バックナンバー: 2005年 8月 15日
創刊29周年記念号
● トップ: ホノルル点描
アメリカ唯一の宮殿「イオラニ パレス」 ハワイ初のリゾートホテル「モアナ ホテル」

● ハワイは今
 ・ カメハメハ校は人種偏見で違憲 第九上告巡回裁判所裁決
 ・ ダウンタウン駐車場料金 1年前より3割安?
 ・ ホノルル国際空港の隣接地に新放射線検疫所新設計画
 ・ 6月の観光客数、過去最高年間730万人を越える勢い
 ・ 国会も大衆輸送機関に支援八月十日の市議会で決まる
 ・ 二十六万人の新学期始まる マノア谷は交通地獄に
 ・ 今年も四百人の教師不足 開校まで調達できると州教育局
 ・ アストン・ホテルが「リゾート・クェスト」に改名 今秋から日本市場に参入
● 大下治心の世相やぶにらみ
 ・ カメハメハ校は人種差別? 難しいハワイアン問題
年輪 7 (最終回)
 ・ 戦後の旅行業界の流れを振り返って
月刊経済誌 「ハワイ・ビジネス」  2004年度ハワイのトップ250社
 ・ トップは連続でバンクウエスト (7.5%増)  日本関連企業では京やカンパニー、16位から12位へアップ
バックナンバー: 2005年 8月 15日
● トップ:創刊29周年記念
 
・ アメリカ唯一の宮殿 「イオラニ パレス」 --- ホノルル点描 7
イオラニ宮殿はハワイ王朝七代目の王様 カラカウア王の命により建てられた瀟洒な公邸で、
一八八二年の完成から王朝転覆の一八九三年までの十一年間、栄華を誇った。
 
ハワイ初のリゾートホテル 「モアナ ホテル」 --- ホノルル点描 8
一九〇一年三月十一日に開業した「モアナ・ホテル」(現シェラトン・モアナ・ホテ ル)は、ハワイ
で最古のリゾートホテル。 今日の隆盛を誇るハワイ観光業の歴史は、 ここから始まった。
 
各内容は、ホノルル点描 7 および 8 をご覧下さい。
  
<<<- このページの先頭に戻る
 
● ハワイは今
 ・ カメハメハ校は人種偏見で違憲 第九上告巡回裁判所裁決
 ・ ダウンタウン駐車場料金 1年前より3割安?
 ・ ホノルル国際空港の隣接地に新放射線検疫所新設計画
 ・ 6月の観光客数、過去最高年間730万人を越える勢い
 ・ 国会も大衆輸送機関に支援八月十日の市議会で決まる
 ・ 二十六万人の新学期始まる マノア谷は交通地獄に
 ・ 今年も四百人の教師不足 開校まで調達できると州教育局
 ・ アストン・ホテルが「リゾート・クェスト」に改名、今秋から日本市場に参入
・  カメハメハ校は人種偏見で違憲 第九上告巡回裁判所裁決
ハワイで六十億ドル以上と言う最大の資産を誇る「カメハメハ スクール」のハワイ アン優先という校則は合衆国憲法
に違反すると、第九上告巡回裁判所の控訴審判決が 八月一日出された。 被告は最高裁に上告した。
 
カメハメハ・スクールの校則はハワイアンの子弟を優先する特殊財団校として、すで に百二十年近く運営されてきた。
毎年の新入生はハワイアン系の児童だけが優先された。 もし定員に満たない場合には例外もあるとしているが、ハワ
イアン以外の児童の入学できるとあるが、前例はほとんどない。
 
同校の校則は教育の人種差別に当たると、憲法違反を提訴したケースは、白人の十二歳の少年のカメハメハ校入
学を巡る問題の弁護士から起こされた。 その少年は二〇〇三年の連邦地方裁の裁定で入学を許可された。 また
その一連の法廷闘争でアラン・ケイ連邦法廷判事は、「カメハメハ・スクールの創設と歴史的観点は同校を特殊な教
育機関として認知できる、従ってハワイアン優先という校則は支持できる」とカメハメ ハ校の特殊性を認知する判断を
下した。
 
同ケースは上告され、この程、控訴審判決が原告の逆転勝訴となったもの。 今度は被 告のカメハメハ・スクールが
合衆国最高裁に上告した。
 
ダウンタウン駐車場料金 1年前より3割安?
ホノルル市ダウンタウンの駐車場月極金が横ばい状態を続け、一年前にくらべると 二五%の料金安になっていると、
調査会社の調査で明らかになった。
 
全国五十八都市の駐車場料金比較調査を続けているコリアース・インターナショナ ル社の最近の調査では、ホノ
ルル、ダウンタウンの駐車場月極め料金は中間価格で二百三十五ドル(ロット指定)と百六十ドル(ロット不定)と
一年前より約二五%安くなっている。 ロット指定での最高料金は三百ドルが相場で、一年前の四百ドルから大幅
に下っている。
 
駐車場料金から推測するホノルル市のビジネス景気は安定路線に入ったと同社では 観測している。 国内でもっと
も高い駐車場料金は指定も自由も、ニューヨーク市の月額五百八十五ドルと四百九十一ドル五十セントがダントツ。
ホノルル市は全米で指定で十四位、自由で十七位。 今のホノルル、ダウンタウンの駐車場条件は一年前より、探し
やすいということになる。
 
ホノルル国際空港の隣接地に新放射線検疫所新設計画
植物等の害虫や伝染病菌を駆除する放射線検疫所をホノルル国際空港隣接地に新設する計画が、パイナ・ハワイ
社から公表された。
 
ハワイで生産する果実、花、薬草を州外輸出するには、放射線等を照射する手順で 安全性を確保することになって
いる。 パイナ・ハワイ社は多くの生鮮野菜、果物が施設不足のため、州外に持ち出せない現状を解決する方法とし
て二か所目の放射線検疫所の新設を計画した。
 
パイナ・ハワイ社はすでに施設のブルー・プリントを合衆国核管理委員会(NRC)に提出、NRCは九月下旬までに地
元ホノルルで公聴会を開く予定。 州農務局でも放射線検疫所がハワイ島に一か所だけでは充分でないと民間の設
備投資を歓迎しており、検疫所が国際空港隣接地というのも便利で輸出業者には大きなメリットとなる。
 
・ 6月の観光客数、過去最高年間730万人を越える勢い
六月にハワイを訪れた観光客は六十五万千六百三十九人と単月の記録を更新した。 米本土客が、四十八万三千
二百三十六人(前月比六・七%増)と好調を続けた。 日本人を含む外国人客は十六万八千四百三人(前月比二・
六%増)と微増にとどまったが、米本土客の大幅な好調連続で、単月の記録更新に繋がった。
 
日本人客だけを見ると、六月の客数は十二万三千八百五十八人と前年同月比で〇・九%増にとどまったが、今年上
半期の六か月の累計では日本人客は七十三万千百十 一人と去年の同期を七%上回っている。
 
今年一月〜六月までの観光客数は三百五十九万人を突破しており、このまま推移すれば、一年間の客足は目標の
七百三十万人をねらえる勢いとDBEDT(州企業経 済開発観光局)では強気。 ホスピタリティ・アドバイザー社からホ
テルの六月の稼 働率が発表された。 それによると、ホテル一泊料金は七〜九%(前年比増)と上昇 しているにもか
かわらず、稼働率が二けた近く上がり、総売上は六か月で十四億五千万ドルを突破すると見ている。
 
観光客がハワイで消費した額は前年同期比で六・八%増の五十五億ドルと推定。 ク ルーズ業界もすでに十二万八
千人を越え、前年同期で三一%増とこれまた好調な伸 びとなっている。
 
国会も大衆輸送機関に支援八月十日の市議会で決まる
国会は十月からの次期会計年度の予算案の中、ハワイ州へのハイウェー工事費として一億四千六百万ドルの補助
費を含んだ予算案を通過させた。 同案にはオアフ島 (ホノルル市郡政府)が導入を進めている大衆輸送機関計画の
補助が明記されてお り、ハネマン市長は、〈最重要の進展〉と評価している。
 
ハネマン市長は同予算案に含まれている近い将来、必要な時期がくれば、国は妥当 な補助金を調達すると明記され
ていることについて、「ホノルル市はすでに三十年 以上に亘り、大衆輸送機関導入を審議して来た。 今回は国家が
妥当額を補助すると 明文化されたことに大きな意義がある。 あとは八月十日のホノルル市議会の消費税増税を容認
する第四十号法案の通過が最大の難関だ」と市議会の動向に焦点を合わ せている。
 
ホノルル市議会は、同法案に関する審議では賛成七、反対二で成立間違いないとみられている。 十一年前も消費
税の増税で資金調達を試みたホノルル市議会は最終投票でリン満生市議(当時)が反対に投票し、賛成四、反対五
で否決された。 満生市議は最終投票までは、大衆輸送機関導入案には賛成派であった。 しかし、〇・五% の消費
税増額は地元選挙民に与える影響が大きいと態度を覆した経緯がある。
 
今年は違うとデラクルーズ市議会議長は語る。 「十一年前は賛否両派が拮抗してい た。 ところが今年は違う。 リン
グル州知事、州議会、市長に市議会と必要な政治的なコンセンサスはとれている。 今年の機会を逃すと本当に次回
はないだろう」
 
同議長はハワイ選出の四議員の努力に感謝を表明し、「あとは市議会が十一年前の 過ちを繰り返さないこと」と賛成
七議員(議長を含む)の団結を呼び掛けている。 それに対し反対派もテレビ、ラジオ、新聞を利用して、一般市民に第
四十号法案の廃案を呼び掛けている。
 
二十六万人の新学期始まる マノア谷は交通地獄に
一部の学校は七月下旬に新学期が始まったが、残りの公立私立学校(大学を含む) は、八月二十三日までの二週
間に新学期が始まる。 公立校で十六万人、大学で四 万人、私立校で六万人と合わせて二十六万人が新学期を
迎えた。
 
州運輸局のイシカワ局長は「毎年のことだが、新学期が始まった時の交通渋滞は 誰も経験したくない程、ひどい。
八月初め頃までの交通状況と比較すると天国と 地獄の差がある」と一般通勤者に平常時より五〜三十分の時間
的余裕を持って家 を出るよう呼び掛けている。
 
特にハワイ大学、ミッドパシフィック校、ハワイ大学付属小中高他、小学校二校 が集中しているマノア谷の交通状況
は厳しいものになりそうだ。 このマヒ状態緩 和策としてミッドパシフィック校は小学校が七時三十分、中高校が七時
五十分を始業時間とし、更に始学日も十日と十五日とずらして開校するそうだ。
 
・ ホ今年も四百人の教師不足 開校まで調達できると州教育局
ハワイ州公立校は八日二十三日で二百六十五校全て新学期をスタートする。 州教育 局(DOE)は今年も新学期
開始一か月前の時点で、四百人の教師不足を明らかにした。
 
去年は五百人不足を最後の二週間で補った経験から、ジェラルド・オカモト・DOE人事部副部長は「確かに四百人と
いう不足は大きい。 しかし学校が始まる頃には不足人数を埋める自信がある」と語った。
 
正教師としては、ライセンス取得者をターゲットにしている。 毎年ベテラン教師が定年で辞めていく中で、教師不足
は人事部の頭痛の種。 代行教師は正教師が急病等で休む時に雇用されているため、正教師として雇用できない。
それでも今年は学習遅れの児童を教える特殊教師の募集は順調に終わっている分、安堵している。
 
アストン・ホテルが「リゾート・クェスト」に改名 今秋から日本市場に参入
ハワイにホテル、コンドミニアム二十八軒を所有、管理するアストン・ホテル・アン ド・リゾート・ハワイが八月一日、
「リゾート・クェスト・ハワイ」に一斉に改名した。 リゾート・クェスト・ハワイは現会社のリゾート・クェスト・インターナシ
ョナルから命名したもので、ブランド名を統一化したもの。
 
リゾート・クェスト・インターナショナルは一九九八年にアストン系列ホテルチェー ンを買収したもので、二〇〇三年に
はテネシー州ナシュビルのゲイロード・ホテルと グランド・オプリーを所有するゲイロード・エンターテイメント社に買収
された。 リ ゾート・クェスト・インターナショナル社は本社をホノルルに移し、社名変更を機にセールス活動も米本土、
日本に広げる。
 
ケルビン・ブルーム社長は新しいリゾート・クェスト・ハワイ・チェーンに所属する二十八件の中で、アストン・コーラル・
リーフ、アストン・ホノルル・プリンス、ア ストン・マウイの三店はアストン名を継続する。 これらの三ホテルは価格の
低い市場 を狙い、他の二十五ホテル、コンドミニアムは中級以上のホテルと貸しコンドとして販売すると説明してい
る。 「日本市場も今後は力を入れてマーケティングしていく。  新しいチェーン名で日本市場に参入していく」と今秋
からの日本市場開拓を楽しみにしていると語っている。
 
<<<- このページの先頭に戻る
 
● 大下治心の世相やぶにらみ
 ・カメハメハ校は人種差別? 難しいハワイアン問題
ハワイアンを米国先住民として認め、アメリカン・インディアン同様の自主権を与えるという「アカカ法案」が国会上
院で難航している折の八月二日、サンフランシスコ の第九上告巡回裁判所の小法廷は、カメハメハ・スクール(旧
ビショップ財団)のハワイアン優先という校則は米国憲法に違反すると判決されました。
同小法廷の三人の判事のうち、二人が憲法違反(人種差別)、残りの一人は被告(カメ ハメハ・スクール)の主張
を支持しましたが、結果は被告の敗訴となり、校則の改訂が求められました。 被告は「ハワイの歴史と現状を知
らない」と直ちに上告の手続きに着手しました。
今回のケースをもう一度振り返ってみましょう。 カメハメハ校のハワイアン優先という入学校則は、一八八四年の
ビショップ財団創立時に遡ります。 同財団はカメハメハ大王第一世の曾孫プリンセス・バーニース・パウアヒ・ビ
ショップが、大王の所有地を有効 に利用し、ハワイアンの子弟の教育及び福祉に役立てるようにと五十万エーカ
ー余りの土地を財団に管理委託しました。 (現在では三十万エーカー余りになっている)
同財団は、市内のカパラマの高台の六百エーカーにカメハメハ校として幼稚園から小中 高の教育施設を運営し
てきました。 四千人をこえる生徒が広々とした最高の学園で勉学に励んでいます。 創始者の意志を継いでカメ
ハメハ校に入学できる児童はハワイアンの血を継いでいる者だけというのが校則です。
連邦政府からの援助も受けない、州政府の助成金ももらっていない、一〇〇%の私立校 として運営されてきま
した。 資金繰りに困ったのは一九六〇年代までで、それ以降は資 金も増え、財団は五人の理事に一人当たり
コミッションとして年間百万ドルを払うという名実共に大財団になりました。 その優良財団が数年前、五人の理
事不正事件が暴露され、法廷から理事総辞職を命じられる事態を招き、財団は生まれ変わりました。
そんな財団にカウアイ島で大事件が起きたのです。 同島のカメハメハ校入学取扱所が誤って白人のブレイデン・
モニカ・カミングス君(十二才)の入学を許可したのです。 同 所では後日ブレイデン君はハワイアンの血統を持た
ない白人の少年と解り、入学許可無効を通告しました。 母親は無効通知を不服として提訴しました。 連邦地方
裁判所は仮処分として、ブレイデン君の入学を認めるよう学校側に通達しました。
仮処分とはいえ、ノン・ハワイアンは入学を認めないという百年の校則は全く予期しない事務的ミスから破られた
のです。 後で分かったのですが、ブレイデン君のケースは第二号だったのです。 第一号は二〇〇二年にカメハ
メハ校のマウイ分校で一人の非ハワイ アンの少年が入学を認められていました。
これらのケースを踏まえてカメハメハ校のハワイアン・オンリーという校則は米国憲法 に違反するとゴーマンス、
グラントという二人の民権弁護士が提訴したのは二〇〇三年 六月でした。 二人の弁護士はブレイデン君のケ
ースをハワイの非ハワイアン学生がカメ ハメハ校を訴えるケースとして提訴しました。 ハワイアンでない学生は、
英語でジュン ・ドウズといわれ誰でも良い場合に使われます。 従って同ケースはジュン・ドウズ VS カメハメハ
スクール(財団)と呼称され二〇〇三年十一月に連邦地方裁で審議されまし た。
アラン・ケイ判事はカメハメハ校のハワイアン・オンリーの入校を認めるという校則は、歴史上のユニークな事情
から継続を認めると判決を下しました。 ケイ判事は校則の合憲性にはふれず、百年の歴史と実績から継続を
容認したわけですが、被告(カメハメハ校)側は勝訴として喜びました。 被告側弁護士はその後、直ちに二人の
弁護士と会い、ブレイデン君を七年生として勉学継続を許可するので、ブレイデン君のケースの撤回を申し入れ
二人は承諾しました。
もう一つのジュン・ドウズ VS カメハメハは、ケイ判事の判決を不服として上告しました。八月二日の第九上告巡
回裁の小法廷の違法判決には次の様な主文が付されました。  「私立校が例え連邦政府補助は受けていなく
ても、非ハワイアンであるという理由で生徒を入学させないという校則は米国憲法に抵触する」
これに対し被告側弁護団は、「校則はハワイアンを優先するとしているが、ハワイアンの子弟で定員不足の場合
には非ハワイアン生徒の入学を認めている。 ブレイデン君の入学が良い例だ」と反論しました。 それに対して
二人の判事は、「ブレイデン君の場合の入校は校則に従ったというより事故的に入学を認めたもの。 ブレイデン
君のケース後の学校の態度はハワイアン・オンリーを再確認する告知をしている」と一蹴しました。 
今回の判決は合憲性に言及しなかった地方裁のケイ判事の判決を覆したことになります。  プワイハオ・プラザの
財団本部で記者会見し、「ケイ判事の判例が上告裁で理解されなかったことは全く残念だ。 今回は敗訴したが、
これで終った訳ではない。 三人目の判事ユー ザン・グラバー氏は我々の主張に理解を示してくれた。 グラバー
判事のハワイアンに対する特殊感情は国会でも再三評価されてきたという意見書は今後の抗争に役立つ。 これ
からが本番だ」と敗訴を契機に抗争気運を高めていました。
集まったハワイアン支持者の中には、「三人の判事が多くの意見を聞かないであまりにも重要なケース判断をした。
二十八人の判事がいるのに三人だけとは多方面の意見を取り入 れたことにはならない。 誠に残念だ。 無理なこ
とですが、二十八人全員が裁決すべきだ」 と話す人もいました。 もう一人のハワイアンの高齢者は、「だから裁判
所はだめなんだ。  ハワイのハワイアンのことは何にも知らないで重要な裁決をするなんてどうなっているんだ。 裁
判所は白人の利権を守るためにつくった道具にしかすぎない。 全く信用できん」と言います。
今回のケースでは対岸の火事と知らんぷり(?)していた州検事総長事務所のマーク・ベ ネット検事総長も、「今
回のケースは州政府には関与することは出来ません。 もし財団が欲すれば検事総長室もあらゆる支援をする用
意がある。 今回の判決は間違っている。 財団 は最後まで争うべきですね」と歓迎しています。
カメハメハ校のハワイアン・オンリーの校則が本当に米国憲法に抵触するかどうかは、どうやら合衆国最高裁で最
終劇を迎えます。 白人のフレディ・ライス VS カエタノ・ケースは、一九九六年にオフィス・オブ・ハワイアン・アフェア
ース(OHA)の理事選挙はハワイアンだけが有権者という州の規定は憲法に違反すると訴え、州が敗訴して以来
タブー視されていたハワイアンの独特な領域が崩壊しはじめました。
いま国会上院で審議されているアカカ法案も下院では逆に五年間も足踏みしています。 今年の夏休み前に審議
されるといわれていたのが、休会明けにずれ込みました。 州知事も市長も 国会に参上してアカカ法案を応援しま
したが、休会明けに延びたことは票読みが不利だから でしょう。 でもハワイアンを先住民と認め自主権を与えると
どういうことになるのか。 誰か説明してくれませんか。
 
<<<- このページの先頭に戻る
 
年輪 7 (最終回)
・ 戦後の旅行業界の流れを振り返って
一九五〇年頃、私は小林旅行社の仕事をしていました。戦後、日本側の受け入れが許可になって、当時はアメリカ
の船がホノルル―横浜―神戸―香港―マニラの折り返しで、日系一世が日本に行くようになりました。 当時日本は
あまり物がなかったので、訪日する時は食べ物を持っていくようにとのことでしたした。 当時は人頭税 (入国税)を支払
った上に、米を持っていかなければならなかった時代でした。
 
一世の人たちは、戦時中連絡が取れなかったので、親戚とか故郷の安否を知ることに懸命でした。 文通が始まって
物がない事を知り、食糧をどっさり持っていったものです。 つまり郷里訪問ですね。 二か月くらいの滞在で一月は旅
行し、更に郷里に一月いて、横浜に集合して船で帰ってきました。
 
旅行社がすることは、日本国内の旅行の手配です。郷里訪問から旅行形態が変わっ てきたのは、日本航空が飛び
出してからです。一日で着くので、飛行機で飛び荷物 は別送貨物で送ったりしていました。その頃のハワイの様子
も随分違っていました。 アラモアナショッピングセンターの地所は空き地で、道路を挟んでまだ山側は水溜 りで、メダ
カが泳いでいました。 今のアラモアナ・ビーチは砂浜から五十メートル 先のリーフまでを掘り下げ、その珊瑚礁を山手
側の空き地に埋め、そこにショッピ ングセンターができたのです。
 
終戦後少しずつ日本人のがハワイを訪れるようになりました。でも日本から持ちだ すドルに枠があり、ワイキキのモア
ナ・サーフライダーやロイヤルハワイアンとい った高級ホテルに泊まることは大変でした。戦後数年は多くの旅行者は
ダウンタウ ンの旅館に泊まっていました。 その後旅行客が増えるにつれ、ワイキキのホテルも 建ち、日本人もワイキ
キ周辺のホテルに泊まるようになりました。 日本人にとって、 ハワイの代名詞はワイキキであり、ホノルルのではない
のです。
 
長年続けてきた小林旅館を閉めた時期と、代わりにバス会社を始めた時期は同時期 だと思いますが、はっきりとした
年代はいつだったかな。 ダウンタウンの旅館の需要は少なくなりました。 その代わり他のニーズが増えていきました。
バスの需要です。 当時はアメリカ人経営のバス会社はありましたが、日系のバス会社はありません。 日本の旅行者
が訪れ始めた当初は、HRTという会社が路線バスと観光チャー ターバスの部門があって、そこのバスを借りていました。
 
当時のことで、よく覚えている思い出があります。 或る日本の旅行社が商社の社長 たちを組織して、四十日間の世
界一周をしたことがありました。 日本を発って、ヨ ーロッパからニューヨークに入って、アメリカを見ながら最後がハワイ
によるというものです。
 
ハワイの観光は二日間で、私が担当しました。 一日は市内観光で、翌日はオアフ島 を一周しました。 その時、エス
コートの人が「ヨーロッパ、アメリカではパンばかりで飽きてしまった。 何かご飯のような弁当はないだろうか」という
ので、レスト ランで、おむすびを作ってもらいました。 ボックスにおむすびを入れ、そして卵焼 きやかまぼこ・煮しめ・た
くわんなど日本食弁当を作りました。 そうしましたら 「これが世界一周の旅で、一番おいしい弁当だ」と皆さん喜んでく
れて嬉しかったですね。
 
日本航空がハワイに来はじめた頃は、殆どが団体旅行で、皆同一行動のパターンで観光が組み込まれていました。
ホノルルに着いて、島を一周し、その後は飛行機で他の島を二つか三つ見て日本に帰るという、一週間くらいのセット
旅行でした。 団体旅行なので、旗を持ってグループでワイキキを歩いたので、目立っていました。
 
当時ハワイに行くと言ったら珍しがられ、皆さんは餞別をもらってきました。 その分、お土産を買うのは大変で、パイナ
ップルなどハワイの物を沢山買っていました。 免税店も最初は空港の一角で足りていましたが、だんだん需要が増え、
ワイキキに 免税店ができました。
 
バス会社を設立してからは、バスを二台四台と増やしていき、パーキング場はその度転々としました。 最初はなかな
か営業ライセンスがおりず、パンアメリカン、J AL、JTBやハワイ観光局に頼み、バスの必要性を証言してもらいまし
た。 HRTとスクールバスだけでは足りないので、バスを持つことが許可になったのです。
 
私共は、旅行者からの連絡を受けてバスを出します。 その後次第に、個人旅行が増え、団体で来ても自由行動が
多く、飛行機とホテルだけを利用する人が増え、団体 旅行の形態が薄らいでいきました。 最近バス会社は、別の
需要が増えています。 好調なクルーズです。 クルーズが来ると何百・何千という人が降り立つので、一度にバスを
四十台、五十台と使います。
 
こちらの日系人の生活もお話しましょう。 日本が懐かしく、日本の様子が知りたく て、日本映画を見ることが多かっ
たです。 当時日本の映画を上映していたのは、日本劇場、国際劇場、東洋劇場の三つだったと思います。 皆アア
ラパークの近辺にかたまっていました。 日曜日になると地方からたくさんの人が来て、時間の許す限り、 朝早くか
ら映画館をはしごする人たちも多かったです。 その頃の入場料は、七十五セントか五十セント位でした。
 
日本の相撲も来ました。 何年頃だったか、当時横綱は大鵬、柏戸、若の花、今の若の花のおじさんです。 大関が
北葉山、佐田の山。 以前横綱前田山が相撲協会を代表 し、外人力士の誘致にハワイの対島相撲を見聞し、今
の東関親方(高見山)をマウイ 島から日本に引っ張ったという経緯がありました。 高見山はハイスクールでフットボー
ルをやっていたので、わりかた身体が大きかったのです。 彼はマウイ島出身です。 でも相撲部屋で長期弟子入り
するわけですから特別なビザが必要です。
 
日本相撲協会がスポンサーになり、百団体がプッシュしているのですが、なかなか 日本側のビザが降りません。 島
から出てきて待機する間、私の所に一か月ほどおりました。 その間に高見山に日本の話をしてやったり、日本語を少
し教えたりもしました。 いい思い出です。
 
現在日本観光をする場合、旅行社の仕事は、主にハワイの人をツアーで日本に連れ て行くという形です。 参加者
は二世か三世、年齢が六十、七十歳代で、若い人は五十歳、四十歳代です。 日本のテレビを見て興味を持つ人も
います。 昨年は宮本武蔵、新撰組ゆかりの土地を尋ねました。 京都は特に人気があります。
 
以前は親戚に会いに行く人たちもいましたが、二世、三世の人たちは、親戚はいて もあまり付き合いがないので、
特別な用件がない限り、ホテルで出会うぐらいです。  一世の親が亡くなり、遺骨を田舎に持って言って欲しいという
遺言を果たそうと納骨のため、日本に行くということもあります。 また自分のルーツに興味を持って日本に行く人たち
はいますから、そうした方たちのお世話をできることは楽しいこと です。
 
私はハワイで生まれ日本で育ち、戦争も体験して、再びハワイに帰ってきて日系人 社会の中で仕事をしています。
今でも日本との関わりのある仕事ができ、私の企画 したツアーを「楽しかった」と言ってくれる方がいることに喜びを
感じます。 これからもハワイの日系人社会に、何かお役に立てればと思っています。
 
<<<- このページの先頭に戻る
 
月刊経済誌 「ハワイ・ビジネス」 2004年度ハワイのトップ250社
・ トップは連続でバンクウエスト(7.5%増) 日本関連企業では京やカンパニー、16位から12位へアップ
月刊経済誌「ハワイ・ビジネス」最新号(8月号)が、恒例調査として、二〇〇五年度 (数字は二〇〇四年の結果)の
ハワイ ビジネス トップ二百五十社を発表した。
 
二百五十社以外でランク入り最低高の売上額千七百六十万ドルを超えている企業は他にもあるが、
 *米本土や海外に親会社があり、ハワイベースのオペレーションに十分なデータを与えていない(例コスコ、IBMなど)
 *ハワイの会社だが今回の発表時点で十分なデータが揃っていない
 *ハワイの会社だが、年間粗売り上げ額を開示しない(フードランド、ジッピーなど) 
といった理由でランクに入っていない。
 
トップ3は、一位が〈バンク・ウエスト〉の二十二億二千六百七十万ドル(前年一位・前 年度比七・五%増)、二位が
〈ハワイアン・エレクトリック〉の十九億二千四百万ドル (前年度比八%増)、三位が〈HMSA〉の十六億ドル(前年度
比八・九%減)。
 
前年は上位十五社に初登場した企業は〈ハワイ大学システム〉、〈カメハメハスクール〉、 〈マリアット・インターナショナ
ル〉があったが、今回は〈マリアット・インターナショ ナル〉が十七位になり(といっても売上高は前年比一三・九%増)、
前年十八位だった 〈アロハ航空グループ〉が十五位に入った。 それ以外の十五位以内の変動はない。
 
二〇〇四年の二百五十社の総売上高合計は、前年度比六・九%増で三百三十八億一千九百万 ドル。 経済回復
基調に転じた前年より更に売上高が増加し、好調な経済を反映している。 雇用者数も前年度から増加に転じ、二〇〇
四年も増加を継続し、十六万五千二百一人と前年比で三・六%増を見せた。
 
ハワイの経済回復は少なくても一九九九年から始まったが、9・11、イラク戦争で基幹産業 である観光業が打撃を受
け二〇〇一、二〇〇二年は減少したが、次第に回復に戻り、好調な 金融業、建築業、不動産業などと肩を並べるよ
うになった。 六年間の経済拡大で雇用が増え、 拡大した経済成長を支える購買力が高まった。
 
業種別を見ると、農業(マウイ・ランド・パイナップル、デルモンテ・フレッシュプルデュ ース・ハワイなど四社)が前年
比で一・八%減、保険(HMSA、HMAA、HDSなど生 命損害保険、医療保険など十八社)が前年比一・七%減、
分類できない業種(アルトレス、 プロサービス・ハワイなど十社)が一五・二%減を見せたが、殆どの業種では前年比
を上回 り好調なハワイ経済を反映している。
 
景気の良い不動産開発や金融を含む複合企業(ハワイアン電気会社、A&B、カメハメハス クールズ、サーヴコ・パ
シフィック、、キャッスル&クック、パーカーランチの六社)は、 前年比で一八・六%増と大きな成長を見せた。 同様に
前年は低迷していた観光関連ビジネス (ホテル、レンタカー、旅行代理店など三十社)は一六・二%と、観光業回復
を実感する伸 びであった。 その他、一〇%以上の伸びを見せているのは、エネルギー(石油、ガスなど八 社)が一
六・一%増、非営利団体(四社)が一二・五%増、メディア(三社)が一一・一%増、製造業(食品、ドリンク、工業・
消費者向け製品など八社)が一〇・六%増。
 
前年比で最大売上成長率を見せたのは一一八・二%増(二千二百万ドルから四千八百万ドル) のハワイ大学財団
で、二百三十位から百五十位に上がっている。二位は二千二百二十万ドルか ら四千六百万ドルの増加(一〇七・
二%)を見せた〈グループ・ビルダーズ〉、三位は五千万 ドルから九千万ドルの増加(八〇%)を見せた〈ホペコ〉とな
っている。 反面、大きく減少した企業は、三十位から八十二位に落ちた〈TDフード・グループ〉の五三・六%減、百八
十四位から二四十五位に落ちた〈S&Mサカモト〉の四二・二%減、百二十七位から百八十九位に落ちた〈パラマ・ホ
ールディングス〉の四一・八%減が目立つ。

 
・日本関連企業の動き
日本関連企業のトップ上位3は〈京や〉、〈JTBハワイ〉〈ジャルパック・インターナショナ ル〉。 前年、二十八位だった
〈ソニー・ハワイ〉は前年比一九・一%減で三十九位に退いた。 前年は調査時点で十分なデータが揃っていなかった
ためランク入りしなかったハレクラニ社は今回 は七十八位にランクされている。
 
二〇〇四年から米本土の日産と統合した日産モーター・ハワイ社、ハウス食品のハワイ法人フォ モースト・デイリーズ
はハワイから撤退、プリンスヴィル、プリンス・リゾーツ・ハワイ、大林 ハワイ、R&Cハワイツアーズはデータ不足でラン
クに入っていない。 また近鉄インターナショ ナルは今回は二百五十位に入らなかった。
 
経済成長に関わらず、二百五十社から日本関連企業が撤退しているのは、主に観光関連の投資を してきた企業で
ある。 売却に好機な折り、ハワイからの投資を次第に引き上げている。
 
サントリー、三井、日本信販が所有していたプリンスヴィルは今年三月に売却。 今回、データ不足でリストに入らなか
ったプリンス・リゾーツ・ハワイ所有の四つの資産売却が市場で噂されている。 また、カハラマンダリンホテルの六〇%
の株式を所有するカハラロイヤル社(日本人投資家)が売却の意思をこの春に発表している。
 
しかし、二百五十社リストに入るまで行かなくても、不動産投資、レストラン関連、サービス業 など日本からの投資は
堅調に動いている。 その中で注目されるのが高陽USAのハワイアン深層水の日本向け輸出であり、今後も日本か
らの投資はハワイ経済の大きな位置を占めることは言うまでもない。
 
<<<- このページの先頭に戻る
 
バックナンバー: 2005年 8月 15日
当サイト上にあるリンク先の内容等については、EAST-WEST JOURNALが著作権を有するものではありません。
当サイト内の記事等は著作権法により保護されています。 弊社の承認なくコピーおよび転用は出来ません。
(C) 2005 EAST-WEST JOURNAL CORP.  All Rights Reserved.