同月比では六%減。 中間価格はコンドが二十九万ドルで前月より三千ドル増。一戸建て住宅は六十二万
ドルで前年並み。 八月の記録六十二万 五千ドルよりも五千ドル低い。
 
オアフ不動産業協会は十月の市場も相変わらず売手市場。 特にコンド市場は不況知らず。 一戸建て住宅
ではがり過ぎる市場の模様眺め的な状況が中間価格の低下につながっている。 「石油価格の上昇が不動
産市場には今 のところ何も影響を与えていない様だ。 動向自体は一服感はあるが、まだまだ右肩上りは
続く」と、協会アナリストは分析している。
 
今年十か月の累計売上は五十億五千百万ドルと、前年同期間の売上を十一 億三千万ドル(二八・九%増)
上回った。 さらに去年十二か月の総売上、四十七億六千万ドルを三億ドル近くすでに上回った。 今年はま
だあと二か月残っている。 不動産業界の五年前の年間販売総額は二十億ドル、その後上昇を続け、去年
は四十七億六千万ドルであった。 今年はあと二か月分を上乗せすると六十億ドル近くになると見られている。
 
 ・ アロハ スタジアム禁酒案12月中旬に公聴会
アロハ・スタジアムで観客が暴動化するのは、スタジアム内でのアルコー ル販売が原因と三人の委員によ
るタスク・フォース(諮問委員会)が、酒類販売改訂案の素案作りを急いでいる。
 
アロハ・スタジアム・オーソリティ(ASA)はネルソン・オヤドマリ氏を委員長とする三人の諮問委員会に、酒類
と観客の暴動に関連する調査を依頼した。 スタジアムで催されるスポーツ・イベントで観客が暴動化するのは
施設(スタジアムと駐車場)内での酒類販売が原因だとして去る八月、デューク・アイオナ副知事が同施設で
の酒類の全面的廃止を呼びかけた。
 
同施設の管理機関ASAは諮問委員会を任命し、暴動化と酒類の因果関係を調査し酒類の販売限定の
見直しを委託した。 オヤドマリ委員長は、「素案作りは十一月一杯で終る予定だが、酒類の全面廃止より
も、駐車場での販売及び飲酒を禁止する部分禁止策を検討中だ。 スタジアム内での酒類禁止策はベンダ
ーとの契約違反につながる。 損害額だけでも百万ドルを越えてしまう。 暴動は駐車場でも起きているので、
駐車場禁酒措置を取る方が賢明だと思う」と、中間報告的説明を行った。
 
しかし、ハワイ大学のマクレイン総長代行は、逆にスタジアム内だけの禁酒措置を求めている。「観客がゲー
ム後に、駐車場でゲーム観戦論議するのはハワイの観客の楽しみだ。 スタジアム内の禁酒だけにどどめるべ
きだ」 と、同代行は主張している。 同委員会は十二月上旬には最後に報告をまとめ、ASAに答申。 ASA
は十二月中旬に公聴会を開いて最終決定する。
 
 ・ リングル州知事来年の選挙で再選確実
リンダ・リングル州知事(共)の二期目の政権が早くも確実視されてきた。 二〇〇二年に州知事に初当選
したリングル州知事は、四十年ぶりに共和党 政権を樹立した。来年の秋には知事選が行われ、リングル
知事の二期目州民の審判をあおぐ。
 
国政が共和党政権であることも同知事に大きなプラスとなり、第一期目を無事務めてきた。選挙戦で唱えた
政治改革は思惑通り進んだ訳ではない。 それも州の上下両院を野党の民主党が三分の二以上の絶対安
全議席数を確保されていては共和党州知事には限られた行政指導しかできなかったはずである。 教育改革
を始め、予算の振り当ても野党の協力なくしては前に進めなかった。
 
そんな中でリングル知事は官僚機能を動かし、行政改革もあまり表面化しないがリングル・カラーを出してき
た。 生徒数により予算の割り当てを生徒の実質的需要に応じた予算の割り当ては未だにスムーズではな
いが大きな前進と言われている。 同知事はすでに来年の選挙に向けて選挙資金を百万ドルと目標を揚げ
始動した。
 
来年五月の民主党ハワイ支部大会までにはまだまだ紆余曲折があるが、今 の民主党には二十年前の結
束力はない。 特にこの十五年間に民主党は後継 者づくりをしてこなかった。 それもこれもジェラミー・ハリス
・ホノルル前市長の存在が民主党を完全に狂した。 ハリス氏の次期民主党知事候補のシナリオがあまりに
も公然の路線として大きな比重を占めていた。 その路線がヒロノ副知事のホノルル市長選出馬を強要し、ハ
リス−リングルというカードで一大決戦を予想した。
 
その予想が選挙の年の五月の民主党大会でハリス氏の知事選出馬断念とい うニュースで民主党首脳陣は
大ピンチ。 副知事が州知事選で敗れたことはないというハワイ州の歴史の中で、急拠市長選から州知事選
に逆戻りしたヒロノ副知事には僅か五か月という選挙運動期間は短すぎた。 その時の民主党には往年の結
束力はなかった。 ヒロノ氏は善戦したがリングル氏に敗 れた。
 
リングル氏は四十年間に亘り民主党が築いた官僚組織を引き継ぎ、大きな 失策もなく三年が過ぎた。 民主
党は水面下で次期州知事選の後継者を探している。 その中で、ハリー・キム郡長(ハワイ郡)の名前が上が
っている。 共和党には在籍したが、民主党には在籍したことのないキム郡長。 現在は無所属だが民主党に
入党することを今真剣に考えている。
 
ニール・アバクロンビー国会上院議員の名があるが、今の本人には州知事選出馬への興味はない。 二〇〇
六年の選挙ではリングル知事再選間違いな しと言われている状況の中で出馬する意味はない。 その四年
後の十年の知事選にはリングル知事は再出馬できない。 その時に改めて知事選出馬を考えている人は多い
だろう。 リングル知事に勝てる強力候補者は今民主党にはいないと言える。
 
 ・ エンジンをかけた車に幼児を残し用足しは厳禁 来議会で立法化
幼児を車内に残しちょっと用足しにと、エンジンをかけたまま車を離れる親または保護者を、保護怠慢として
取り締まる法案の立法化に、リングル州知事が乗り出した。 親が幼児を車に残し用足しに行った隙に車が
盗まれるという事件が、今年すでに四件も起きている。 幸いに幼児と車は無事発見・保護され大事に至って
いないが、その都度警察官が動員されてきた。
 
一才と四才の子供が眠っている。銀行にちょっと用があると車のエンジンをかけたまま銀行に入って行った
母親。 五分後に銀行から出て来た母親は車がないのに気付き大パニック。 子供が眠っているので冷房が
必要とエンジンをかけたまま車を離れたすきに車は何者かによって盗まれた。 幸い数ブロック離れたショッピ
ング・センター駐車場で車は発見された。 二人の子供は眠ったままだった。 二十九才の男が逮捕され、盗
難と幼児保護妨害容疑で男は起訴された。
 
「これまでの四件は幼児誘拐という大事には至らなかったが、幼児を残してエンジンをかけたままとかカギ
をつけたまま車をはなれることは親の保護怠慢というべきだ。 親はそれなりの保護義務がある。 その義務
を怠った者は罰せられるべきだ」とリングル知事は立法化を強調した。
 
ミリラニ地区から選出されているマリリン・リー州下院議員(民)は、「 私はこの四年間、親の責任を追求す
る法案を続けて議会に提出してきた。 リングル知事が同じ方向に動き出した? これでやっと立法化できそ
うです」 と、知事のお墨付きをもらって、来議会での法案成立に自信を持った様子。 親の責任を問う保護
怠慢取締法はカリフォルニア州などすでに十三州で施行 されている。 違法者は百ドルの罰金と保護教育
プログラムの参加が強制され るがハワイではどのようになるか注目される。
  
 ・ 医師の医療ミス 謝罪訴訟免除の立法化を弁護士協会模索
病院、医療機関、医師が医療ミスを謝罪すれば民事訴訟を免除するという法案立法化を、弁護士協会
と医師協会が進めている。 ハワイ弁護士協会のリチャード・トービン会長は同立法案について、「医療ミ
スに対する被害者と医師や医療機関の抗争には莫大な費用がかかる。医療ミス保険の掛金は年々高
騰するばかりで、掛金が払えない為、有能の医師が 廃業するケースが多く、ひいては医師不足を招く社
会が多い」と語る。
 
要は医療機関や医師は患者やその家族が要求する損害賠償をめぐる対立抗争が両者の立場を硬直化
させ、敵対関係になる。 しかし多くのケースは、「病院がごめんなさい、予期せぬ結果とあり、結果が最悪の
状態となりましたと謝っていれば、こんな法廷沙汰にはならなかったと言うケースが多いのです」 と、トービン
弁護士は説明する。
 
謝罪訴訟免除はノースカロライナ、フロリダ、ミゾリー、オレゴン、イリノ イ、コロラド、そしてアリゾナ州の七州
で適用されている。 これらの州では 医療保険の掛金も安くなった。医師と患者の関係はいちじるしく改善
されていると言う。 ホノルル・医師協会のスコット・マックキャフレイ会長も、「医師は謝罪したいのです。 それ
も損害賠償という民事訴訟があり得るため。 患者に謝罪できないのです。 免除法が成立すれば患者との
関係は改善されるでしょうね」と、同法案の成立に賛成している。
 
「ミスは誰でもあります。 そのミスの責任追及額も限度を設け、容認する社 会が来ることを望んでいます。
何でもすぐ訴訟では、世の中の人は”信頼” という大切な言葉を失なうすることになります」と、トービン会
長。 しかし、同案がハワイで成立するまでにはまだまだ地ならしが必要と語っている。
 
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● 英字紙 アドバタイザーの投書欄に見るホノルル市民の生活と意見
        ・ 汚れた道路
        ・ タイヤがパンクした時、四人の男性が助けてくれました
        ・ ゴミ処理問題 市長が日本から学んだこと
        ・ 安全を優先してくれた市長に感謝
        ・ 車の盗難常識のない親を罰せよ
        ・ 剰余金、消費税の減税は大きな利益をもたらす州の剰余金をどうすべきか?
        ・ 墓地と劇場の清掃に感謝
 ・ 汚れた道路
道路沿い、特にハイウエイ沿いのゴミの山に当惑している。次から次へと積み上がってくるが、定期的に除去
する作業は行われていないようである。 加えて、分離帯に生えている雑草がどんどん大きくなって、飛び散る
ゴミを捕らえている。これらを清掃する組織がまったく機能していないようである。
何をなすべきか?州知事に尋ねたい。ハワイ州のウエブサイトは、Eメー ルで質問や意見を知事に送るよう呼
びかけており、知事自身が見て、出来るだけ早く返事をすると書いてある。 誰かが返事をくれて、質問に答え
てくれると知って、喜んだ。
 
私は、早速Eメールに大きくなるゴミ問題についての関心をまとめ、道路の保守管理は誰の責任なのかという
ことと、この保守管理はどの位行われているのかを尋ねた。 一週間経っても返事が無いので、二回目のEメ
ールを送り、最初のメールに対する返事はどうなっているのか問い合わせた。 それでも梨のつぶて。 最初の
メールを送ってから既に二か月経過した。 数回電話を掛けてみたが、部局間を方々回されるだけで、誰から
も返事を貰っていない。
道路沿いの保守管理の欠如にはあきれ返る。 それに、関心事や質問を出す機会を提供しておきながら、こ
れに答えようとしないのは、同様にひどいものだ。 責任は何処にあるのだろう? (10/4)
 
 ・ タイヤがパンクした時、四人の男性が助けてくれました
リチャード通りの郵便局で手紙を郵便箱に入れようとしていた時、生まれて初めてタイヤがパンクしました。 す
ぐにリチャード・ヒガ氏が助けにきてくれました。 しかし、私はジャッキを持ち合わせていませんでした。そ うし
たら、今度は、アンディとスタントンの二人の男性が、ジャッキを持ってきて、パンクしたタイヤをはずしてくれま
した。 しかし、予備のタイ ヤもパンクしていました。
 
すると、ポウル・マツオカ氏が来て、パンクしたタイヤを近くのスタンドへ持って行き、直してもらい、私の車に取
り付けてくれました。 暑い午後だったので、冷たい飲み物でも飲んで貰おうと、僅かながらお金を差し上げよう
としましたが、四人とも受け取ろうともせず、立ち去りました。 この親切な四人の方々に、最大のマハロとアロ
ハを贈りたいと思います。 あなた方の親切な行為は一生忘れることはありません。 (10/6)
 
  ・ ゴミ処理問題 市長が日本から学んだこと
ムフィ・ハネマン市長が日本でゴミ処理問題について話し合い、この問題での先進諸国がオパラ(ゴミ)をどの
ように処理しているかを学んできたのは喜ばしいことである。 彼が言ったように、「我々ははるかに遅れている。
この問題にもっと前からから取り組むべきであった」のは確かであろう。 ゴミ問題の革新的な処理方法を望む。 
しかし、ゴミの発生時点でこの問題を処理することについて、市長が何らかの洞察を持ち帰って来たものと期待
したい。 第一に、我々はゴミの発生をもっと少なくすべきだ。
 
米国と同等の生活水準を享受している(日本と欧州諸国を含む)多くの国では、アメリカ人が消費する資源の
量よりはるかに少ない率の資源を消費しているに過ぎない。 世界中の人々が、アメリカ人が消費する資源と
同じ量の資源を消費しようとすると、地球が七つ必要になるという。 消費出来るからという理由で、我々アメリ
カ人がこのような消費を続けるのは、本当にフェアであろうか? ハワイが、米国全体に対して、低消費の見本
を示したいものである。 物の消費を少なくすればするほど、それだけ、ゴミ処理問題も小さくなるのだ! (10/7)
 
  ・ 安全を優先してくれた市長に感謝
「フォスター・ビレッジの環状交差点設置に反対する請願書」に署名を拒否してきた多くの住民の一人です。 
幸いに、市政府は我々に同意し、先月これを設置しました。 何故か?数年前、交差点の横断歩道を歩いて
いた少年が、鏡を見ながら化粧を直していた婦人が運転していた車に跳ねられました。 幸運にも、少年は死
亡しませんでしたが、足の骨を折り、心理的な外傷を負いました。 この時、環状交差点があれば、この事故
は防げたものと思います。 停止信号は十分ではなかったのです。
 
そうです。 環状交差点は、急いで車を運転している人にとっては不便なものです。 それに、余り見栄えのよい
ものではありません。 しかし、不注意な運転者によって怪我をさせられた少年のことを考えて下さい。 環状交
差点が今後の事故を防ぐのであれば、その費用を掛けた価値は十分あったと思います。 市長様、我々に味方
をして下さり、有難うございました。  (10/17)
 
  ・ 車の盗難常識のない親を罰せよ
この投書は、エンジンを掛けたまま、子供を残して車を離れる親たちに向けたものです。 このような車の盗難
事件が年に四件も起こるということは本当に悲しいことです。 たとえ一秒間でも、特に子供を車に残して急ぎ
の用事をする時には、親たちは皆常識を働かすべきです。
 
付き添いも置かずに、子供をエンジンが掛かったままの車に残した親の事件の話を聞くたびに胸糞が悪くなり
ます。 親たちにはその行為に対して責任を取らすべきです。親たちをこのような行為から逃すべきではありま
せん。 罰金と禁固刑を課すようにし、加えて、親の運転教習への出席を義務づければ、彼らを眼覚ませるかも
知れません。 遅すぎない内に、このよう な事件に対して何らかの措置を採るべきだと思います。  (10/21)
 
  ・ 剰余金、消費税の減税は大きな利益をもたらす州の剰余金をどうすべきか?
州議会は州の金庫に積み上がっている資金に色目を使っているし、州知事 は剰余金で何をすべきか考えて
いる。 州知事が、教育省管轄下の学校とハ ワイ大学を含むハワイの教育制度への追加支援を検討している
と言っているが、これは正しい方向だと思う。
 
州知事はまた食料品に対する消費税の撤廃を示唆している。 これは共和党 が永年にわたりその政策綱領の
中で主張してきた食料品と医薬品に対する消費税の撤廃と軌を一にしている。 州知事は税金の払い戻しも検
討している。 しかし、どのグループが剰余金の分配に預かるにせよ、大事なことは、税金の取り過ぎが剰余金
を生んだということを理解しておくことである。 政府がその基本的な必要を超えて、税金を徴収した結果である。
 
だから、税金の払い戻しに代えて、ハワイの教育制度を追加に支援し、消費税を三・五%に削減するのが、より
良い考えだと思う。これは次のような好結果を生むと思う。 1.これは周りの島々の税負担を軽減し、その経済
を活性化する。 2.オアフ島では、税率は合計で四%に据え置く。 すなわち、州の消費税は三・五%に引き下
げるが、ホノルル市郡の税金は〇・ 五%引き上げ、オアフ島の住民の税金は現状と変わらないこととする。 3.
経済が成長を持続しているので、州は消費税を〇・五%引き下げても、税収の増加が続くと期待できる。 4.減
税は、ハワイで事業を行う上で重要な問題であり、企業と投資家に対して、州がその悪い事業環境イメージを変
えようとしているというメッセージを伝えることにもなる。
 
そして、減税により、州の税収は実際には増加するであろう。というのは、減税は州へのより多くの新規投資を
促進することになるからである。 こうすれば、政府は企業に対して「ウイン・ウイン(双方が得する)」提案を 示す
ことになる。  (10/27)
 
 ・ 墓地と劇場の清掃に感謝
土曜日にマノア・ヴァレー劇場に集まり、劇場と墓地を清掃された全てのボランティアの人々に祝辞を述べたい
と思います。 百人以上の人々がその時間とエネルギーを提供し、墓地と個々の墓石の周りに生い茂った雑草
を刈り取りました。 加えて、数社の会社が、この企画のために、樹木の伐採を行い、食料、新しい樹木、その他
を提供して下さいました。 先祖がここにまつられている家族の方々も数多く参加されていました。
 
私は過去二十年間にわたり、このような墓地の清掃事業に関係してきました。 しかし、今回の作業は今までで
最も素晴らしい一日の仕事でありまし た。 ホノルル・アドバタイザ、マノア・ヴァレー劇場、および、(この土地の
所有者である)カワイアハオ教会が、これらの人々を集め、この重要な歴史的な敷地を綺麗に変貌させて下さっ
たことに対し、マハロ・ヌイ(感謝)申し上げます。  (10/30)
 
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● NEWS LETTER FROM ハワイ州知事 リンダ・リングル
アロハ、そして、ようこそ!
十一月十七日にワシントンDCにてハワイ州を代表して National Diversity Award(全国多様賞)を受賞することに
なりましたことを皆様にお知らせするのを非常に誇りに思います。 この賞は我々州民が多様化を快く進めているこ
とを認めたものです。 ハワイの日系社会が州の多様性に大きな役割を果たしています。
 
最新の米国国勢調査局の統計によりますと、ハワイは全国の中でもっとも多様な人種が住んでいる州です。 ハワ
イ州は、公用語を二つ持っている唯一の州であり、世界の中で、米軍の全ての部門に基地を提供している唯一の
場所です。 我々は多様性を統計としてではなく、生活の様式として理解しています。 我々の容貌と価値観は、当
地の主人役であるハワイ人の文化の影響も受けています。
 
我々は解放的で、文化、宗教、人種を超えて、誰でも受け入れる態度を保持し ています。我々はこれを当然のこと
としていますが、我々は、複合人種、複合 文化の社会の、世界に対する見本として、また、お互いの違いを認め合
い、進歩するために集まっている社会の見本として認められているのです。
 
我々はすべてこの多様性から恩恵を受けています。 この多様性のお陰で、多様な人々の必要に対応しようとする
時、政府、企業、教育、保健など各種の分野のプログラムから恩恵を受けられるのです。 ハワイ州は今日、全米
で最も低い失業率と力強い雇用創出と個人所得の増加に支えられて、力強い経済を享受しています。 我々は今
この成功を積み重ねていく必要があります。
 
我々は引き続きこれらの経済問題に取り組んで参ります。私は Economic Momentum Commission(経済促進委
員会)を設立しました。 この委員会は、長期にわたり 州の現在の経済の弾みを持続させ、伝統的な経済の浮き沈
みを避け、州の壊れやすい環境および天然資源を保護し、ハワイの特殊な文化と生活様式を永続させるような行
動計画を策定しようとするものであります。
 
我々は、我々の生活の質を高め、将来に向かって、住民の全てが賢明に働いて得た繁栄をお互いに分かち合える
ような経済政策を開発する機会を持っていま す。 この政策は次の世代の人たちのために、経済の基盤を強化する
ものと信じています。
 
Eメール (Governor.Lingle@hawaii.gov) または毎水曜日午前七時五分からの KHVH 830AMの私のラジオ・ショ
ウに電話を頂き、貴方のお考え、 ご意見、ご提案を下さるよう希望しています。 さらにお知りになりたい方は、私
のウエブサイト www.hawaii.gov/gov にアクセスし、電子ニュース・レターの購読申し込みをして下さい。
このメッセージをお読み下さいまして、どうも有難うございました!
 
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