バックナンバー: 2005年 7月15日
● トップ: EXPO 2005 AICHI JAPAN
    ロボットと巨大映像が競う「愛・地球博」の見どころは...
    ・ 102日目に入場者1000万人を越える

    ・ 夜はスムーズに入れる人気パビリオン
    ・ 毎日変わるイベントが各所で
● ハワイは今
   ・ オアフ島の人口は全州の71%
   ・ 観光客の増加、好調 五月は、月間記録を塗り替える
   ・ 米国破産法が10月17日から大幅変更
   ・ ププケア・パウマル保存グループ 買収のため、七百万ドル集める。あと五百万ドル?
   ・ ハワイの石油卸売り三社知事に新ガソリンキャップ法の中止を提出
   ・ サンセット・オン・ザ・ビーチが六月まで延命 ハワイアン・テレコム、サンセットが救世主?
   ・ ハワイカイ墓地計画再開へ
● 大下治心の世相やぶにらみ
        ・ 日立の(この木、何んの...)どうなる?
● 年輪 6:ハワイの日系社会を見続けて来た小林達吉氏
        ・ 一九五〇年、二十四歳の時にハワイへ戻る
●  News Letter from ハワイ州知事 リンダ・リングル
●  英字紙 アドバタイザーの投書欄に見るホノルル市民の生活と意見
       ・ モーターサイクルの運転者はヘルメットを着用すべきだ
● 百年を迎えた「ホノルル市郡」
      ・ これから一年記念イベントを実施
● ハワイ皇太子奨学金財団の坂井諒三理事
       ・ 奨学生4名とともに天皇皇后両陛下に拝謁
●  ズームアップ:連協の新会長に就任したベンジャミン福本氏 
       ・ 日商工会頭経験を生かし協力関係を強化したい”
バックナンバー: 2005年 7月15日
● トップ: EXPO 2005 AICHI JAPAN
   ロボットと巨大映像が競う「愛・地球博」の見どころは...

・ 102日目に入場者1000万人を越える
名古屋市内の中心部から東に二十キロの丘陵地帯で二〇〇五年日本国際博覧会(愛称= 愛・地球博)が、世界から百二十か国からのパビリオン、そして五十をこえる企業及び 暖帯の施設が参加して開催されている(三月二十五日から九月二十五日まで)。
 
一九七〇年、高度経済成長の中で行われた大阪万博(70年)から三十五年ぶりのEXP O(万国博覧会)である。この間に沖縄海洋博(75)、つくば科学博(85)、花の万博 (90)の三つの特別博覧会があったが、EXPOはそれよりワンランク上の規模の大き なもので、今回のテーマは「自然の叡智」。サブテーマは、<宇宙・生命と情報>、 〈人間の技と知恵〉、〈循環型社会〉である。
 
会場はJR名古屋駅から東へ約一時間。かつて深い森であった丘陵で、豊田市の長久手 会場と瀬戸市の瀬戸会場に分かれており、この間はゴンドラとシャトルバスで結ばれて いる。
 
いけいけドンドンの時代にあった「大阪万博」とは違い、今回は地球環境問題という地 味なテーマだけに、入場者の目標千五百万人は疑問視されていたが、五月中旬頃から一 日十万人を越える日が多くなり始め、週末は十五万人以上となり、七月四日の百二日目 にして一千万人を越える好調ぶりである。
 
ハワイからもかなりの人たちが見学に訪れていると思われるが、その中の何人かに見所 や感想を聞いてまとめてみた。
 
・ 夜はスムーズに入れる人気パビリオン
―― 私はJR名古屋から直通エクスポシャトルで万博八草駅に行き、長久手会場からリ ニモに乗ったのですが、初めて体験したリニヤモーターカーのスムーズな乗り心地の良 さに感心しました。それに高架ですから眺望もよく、特に会場近くでは大きな建物もよ く見えて、万博会場に来た、というのが実感できました。
 
―― 私は名古屋駅から、長久手会場へ直通の名鉄バスを使い、四十分ぐらいで着きまし た。電車とリニアでは乗り継ぎの待ち時間を入れると一時間少しかかると聞きました。 タクシーでも三〜四人で利用すれば結構安く上がるそうです。
 
―― 万博会場には自家用車用の駐車場がなく、会場周辺の有料駐車場を使わなければな らないそうです。そこから無料シャトルバスが出ていますが、十五分から三十分もかか る遠い場所ですから、マイカーは使えないと地元の人も言っていました。
 
―― 会場周辺には森が沢山残っていて、名古屋市内からそんなに遠くないところにこ んな緑の多いところがあるんだというのが第一印象でした。係の人の話ではその一帯は 鬱蒼とした森だったそうで、万博が終ったあとは、建物は残さず元の姿に戻すというの です。〈自然との共生〉というテーマに沿った会場造りだそうで、これまでと違った博 覧会じゃないですか。
 
―― 今までの博覧会とは違い、会場には元公園を活用。野球場やテニスコートなどすで に開発された場所にパビリオンを作ったそうです。また、もともとあった森や池を最大 限に生かし、水と緑が調和した会場となっています。
 
―― 私は一九七〇年の大阪万博が強く印象に残っているので、中央のグローバル・ルー プもただだだっ広いだけで、大博覧会の雰囲気は感じなかったですね。大阪万博はアメリ カ館も立派だったし、驚くものが沢山あった。それはテーマなのか、いや私の歳のせいも あるかも知れませんが...。各国のパビリオンもお土産コーナーやレストランがやたら多 く、博覧会と言うより巨大な遊園地のように感じました。子供たちは喜ぶじゃないですか 。感心したのはあちらこちらに設置された大きなトイレの清潔さと係員が常駐して気を配 っていたゴミの処理でした。これはあの大阪万博と大いなる違いでしょう。先進国になっ たな、と感じましたね。
 
―― 僕はニューヨーク博と大阪博を見ていますので、今回の愛知万博は、それらと比較 するとかなり感じの違うものでした。テーマが地味ですから、そのテーマに沿ってそれぞ れが苦心されたように感じました。あの前の二つの万博は企業も競って自分たちの製品・商品を全面に出していました。だか ら迫力があり、見ていても興奮するものが沢山ありました。先程、巨大な遊園地と言われた方がいましたが、確かに子連れでのピクニックの気持で行 けばいいんじゃないですか。人気の企業パビリオンは何時間も並ばなければ入れませんか ら、初めからそんなのは諦め、世界各国の雰囲気と食事、飲みものを味わうつもりなら結 構楽しめると思いました。いずれにしろ、一日では見るものが限られていますから、数日、数回行かないと愛知万博 を見てきましたとは言えないでしょう。一日では行ってきました程度ですよ。
 
―― 人気の企業パビリオンは待ち時間がかかるから、ほとんど並ばなくてもいい各国パ ビリオンを回ったんですが、それでも五〜六時間ではそんなに見れないですよ。二〜三日 通わないと無理でしょう。近くにホテルがないから名古屋市内に戻らなければならないし ...。いろいろなアクセスはあるのですが、やはり不便なところと思いました。地元の人た ちは回数券で何回も行っているそうです。
 
―― 並ばないといけないところは避けて、アメリカをはじめ、カナダ、中南米エリア、 オーストラリア、ニュージーランドなどを回りました。それぞれのお国ぶりの展示が結構面白かったですよ。中でもシンガポールでは、入口で傘 をくれたん
ですが、入ると猛烈な雨、熱帯のスコールを体験したのが印象に残っています。手軽に各国の生活用品などを見ることが出来て楽しかった。陽が暮れるまでいたんですが、建物周辺の照明が素晴らしかった。夜でないと楽しめない趣向も結構ありました。
 
―― 係の人に聞いたら、昼間は修学旅行生や団体さんが多いのでどのパビリオンも混雑す るが、夜は比較的スムーズに入館出来ると聞いて、二日目は、夕方行ったんです。午後五 時からは、入場料は半額になっていましたし、サンセットの美しさ、それに照明も美しく、 昼間とは全く違った趣があり、会場間を歩くだけでも楽しめました。会場内に池があるんですが、この水面に映る景観も良かった。
名古屋市のパビリオン「大 地の塔」横には、手を叩くとそれに反応して明るくなる美しい照明が美しかった。それにほとんどのパビリオンに待ち時間なしにスムースに入れました。前日の昼間は三時 間待ちといわれて、あきらめていたのに、〈マンモス〉が二十分待ちで見物出来ました。 夜間に行くことをお勧めします。
 
―― 私はその「大地の塔」の巨大な万華鏡が良かった。太陽を透して刻々と表情を変え 続ける光のファンタジーが楽しめました。塔の三つの巨大壁面では、凹凸のある壁を流れ 落ちる水が、気象や自国の変化も手伝い多彩で豊かな模様を描くんです。
 
・ 毎日変わるイベントが各所で
―― イベントが毎日、各所でやっているんですね。大地の広場、地球広場、EXPOホ ール、EXPOドーム、市民パビリオンなどで、それに各国パビリオン内のステージでも、 それぞれの楽器演奏と民謡民舞、コンサートと楽しめるものが沢山ありました。スケジュ ールを見たら、見たいものが沢山あるんです。でも地元の人と違ってまた来る訳にいかず 残念です。
 
―― 今回の博覧会で気が付いたことは、これまでの大阪万博やつくば博などと比べて、 多様なロボットと鮮明な巨大映像があちらこちらに使われていることでした。トヨタ館の演奏するロボット、三菱未来館のアテンダント・ロボット、ブラザーゾーンの コミュニケーション・ロボット、NEDO(ネド)の巨大ロボットなど数多く見られました。それにソニーの二〇〇五インチスクリーン、NHKの八〇〇インチ画面、トヨタの三百六 十度画面、日本館の天地三百六十度などなど。係員の話では外国パビリオンでも巨大映像 を使用しているのがかなりあるそうです。ロボットとかつてなかった大きな映像画面、こ れは大阪万博と違うところだと感じましたね。
 
―― 展示品には余り興味が湧かなかったが、巨大スクリーンに映し出される映像は面白か った。巨大スクリーンは数多くのパビリオンが競っていました。中でもグローバル・ハウスで見たソニーが開発した幅五十メートル高さ十メートル、二千 五インチと言われる〈レーザードリームシアター〉は、その巨大さと鮮明な画面に圧倒さ れました。これまで私が見た最大のものです。ソニーオープンのジャンボトロンは三百イ ンチだから、あれの七〜八倍ですから...。
 
―― 僕はこれは残念ながら見ていないが、NHKが開発した六百インチのハイビジョンの 十六倍という〈スーパーハイビジョン〉で見た日本の季節毎の絶景は、素晴らしかった。
それに長久手日本館の地球の百万分の一の球体の内部に広がる、世界初の三百六十度全天 球映像システムは楽しめた。自分が宇宙に飛んだり、海中深く潜るのを体感出来た。
 
―― 三菱未来館の六角形シアターは見ましたか? 私も残念ながら入れなかったんですが、 見てきた友だちに聞くと、最初左右十メートル、高さ八メートルのスクリーンが、途中か ら両脇の壁がオープンして、左右三十メートルに、さらに天井、床、後ろがミラーとなって、 体が宙に浮いている気分になった、と感激していました。
 
―― 映像では、さっき話したトヨタグループ館で、観客席を取り巻く高さ十五メートル、 全周百三十五メートルの三百六十度の大型スクリーンも迫力があったな。それと不思議な雰囲気を楽しめたのが、〈夢見る山〉の天井の高い円形シアター。そんなに 大きなシアターじゃないんだが、五十インチのプラズマディスプレーが床に九十六台敷き詰 められ、タテヨコ十メートルの大画面に次々に映像が出てくる。周囲にも三次元の映像が映 し出されて、すごい音響、そして何ともこの世にない世界を作り出していた。そして映像を 取り囲む巨人擬人像も異様な雰囲気でアニメ・映像で活躍している押井守監督の意欲作だと 聞きました。
 
―― 長久手日本館のそば、日本広場に「にっぽん華座」があって、歌舞伎、津軽三味線な ど、日本の伝統芸能の催しが行われているのですが、私が行った時にやっていたのが東儀秀 樹の「天平楽」でした。千二五十年前の大仏開眼を祝う祭典を現代に甦らせたものだそうで す。当日券が手に入らず、座って見られなかったので、外側から垣間見ただけですが、大勢 の人だかりでした。ああいうのは、じっくり見たかった。
 
―― EXPOドーム、EXPOホール、トトロの家を始めいくつかの入場券がインターネ ットによる事前予約されていましたので、当日手に入るチケットはそれだけ少ないんです。 インターネット予約なんてこれまでなかったもので、時代の流れなんでしょうが、そんなイ ンフォメーションを知らない人やコンピューターを使わない者にはなんとなく納得出来ない だろうな、と感じました。
 
―― 人気のトヨタ館は長蛇の列でした。朝九時に午前中の整理券を配るのですが、二十分 で完了。午後一時に行う、午後二時以後と夜の部の配布も二十分で終わりですから大変です よ。
 
――私は見れなかったけど、「三井・東芝館」も面白かったと聞いた。
 
―― 「グランオデッセイ」というんだが、僕は見て、出演してきた(笑)。遥か未来の話 で、人類が地球を捨てて遠い星で暮らしていると言う設定なんだ。人類が、再びこの宇宙船 に乗込み、地球を目指すというストーリー映画が上映されるんだが、それに登場する十数名 の中に自分の顔が出るという趣向なんです。設置された箱の中に顔を入れるとスキャンニングされ、それがCG処理されて十分後に始ま った映画の中に出てくるというお遊びなんだ。まず他では体験出来ない贅沢なものだろうね。
 
―― ヨルダン館で見た「死海」プールでの浮遊体験が予約がすぐ埋まってしまう程の大人 気だった。ヨルダンとイスラエルの国境にある湖「死海」は、流れ出る川がない上、強い太 陽が照りつけるため、水分が蒸発して塩分濃度が二六%もあり、これは塩の結晶になる一歩 手前だから体が持ち上げられるようにプカプカ浮くんです。人々を二階から見ることが出来 たのだが、理論的には分かるが不思議な気がした。死海の水にはミネラルが豊富に含まれて いるから美容にとてもいいと係の人が言っていた。
 
―― 皆さんは行かれなかったようですが、瀬戸会場にもゴンドラに乗って行き、瀬戸日本 館と瀬戸愛知県間を見ました。瀬戸日本館のテーマは〈自然を生きる日本人の知恵・技・こ ころ〉で自然に接して感性を取り戻そう、というものでしたが、森の緑に囲まれた建物の中 では、期中毎日、〈光と風の庭〉というテー瀬戸愛知県館でのシアター空間「森の劇場」は、不思議な虫の世界や次々と姿を変える森の 表情、今までに聞いたこともない森の奏でる音などがドラマチックに展開されていました。 ライブラリー空間「森の書斎」は、江戸時代に描かれた「本草図説」を通して紹介、またギ ャラリー空間「森の回廊」では、リサイクル素材などを用いて、県内の子供たちが造りあげ る約一万点の昆虫などの作品が回廊全体に広がり、私は面白かった。マギャラリーや、叙事詩劇が何回も上演されて いました。
  
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● ハワイは今
   ・ オアフ島の人口は全州の71%
   ・ 観光客の増加、好調 五月は、月間記録を塗り替える
   ・ 米国破産法が10月17日から大幅変更
   ・ ププケア・パウマル保存グループ 買収のため、七百万ドル集める。あと五百万ドル?
   ・ ハワイの石油卸売り三社知事に新ガソリンキャップ法の中止を提出
   ・ サンセット・オン・ザ・ビーチが六月まで延命 ハワイアン・テレコム、サンセットが救世主?
   ・ ハワイカイ墓地計画再開へ
・ オアフ島の人口は全州の71%
ホノルル市の都市部の人口は、二〇〇三年四月から二〇〇四年四月の一年間に僅か八百四 十六人増(〇・二%増)。全国の人口十万人以上の二百五十一都市の中では百三十五番目 と、国勢調査局から発表された。一方、郊外の郡部は五千三百八十九人と大幅に増加した。ハワイ・パシフィック大学のリーロイ・ラニー教授は、「ホノルル市の人口数の中心地は とっくにパールハーバーより西に移ったと思います。今後も郡部は新しい住宅地の開発で 伸びるが、都市部は逆に増加ゼロからマイナスになり得る」と言う。
 
ホノルル都市部の大幅な人口増は期待出来ないが、それでもこの四年間では五千六百人増 えている。(一・五%増)別表のようにホノルル市都市部の人口は三十七万七千二百六十 人で郡部の五十二万人には及ばない。全国で人口増加率の高い都市はフロリダ州のポート・センド・ルーシーの一二%。フロリ ダ州では、あとケープ・コーラル、ミランダの二都市がトップ に入っている。また、カ リフォルニア州の四都市(エルク・グローブ、モレノ・ヴァレー、ランチョ・クカモンガ 、ローズヴィル)、アリゾナ州の二都市(ギルバート、シャンドラー)、そしてラスベガ スがトップ10に入っている。
 
もっとも人口の多い都市はニューヨーク市の八百十万人で第二位のロサンゼルス市の二倍 以上、ホノルル市の三十七万人は全米四十七位である。(注・ホノルル市郡政府としては 九十万人弱の人口を有するが都市部だけでは三十七万人となる。なお、その後二〇〇五年 一月にはホノルル市郡政府の人口は推定で九十万人を突破している)
 
オアフ島の人口はハワイ州全体の百二十六万人の七一・二%に当たる。二〇〇〇年の七二 ・三%から比べると他島の人口増加率が高いことを物語っている。ハワイ郡は一三%、マ ウイ郡は一一%、カウアイ郡は五%の人口分布となっている。
 
・ 観光客の増加、好調 五月は、月間記録を塗り替える
二〇〇五年五月にハワイを訪れた観光客は五十六万七千人余りで、ホテル稼働率、売上高 など、過去の五月月間記録を更新した。米本土からの観光客は四十万人の大台に達し、日本人観光客を含む海外客は十五万八千人 を突破した。売上高も八億四千五百万ドルと五月の月間記録を更新した。
 
ホテル稼働率もオアフ島の七九・四%(七・四ポイント増)をトップに、マウイ島が七八 ・四%(四・四ポイント増)、カウアイ島が七五・一%(四・五ポイント増)、ハワイ島 が六五・六%(三ポイント増)、平均では七六・六%(四・二ポイント増)と軒並みに記 録を更新した。ホテルの宿泊料もマウイの一泊平均百八十一ドル六十八セント(四・四%増)をトップに、 カウアイ島が百七十二ドル六十三セント(四・五%増)、ハワイ島が百五十六ドル八十一 セント(三%増)、オアフ島が百三十一ドル三十六セント(一一・一%増)と各々前年同 月比で大幅アップしている。
 
オアフ島の一一%アップは特筆すべきで、多くのホテルが改装した結果による料金改訂が 売り上げを延ばしたと、州事業・経済開発・観光局〈DBEDT〉の速報はまとめている。この他、クルーズ業界も好調で今年の秋頃までは満室の状態である。地域別の観光客動態 では、米本土西部からの客が、客数も使った金額もダントツで三億二千五百万ドル。東部 客は二億五千五百万ドルで二位。
 
三位は年々徐々に客足が増えている日本で、一人平均消費額は一日二百四十五ドルと、一 人当りでは相変わらず米本土客を圧倒している。(五月の日本人客数は十二万三千人で前 年同月比で八・三%増)
今年五か月の観光客累計は二百九十万人を超えた。前年同期比で七・四%増となった。こ のままで推移するとDBEDTの年間観光客数は七百万人を楽に超えると予想している。
 
・ 米国破産法が10月17日から大幅変更
米国の破産法が十月十七日から大幅に変更され、個人破産手続きが厳しくなる。今年の第 2四半期(四月〜六月)のハワイの一般消費者の破産件数(チャプター7かチャプター13) は八百二十三件で、前の四半期に比べて一五%増。(商業、企業の破産はチャプター11= 会社更生法=で企業の再建を計る)が適応される。
月給取りが借金の支払いに応じられなくなり、持っている資産を捌きながら三年間で返済 を終えられるように計画出来れば、チャプター13が適用される。どうしても借金返済が三 年以内に終らない場合は全ての個人資産を放棄して破産する場合がチャプター7。いずれも 場合も本人の申告に基づくもので仲介役をする弁護士は何ら責任を問われることはない。
 
また申請手続き料も、チャプター7は二百九ドルプラス弁護士費用、三百〜六百ドルが本人 負担となる。つまり五百〜八百ドルあれば借金地獄から個人破産法で逃れられる。チャプ ター13の場合も申請料が百九十四ドル。弁護士料は千八百ドルから三千ドルで個人再生スケ ジュールを破産法廷で作ってくれる。この場合、資産があり、その資産を失うことなく三年で借金返済案が可能な場合に与えられ る債務者の権利、もちろん、債権者も返済方法に合意した時のみに可能。多くの場合、法廷 が仲介役となり、双方の妥協案を提示する。
 
いずれの場合にも弁護士は情報提示の責任は問われなかった。クレジット・カードなどの乱 用で借金返済が不可能になった消費者は個人破産を申告し、連邦法廷で認められれば借金返 済から解放されるケースが多くなり、年間二百万人近くが破産申告をしてきた。国会は破産 申告が安易すぎるとして破産申告の規制を強化する法案を成立させた。
新法では個人破産の場合、借金を五年間で返済すればよいと支払い期間を延長することで少 しでも借金返済を緩和し、個人破産を防ぐ。個人破産を法廷で認められるには六か月の資金 繰り講座を受ける。弁護士は法廷に提示する破産理由の裏づけを取る義務が生じ、調査等を 周到にする。
 
つまり、借金返済が苦しいからと安易に破産は認めないという内容になっている。ある市内 の破産法廷専門弁護士は、「クレジット・カード乱用の消費者の多くは破産ギリギリの線で 頑張っているでしょう。ハワイの破産申告者数は去年の第1四半期までは減少しました。国 会で破産強化法が審議されるようになって、四半期七百六十件まで下がった件数が徐々に増 え今では九百件を超えました。十月十七日からの破産法廷審議は厳しくなるし、弁護士費用も三倍ぐらいに跳ね上がるかも 知れません。ギリギリの線で頑張っている消費者の十月十六日までの駆け込み破産申告はこ れからもっと増えるでしょう」と説明している。
 
・ ププケア・パウマル保存グループ 買収のため、七百万ドル集める。あと五百万ドル?
オアフ島ノースショアのサンセットビーチの山手、千百二十九エーカーの敷地を宅地開発か ら守りたいとする地元グループは、これまでに七百万ドルの資金を集め、土地所有者の日本 の大林組と譲渡交渉を続けていることを明らかにした。交渉はすでに最終段階に入っており、 同グループは年内にまとめたいと言っている。同地はププケア・パウマロと呼ばれ、カメハメハ・ハイウェーから高台となっている千百二 十九エーカー。一九七四年に大林組が買収し、高級別荘五百戸の開発を明らかにしていた。
 
サーフィングのメッカ、ノースショアを眼下に見下ろす最高の別荘地。大林組は開発計画を 白紙に戻し、二年前にププケア・パウマルを千二百万ドルで市場に出した。地元民は、転売 されると宅地開発が進められ、自然の聖地としてあがめてきたププケア・パウマルが破壊さ れると立ち上がり、ノースショア・コミュニティ土地信託というボランティア組織を作った。 連日、どうすればププケア・パウマルを救えるかを、あらゆるジャンルの人を呼び集めて協 議した。
 
井上国会上議、ケース国会下議、州議会から市議会、連邦政府関連事務所、全国土地共有組 織などと策を練った。結果、大林組から買い取るしかないということになり、資金集めが始 まり、僅か一年余りに七百万ドルが国内及び世界の自然愛好家から集まった。しかし、売り手の千二百万ドルにはまだ五百万ドルも足りない。この資金をどうやって集め るのか。州議会も市議会も資金はないという。最後のツメに入ったボランティア組織。成り 行きが注目される。
 
・ ハワイの石油卸売り三社知事に新ガソリンキャップ法の中止を提出
米本土のガソリン市販価格より常時三割以上高値のハワイのガソリン価格を制限するキャッ プ法が九月一日に施行される予定だが、ハワイの石油卸し売業三社は各々、別々に施行中止 を求める書簡をリンダ・リングル州知事に送付した。
 
石油業界の卸売り価格にハワイの卸売り価格をスライドすれば、小売価格が制限出来るとす る州議会はキャップ法を成立させた。ガソリン価格を制限するという国内で始めてのこの試 みはあと六週間で施行される。価格制限に猛反対するシェブロン、テソロ、シェルの石油卸 売り会社は各々、書簡で新キャップ法は施行されると、(1) ガソリン価格は安くならない (2) 精油会社のハワイ撤退と言う最悪の事態を招くとして、同法の中止を州知事に依頼した。 (三社のうち、シェル石油はハワイに精油施設を持っていない)
 
「自由市場が原則の現代にキャップ法の施行は石油業者のハワイ市場撤退を招く結果になる。 期待される市販価格も安くなるどころか、供給不足で市販価格は逆に高くなる。健全な需要 と供給の自由市場の原則が守られないと、反対の結果を招く」と、市場コンサルタントの意 見を盛り込んだ嘆願書を州知事に送った。ガソリンの価格はPUC(公共事業委員会)の管轄ではないが、PUCがキャップ法の修正 を審議していると言われる。キャップ法を創案した民主党議員の一人は、「もしうまくいか なければ、来年の州議会で修正すればよい」とのコメントに、あまりにも無責任な発言だと 石油業界では憤慨している。
 
・ サンセット・オン・ザ・ビーチが六月まで延命 ハワイアン・テレコム、サンセットが救世主?
市の緊縮予算から中断されることになった「ワイキキビーチのサンセット・オン・ザ・ビ ーチ」が、民間企業がスポンサーとして名乗りを挙げ、少なくとも来年六月まで継続され ることになった。先頃企業買収で地元通信企業大手となったハワイアン・テレコム社は、このイベント継続 に必要な経費の一部、十二万五千ドルを提供すると発表した。
 
同社のミチャエル・ルーリーCEO(最高経営責任者)は十二万五千ドルの拠出について、 「我々の企業はコミュニティと密接な関係を維持していくことが大切だと常日頃から思っ ている。サンセットはその意味でもスポンサーする意義は大きい。我々の行為が他の民間企業協賛 の火種となれば幸いだ」と説明し、他の民間企業に参加を呼び掛けた。
サンセット・イベントの意義を認めながらも、ホノルル市には全額負担する余裕はないと 市長も市議会も計画断念していただけに、今回のハワイアン・テレコム社の提供を称賛し ている。
 
同計画を継続するには年間七十万ドルから八十万ドルの資金が必要、すでにHTA(ハワ イ観光事務局)は三十万ドルの拠出を決めている。それにハワイアン・テレコム社の十二 万五千ドルを加えても年間経費には不十分。同イベントの運営を移譲したワイキキ改善協会のリック・エゲット会長は、「資金的には 充分ではないが、イベントは来年六月まで継続出来る。これから更に積極的にスポンサー 集めを進めたい」とシード・マネーの拠出に喜んでいる。
 
・ ハワイカイ墓地計画再開へ
五年間放置され、地元民から苦情が続出していたハワイカイのカミロヌイ谷の奥地の墓地 開発計画がやっと前進することになった。同地の墓地計画は五年前にローカル・グループが着手。二〇〇三年に中断され、六十九エ ーカー敷地は七百五十万ドルでシカゴ市の投資グループPRM不動産会社に転売された。 PRM社は同計画をパラダイス・メモリアル・パークと命名し、六万区画を基地として開 発する予定だった。同計画はPRM社の資金繰り困難と会社の組織再編で、遅延されてき た。
 
六か月前には防埃幕がはられ、盛り土も収集されたが、そのままの状態で計画の進展 はなかった。地元民は大雨毎に集められた土砂がクアパ池に流れ込み、自然生態を崩壊す ると苦情を述べてきた。
 
七月上旬、PRM社は開発準備が整ったと開発着手を発表。来る七月二十六日にパラダイ ス・メモリアル・パークの総合計画を地元民に説明すると発表した。第一期工事ではチャペル(礼拝堂と事務所を含む)と墓地苑(一万二千区画)、人工滝を 中心とした庭園も含まれる。管理人用の住宅も同工事に含まれている。最終的には六万区 画が計画されているが、墓地経営で失敗している墓地もあることから、同区画が途中で挫 折しないか、ある地元民は会社側の意向を確かめたいといっている。オアフ島での墓地開発計画は一九六〇年代のヴァレー・オブ・ザ・テンプル、ミリラニ・ メモリアル・パーク以来、五十年ぶりである。完工は二〇〇七年春の予定。
 
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● 大下治心の世相やぶにらみ
・ 日立の(この木、何んの...)どうなる?
♪この木、何んの木、フシギな木…♪ と、日本全国のテレビで流れた〈日立グループの コマーシャル(CM)の木〉は、ホノルル市内のモアナルア・ガーデンにあります。この 木の存続がいま、関係者の間で論議されています。モアナルア・ガーデンはトリプラー陸 軍病院のある高台のふもとにある大きな公園です。そのガーデンには十数のモンキーポッ ドの木が大きな枝を空に広げて百年以上も棲息しています。
 
その中の一本の木が日立グループのTV・CMに使われるようになったのは一九七三年か らです。CMの中では大きな傘のように形良く枝葉を伸ばした一本のモンキーポッドが青 空にクッキリと雄姿を誇っているように見えます。大きな傘は雨や風から人間を守ってく れます。多業種に躍進する日立の企業グループは社会に幅広く貢献しているイメージを与 えています。日立グループは大きな傘でモンキーポッドと同じですと訴えてきました。視 聴者から好評を得たCMで、三十年以上も経った今でも使用されています。
 
TVが普及し、日立グループのCMの木は〈モアナルア・ガーデンのモンキーポッド〉と 知られるようになり、同ガーデンは日本人観光客の名所となりました。小生も先日、日本 からの友人をモアナルア・ガーデンに案内しました。
友人は、「これが日立の〈何んの木〉の木か。スゴイね。でも青空にクッキリではないね」 と苦言を呈した。確かに数本の木が百年以上にもなる訳ですから、木も大きくなり、一本 だけがクッキリとはいかないようです。「三十年前には角度により、この中の一本がクッ キリと浮かび上がっていたのでしょう」と言うと「あ、そうか…」と言って三十分間も木 を観測していました。
 
とにかく日本人ならほとんどの人が知っている木です。ただその木がモアナルア・ガーデ ンの木だと知っている人は少ないかも知れません。そのモアナルア・ガーデンが、庭園を 所有してきたデイモン財団の解体で将来がどうなるのか心配されているのです。
モアナルア・ガーデンはそもそも、一八八四年にサミエル・ミルス・デイモン氏がプリン セス・バーニース・パウアヒ・ビショップから授与された広大な土地の一角です。後に銀 行業で成功したデイモン氏は財団を組織し、不動産の有効な管理を計りました。市民への 還元としてモアナルア庭園を造成し、財団が必要な維持費を負担してきました。
 
その財団も最後の相続人となっていたジョーン・デイモン・ヘイグ夫人が去年の十一月に 死去したことで財団の解体が遺言通り始まったのです。所有する十万エーカー移譲の土地 の処分はほとんど完了しました。ガーデンも売却処分にあるのですが、ガーデンのモンキ ーポッドはホノルル市議会から重要樹木に指定されていることで、処分が難航していると 言うのです。
 
つまり、このガーデンの新所有者は勝手に庭園内の樹木を処分できないからです。ホノル ル市議会の承認が必要なのです。新しいオーナーは明らかにされていませんが、樹木を保 存するためにはホノルル市がこのガーデンを買収する必要がある訳ですが、市にはカネが ありません。今のところ市はサイドから傍観することに決めています。
解体が決まって、日立は何度かデイモン財団にモンキーポッドの一般公開の可能性を模索 しています。三十年以上に亘り日立グループのCMの主役を務めてきたモンキーポッドに 異変が起こっては困るのです。そのCM使用料として毎年二万ドルを財団に払ってきた日 立としてもモンキーポッドがある庭園が閉鎖されたり、切り倒されたら困るからです。
 
財団は毎年七十万ドルを維持費に支出してきました。日立が支払ってきた年間二万ドルの 使用料では不十分です。といって日立が使用料金を増額することも考えられますが、一挙 に七十万ドルの全額負担は考えられません。解体する作業も市議会の認可が必要と成れば、 複雑な手続きを経なければいけません。と言ってモンキーポッドを救えという市民運動も 起きている訳ではありません。
 
考えようによっては、三十年余り日立グループのCMに役立ったモンキーポッドです。日 立グループなら庭園を買い取り、日立グループのイメージを存続させることも一選択肢で はないでしょうか。
 
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● 年輪 6:ハワイの日系社会を見続けて来た小林達吉氏
・ 一九五〇年、二十四歳の時にハワイへ戻る
私がハワイに戻ってきたのは、一九五〇年二十四歳のときでした。戦後のハワイで見たり 聞いたりした逸話といえば、日本からハワイに帰ってきた直後、驚いたことには日本語放 送局から日本海軍の軍艦マーチや軍歌を放送していたことです。この当時日本で軍歌を歌 っていたら、直ちに取調べを受けることは必定で、アメリカはなんとおおらかな国だなあ と驚き感心しました。
 
次にハワイにはにほんと違って煙突がないことに気がつきました。当時のハワイの産業は 農産業が主で、サトウキビ、パイナップル産業が盛んでした。だから郊外でしか砂糖会社 の煙突やパイナップルを運搬する大型トラックは見られません。まだ、観光客が訪れるよ うなハワイではありませんでした。
私は小林旅館の事務所の手伝いをするのですが、日本に帰って英語は忘れていましたから、 電話に出ても受け答えができません。そこで一年間マッキンレー高校に入りました。学校 はハワイの人が中心で、一部日本から来た人もいました。四七年ころからでしょうか、日 本にいた二世の人たちが少しずつ戻ってきて、同じように英語の勉強に来ていました。
 
戦争時代は、住むところもない、金もない、食べるものもないという時代でしたから必死 で生きてきましたが、その無理がたたったのでしょう、ハワイに来てから肺の病気にかか りました。二年ぐらいは入院していましたね。私のように日本から来た連中は、身体を壊 す人が多かったです。当時の治療法は注射と飲み薬と安静でしたから、同じ境遇の人たち と友達にもなりました。二年間の入院生活は長かったけれど、でもまあ、若かったのでい つかは治るという自信はありました。
 
退院した後は、ハワイ大学へ行きました。大学では専門というよりも、英語ということも あり、一般教養の単位をとっていました。戦後の帰米二世と現地の人との食い違いも、言 葉の関係などがあり、うまくいかないこともありました。私は一番大事な小学校時代に日 本で勉強していましたから、気持ちは日本人でした。でも日本はまだ物が不足していまし たから、帰ろうという気持ちはありませんでした。
当時旅行客といえばサンフランシスコ、ロサンゼルスからマトソン汽船に乗り、汽船会社 所有のロイヤル・ハワイアンホテルやモアナ・ホテルに投宿し、ワイキキビーチでのんび り楽しんでいました。ワイキキのホテルといえば、前記の二つのホテル以外にビルチモア ホテル、ハレクラニホテルのコテージがあったくらいです。
 
日本からハワイへといえば、飛行機はパンアメリカンのクリッパー機のみで、それも週一 便。羽田空港からウエキ島に一旦寄り、給油後、ハワイまで十八時間の飛行でした。旅客 は外国人ばかりで、日本人はいませんでした。一九五二年に日米講和条約がサンフランシ スコで調印された後、日本の事情も良くなり、半官半民の日本航空が国際線を飛ばすこと になりました。
 
日本航空の一番機がハワイに飛んだのが、一九五四年です。それ以前の二年前から設立準 備に来られた人が今もハワイで健在で、隠居しておられる四代目ホノルル支店長の野原克 也さんです。日本航空のみならず、ハワイの発展に随分尽力された人です。
 
日系一世の方々は日本国籍の日の丸をつけた飛行機を大歓迎し、利用するようになりまし た。日本航空の機長・副機長は外人で、操縦する場合の地上との連絡は英語です。副操縦 士やナビゲーター・フライトエンジニアは日本人でした。飛行機に乗っている人たちは、 戦争中日本の空軍にいた人たちです。自分たちでも飛ばせることはできますが、言葉の問 題で機長にはなれませんでした。
 
スチュワーデスは二十人ぐらい乗っていました。六十人乗りの小型の飛行機でも、初めは 全てファーストクラスでしたから、いろいろなサービスが必要でした。飛行賃も高額でし たので、大会社の社長級か国会代議士といった人たちです。
当初の頃は、パーサーは機内で使ったテーブルクロスなどを持ち帰り、洗濯をしてアイロ ンをかけて、次のフライトに使っていました。それだけ日本航空自体もお金がないので、 節約が必要でした。当時は皆一生懸命やったものです。スチュワーデスも飛行時間が長い 中、次から次へと機内サービスを行っていました。
外国人の機長以外、パーサーや副操縦士は私どもの小林旅館に泊まり、スチュワーデスは ホノルルに一軒家を借りて、交代で入れ替わり立ち代りそこを使っていました。一番機の パーサーは、後に日本航空ホノルル支店長として戻ってきた秋山幸雄さんという方でした。 
 
最初は週に一便でしたが、しばらくして週に二便と増えました。それでも二・三日暇があ ります。次のフライトまでに、他の島に行く人もいましたね。仕事は大変でしたが、落ち 着けばのんびりする時間もありました。
空港は、現在の位置と違ってもっと沖の方にありました。小型の飛行機がある場所です。 飛行機が着くと、ハワイミュージックのバンドが出て、降りてくる観光客一人一人にレイ をかけていました。フラダンスの歓迎もあったと思います。
当初日本からアメリカに行くことは、非常に難しく、まず入国のビザを申請しなくてはな りません。それには出張先の会社から身元引き受け書を必要としていたのです。出張費の ドル申請も枠があり、一日の全ての費用が確か二十五ドルだったと思います。出張日数に より、大蔵省へドル申請します。時間も随分かかったものです。
 
朝鮮戦争の勃発以来、日本の軍需産業が活発となり、経済も次第に景気が良くなり裕福に なり、海外旅行も次第に考慮されるようになりました。一九六四年の東京オリンピック後、 ドルの自由化となり、ハワイへの旅客が一気に増えたようです。ブームの一端を担ったの は、岡晴夫の歌った〈憧れのハワイ航路〉。それに続き鶴田浩二、岸恵子出演の〈ハワイ の夜〉の上映。加山雄三の〈ハワイの若大将〉などの人気がハワイのブームになったと思 います。
戦争直後はしばらく、ハワイから日本への渡航は、食糧難で観光受け入れ施設も充分でなか ったため、入国許可が下りません。日本の商社との取引のある会社の人がバイヤーの名目で、 一部許可されていました。東京でのホテルも、指定された東京駅近くの八重洲富士屋ホテル をよく利用したものです。
 
日米講和条約が設立され、日本への渡航も許可となり、当時は客船で日系一世が郷里訪問の 名目で、横浜港に上陸したものです。およそ二か月間の滞在でしたから、一か月ぐらい久し ぶりの日本観光をすませ、その後郷里訪問するものですが、食糧難から衣類のみやげ物を沢 山持っていったものです。日本の事情を知りたい望郷の念の現われで、戦後日本の映画・舞 台などを憧れて出かけたものでした。
その後、スポーツ芸能関係の人が続々とハワイに来るようになり、愉しい話、嬉しい話、珍 しい話を見たり聴いたりしました。
 
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News Letter from ハワイ州知事 リンダ・リングル
アロハ! 先月は、百九十名からなる実業使節団を率いて中国と韓国を訪れました。この使節団は、 ビジネス、観光、教育、テクノロジー、観光開発、芸術、文化の六つの分野におけるハワ イの役割を拡大することに重点をおいていました。
 
この旅行のハイライトの中の一つに、中国において最近開設したハワイ最初の事業・観光 事務所の開設祝賀がありました。ハワイは、全米の中で州事務所の認可を得た二番目の州 でした。我々はまた、広東州との姉妹州関係締結二十周年記念と、韓国の済州島との十九 年にわたる姉妹関係を祝いました。
さらに、州の高度技術開発公社は、北京・中関村国際孵化器(企業家育成支援)有限公司 とハワイ州外で初めてのハイ・テク事務所を開設する件で合意に達しました。私はまた、 中国、韓国の政府の役人と高官、観光業、ハイ・テク産業の指導者、ハワイ大学の卒業生 らと会い、これらアジア市場におけるハワイの文化的、経済的連携の強化を図りました。
 
中国と韓国への使節団は、アジア・太平洋地区におけるハワイの地位を向上させるという 我々の継続的な努力の一環です。これらの国々とのパートナーシップは、日本、フィリピ ン、ベトナム、太平洋諸島の国々など他の近隣諸国とのパートナーシップ同様、州の経済 的な弾みを一層強め、ハワイに末永く恩恵をもたらすものです。
アジアへ旅立つ前に、私は、州の長期的経済成長を維持するための行動計画を策定する 「経済弾み委員会」を発足させました。州は、現在のところ全国で最低の失業率(五月は 二・七%、州の失業率としては十四年間で最低)、強い雇用創出、増大する個人所得、記 録的に低水準の破産件数に支えられて、強く、たくましい経済を満喫しています。この時 こそ、我々の経済の強さを維持し、前進させるための必要な措置を取るべき時です。この 超党派委員会の勧告は、我々の生活の質を高め、州の虚弱な環境を保護し、ハワイ独特の ライフスタイルを永続させるための経済政策を策定する助けとなるでしょう。
 
Eメール Governor.Lingle@hawaii.gov または毎水曜日午前八時からのKHVH 830 AM (521-8383) の私のラジオ・ショウに電話を下さり、貴方のお考え、ご意見、ご提案を下 さるよう希望しています。また、私のウエブサイト www.hawaii.gov/gov にアクセスし、 私の電子ニュースレターの購読申し込みも出来ます。
 
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英字紙・アドバタイザーの投書欄に見る ホノルル市民の生活と意見
・ なぜモーターサイクルの運転者はヘルメットの着用を義務付けられていないのだろうか?
先日、ユニバーシティ・アベニューで死亡事故があったし、もしモーターサイクルの運転 者がヘルメットの着用を義務付けられていれば死亡しないですんだ事故も沢山あると思う。
車のシート・ベルト着用について今大々的にキャンペインが行われている。しかし、これ は重点の置き方が間違っていると思う。政府はモーターサイクルの運転者と同乗者にはヘ ルメットの着用を義務付けるべきだと思う。 (6・3)
 
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● 百年を迎えた「ホノルル市郡」
・ これから一年記念イベントを実施
一九〇五年にスタートしたオアフ郡(カウンティ・オブ・オアフ)。今年が百年に当たるた め、記念の様々な行事が行われるが、これに先駆け、六月二十九日ホノルル・ハレにて、 キックオフが行われた。
 
ホノルル郡政は丁度百年前の七月一日に稼動し、二年後ホノルル市郡(シティ・アンド・ カウンティ・オブ・ホノルル)と改名されている。 これに合わせ<Ha’aheono’o Honolulu> (ホノルルプライド) 〉をモットーに、三月に結 成された百年祭記念委員会が一年間にわたる記念イベントを企画している。
 
プレスイベントに出席したムフィ・ハネマン市長は、ホノルルプライドのロゴの入ったポ ロシャツとキャップを身に着け、「イベントの中にはホノルルに貢献した百人の表彰も含 まれています。是非ホノルル市民全員が、この一年を祝い楽しんで貰いたい」とスピーチ した。
キック・オフ・イベントとしては、七月一日ワイキキシェルにて、フリーコンサートが開 催された。ハワイアンカルチャーを中心としたエンターテイメントを、多くの市民が堪能 した。
 
今後のスケジュールは以下の通り。 なおイベントの最新情報は、www.honolulupride.com で入手できる。
■ 七月十五日から十九日
     ・ ナショナル・アソシエイションズ・オブ・カウンティーズ・コンベンション  … ハワイ コンベンションセンター 
■ 七月二十九日から三十日
     ・ ハワイ・インターナショナル・ジャズ・フェスティバル  … ハワイシアター
     ・ スターバックス・35th・アンニューアル・ロイ・サクマ・ウクレレ・フェスティバ ル
     … カピオラニパーク
■ 十一月十七日
     ・ センテニアル・ボール  … シェラトン・ワイキキ・ホテル (貢献のあった百人を表彰)
■ 二〇〇六年七月一日
     ・ 百年祭グランドフィナーレ
 
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● ハワイ皇太子奨学金財団の坂井諒三理事
・ 奨学生4名とともに天皇・皇后両陛下に拝 謁
去る七月一日、坂井諒三・ハワイ皇太子奨学金財団理事は、皇居御所において天皇・皇后 両陛下に約一時間に亘って拝謁する栄誉に浴した。 ハワイ皇太子奨学金制度は、現天皇・皇后がご成婚を記念して設立された由緒と歴史あるもので、ハワイから日本へ一〜二名、日本からハワイに一〜二名の留学生に対して奨学金 が贈られている。
 
坂井諒三理事(ソニーハワイ上級顧問)は、「ハワイの財団は長らくラルフ本田さんが理 事長を務めておられましたが、一年前に亡くなられ、今はアール大川さんが理事長です。  今日、日米四名の奨学生をともなって皇居御所へ拝謁する役目を、大川さんから私にその任を仰せつかったんです。
実は宮内庁で簡単にご挨拶するぐらいに思っていたところ、拝謁前の経団連会館での打ち合わせには、奥田会長、シェファー駐日米国大使などが顔を見せられ、これは大変なこと だと思いました。そして、四名の奨学生と日本での財団責任者の中村芳夫専務理事と共に皇居の一番奥にある御所にまで行ったんです。
 
天皇・皇后両陛下の前に、ハワイから一年前から留学中のジェシカ・ブッシュ奨学生(早 稲田大学に在籍)、ジェーン・ヤマシロ奨学生(東京大学に留学予定)、八月に日本から ハワイに留学する古賀まみ奈さん(ハワイ大学留学予定)、山田亨さん(ハワイ大学留学 中)の四名が、側面に中村芳夫専務理事、そして私が座りました。両陛下からの質問にそ れぞれお答えしたのですが、四名の奨学生に対しては充分知識をお持ちで的確な質問に、 よく勉強されていると感心しました。 そして予定の三十分が一時間に及びました。異例のことだと聞きました。ご自分でつくら れたこの奨学金には大変関心をお持ちなことがよく分りました。両陛下を間近で親しくお 話出来、名誉なことと喜んでいます」と語った。
 
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● ズームアップ: 連協の新会長に就任したベンジャミン福本氏 
・ ”日商工会頭経験を生かし協力関係を強化したい”
ハワイ日系人連合協会(連協)の第四十七代会長にベンジャミン福本巌夫氏(六十七才) が選ばれ、去る六月二十五日、ハワイ日本文化センターのマノア・グランドボールルー ムにおいて、新会長を含む新役員の就任式が行われた。新会長となった福本氏は、ホノルル日本人商工会議所前会頭を務め日系ビジネス社会で活 躍しただけでなく、州やホノルル市郡政府の高官として奉職するなど官民両方のキャリアを持っている。
 
連協に加入したのは八年前。故・友沢俊夫広島県人会長に誘われ広島県人会に入会し、その延長で連協の活動に参加するようになった。友沢会長が亡くなった後、広島県人会長に就任し、今年、連協会長になることもあって県人会会長を退任した。
 
福本氏は生まれも育ちもホノルルという日系三世。父方、母方の祖父母共に広島県出身と いうことで、広島とは縁が深い。 「血もそうだけれど、僕はホノルル日本人商工会議所に長くいるので、姉妹会議所である 広島商工会議所のメンバーと親しく、僕がホノルル日商工と広島の窓口になっています。
 
広島県人会の催しに四年前からピクニックを始めました。出店にお好み焼きを加えたら、 今では列ができるほど人気ブースになりました。最初の鉄板は僕が買ったけれど、今年の 広島県人会五十周年ではおたふくソースの佐々木社長が鉄板を寄付してくれました。いつ も、コックさんを寄越してくれるし、協力してもらっています。それに、賀茂鶴酒造から はお祝の樽酒を寄付してもらったり、広島との繋がりの深さを感じたものです」と、福本氏。以前から連協会長就任は打診されていたが、広島県人会会長と兼任はしたくなかったので、 五十周年記念行事が終わってから連協に専念したいと計画を立てていた。
 
福本氏はマッキンレー高校からハワイ大学へ進んだ。在学中に予備士官研修コース(ROTC) を終えていたので、卒業後は陸軍少尉で入隊。大尉で除隊する前の五年半の間にベトナム 戦争にも従軍しブロンズスターなどの勲章を受けている。除隊後、IBMにマーケティング部門で十五年間勤務。そのうちの二年間はIBMジャパンで赴任し、一九七四年には外国人で初のIBMジャパン社長賞を受賞した。
 
ハワイに戻り、太平洋地区マーケティング部長で勤務し、八一年に、ホノルル市長となっ たアイリーン・アンダーソン女史に誘われ、データシステム副局長に就任。二年後にGTE ハワイアン電話会社の営業部長、八九年から九二年にはタンデム・コンピューターのハワイ総支配人を歴任した。九二年にタンデム・コンピューター・ハワイ支社が閉鎖されたの で、サーブコ・パシフィックのグループ副社長に就任し、九四年に早期退職した。
 
九四年にカエタノ州知事政権下の商業消費者局副局長に任命され、州政府入り。その後、 ハワイ州空港管理官の特別補佐を最後に二〇〇〇年にすべての職務から引退する。テレコミュニケーション、テクノロジー関係のビジネス、営業マン、州、市郡政府の高官 と多彩な職歴を経てきたが、コミュニティー活動にも早くから参加し、ロータリークラブ、 ハワイ商工会議所、日商工の会員として活動に積極的に働いてきた。
 
「何でもやり始めると一生懸命やる。日本語もそう。僕は三世で家族の誰も日本語を話さ なかったけれど、二年間の日本滞在で猛勉強したよ。仕事もコミュニティー活動もそう。 引退してやっと時間ができるかと思ったら、各団体の会長になったりしているので、スケ ジュールはいっぱい。ワイフは文句を言っっている」と、苦笑い。
 
ビジネス交流のホノルル日商工と異なり連協は文化交流や推進が目的。ホノルル日商工会 頭が連協会長になる(またその反対)例は、珍しい。「古い時の事は知らないけれど、三十年以内なら僕だけではないかなあ?目的が分かれて いるようですが、どちらにしても、今までの伝統を継続し、そして新しい課題に挑戦して いく。ビジネスが発展するためにはプランニングが大切。連協も同じこと。一年間の会長 任期で結果をあげる誓約はできないけれど、次の人にバトンタッチをしていくプランニン グを立て実行に向けて進んでいきたいと思っています」と、福本氏。
 
就任式で福本氏が掲げたのは『チームワークとハーモニー』。
 
「ハワイ全人口の二二%が日系人と言いながらも、伝統的な日系団体の会員数は減少し、 平均年令は高齢化している。若い層を勧誘するのが難しくなっています。若い人はBON DANCEを知っていても、お盆の意味を知らない。なぜBON DANCEをするのか、 それを会員が若い人に教えていかなければならないと思います。マキキ移民墓地の存在も そう。
 
日本語教育のサポートも重要です。ハワイで日本語ができる強味を若い人達に知ってもら いたい。そのためには、いろいろなソースを通じて積極的にPR活動を行う必要がありま す。我々が団結し、日本の文化、伝統を伝えていくのが連協の役目と思っています」と、 長年、ビジネスに携わってきた福本氏だけに、PRの重要さを訴える。
 
六十七才だが、年令より若く見える身体はスポーツで鍛えたもの。月曜日から金曜日の週 日は、ホノルルクラブかYMCAでのエクササイズは日課となっている。家族は最近、ホクラニ小学校校長を引退したエルミラ夫人との間に四人のお子さん、五人のお孫さんがいる。就任式が終わって次の週に、夫人のコンベンションのお供でフロリダへ発った。これから は奥さん孝行にも励むとか。
 
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バックナンバー: 2005年 7月15日
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