バックナンバー: 2005年 5月15日
● トップ: ネット詐欺と個人情報盗難

要注意!
ット詐欺と個人情報盗難
- 利便性の裏にはびこる危険性を検証 -

● ハワイは今:
  ・ハワイ州議会60日の会期を終える
  ・ホノルル市議会  大衆輸送機関 導入資金として消費税増額
  ・カカアコ開発計画 最終4候補社を発表
  ・アウトリガー コンド開発に急遽変更
  ・リサイクル法修正案通過
● News Letter from リンダ・リングル州知事

● 大下治心の世相やぶにらみ
  ・ハワイの高齢者人口 二〇三〇年には二二%に
  ・ハワイ州の日本人は二〇%
● 料理の鉄人
  ・坂井宏行シェフ来布
● 平成17年春の叙勲
  ・アール・オオカワ氏が〈旭日小綬章〉を受賞
● アメリカ定点観測(佐藤成文)
  ・1600満点から2400点満点
● がんばるハワイの新一世
  ・「サンシャイン・スキューバ」オーナー篠前元男さん
● 講演「命の大切さ、命の不思議」(下)
  ・『がんばらない』の著者 鎌田實医師
● 年輪「ハワイ日系人社会を見続けてきた小林達吉」(4)
  ・日本で過ごした子供時代
● ホノルル市民の生活と意見
  ・英字紙アドバタイザーの投書欄に見る
● 第七回「ハワイ大学詩コンクール」日本語専攻学生の詩
  ・入賞者発表
● ホノルル点描
  ・ハウツリーの木陰
● 日本通信(東都仁志人)「殴り殺される覚悟」で書いたら
  ・韓国に見る言論の自由と知識人
バックナンバー: 2005年 5月15日
● 要注意!ネット詐欺と個人情報盗難 -- 利便性の裏にはびこる危険性を検証
ITの発達で、キャッシュレス環境が加速している。プラスチェックカードで殆ど の用は足せ、買物や予約もわざわざ店に出向かなくてもインターネットを帳じて出来、 クレジットカードで決済をする。ITのおかげで我々の生活はますます便利になって いく反蔓、物事には功罪がある。カードやインターネット犯罪の増加である。この種 の犯罪は、犯罪防止策を打ち出しても、その上を行く犯罪が次から次と生まれ、いた ちごっこというのが現状である。
 
こうなっては利用者が賢くなり自衛しない限り、犯罪を防ぐ事はできない。あまり神 経質になり、便利なクレジットカードやインターネットを利用しない手もないが、利 用する限り、注意が必要。私は大丈夫と思っている人ですら、ひっかかるカードやイ ンターネット詐欺。その手口は巧妙になる一方だ。利用者の情報セキュリティー対策 がいっそう望まれる。
(松本) 
 
被害は多いが 検挙が難しいハイテク詐欺
インターネットが普及し今迄電話や郵便、ファックスに頼っていた要件の多くがネッ ト上で処理できるようになった。インターネットの利便性を享受している我々だが、 ネット社会の主人公は人間。どんな社会になっても悪い事を考える輩が出て来る。ネッ ト社会の広がりに比例し、次々と新手のハイテク犯罪が生まれてきている。  窃盗も現金や物品という目に見える対象物から、ネット社会の対象は個人情報盗難 に広がっている。個人情報を盗み(Identity Theft)、個人情報を使い、買物をした りお金を引き出そうというものだ。また、インターネットやクレジットカードを媒体 とした詐欺(Net Scams) など、利用者がはまり易い落とし穴があちこちにしかけら れている。
 
連邦貿易委員会や百五十の団体や各州の司法機関から寄せられた消費者詐欺と個人 情報盗難情報問題を扱っている「コンシュマー・センティネル」(消費者監視)が収 集した苦情数は、同団体が発足した一九九七年から昨年末までに二百万件以上を超え ているという。
「コンシュマー・センティネル」の調査の州腹を見ると、二〇〇四年のハワイ州の 消費者詐欺苦情は千八百七件。人口からの割合で見ると十万人に対し百四十三・一人 で、全米五唖とありがたくない上唖に入っている。  個人情報窃盗は六百四十件で、こちらのほうは十万人に対し五十・七人と全米三十 三唖。(表A参照)
 
「コンシュマー・センティネル」(消費者監視)が収集した二〇〇四度の全米の苦 情数は六十三万五千件、被害額五億四千七百万ドルというから、ハワイ州は苦情数で は少ないように思えるが、ハワイの特長として、被害を受けても警察にレポートしな い人が多いとホノルル警察クライム・ストッパーのレサ・デカリレス刑事は語る。  「騙されたと思っても被害が小さいと警察に被害届けを出さない人が多いので、実 際数はもっと多いはずです。ハワイは東洋系が多く、騙された事を恥と思います。こ れがシニアになると、もっと恥かしく思うので被害に遇った事を家族にも話しません。 だから公にならないし、警察に届けるのも子供達が見つけて初めて被害届が出される のです」
 
初動捜査の遅れは検挙率の低さにも繋がる。その大きな理由は被害届を出さないこ とにある。また仮に犯人が逮捕されても、裁判になれば時間もかかり事件が公になる ことを嫌がり、被害者が告訴を取り下げるケースも多い。  「犯人の思うつぼです。だから私達は被害者が被害届を出し、声をあげてくれるこ とを呼び掛けていますが、被害額が少ないと、どうしても泣き寝入りというケースが 多いのが残念です」  この手の犯罪の被害届を出す率が低いというのは全米で見ても同じ傾向で、消費者 団体に苦情を出す人が警察に被害届を出すとは限らない。昨年の「コンシュマー・セ ンティネル」の調査でも、警察に届けない被害者が半数以上の六一%を占めている。  「ハイテク時代になり詐欺、窃盗は巧妙になってきています。カード自身を盗まな くても、あなたの個人情報を盗むことでカードを盗むのと同じ事ができるのです。  犯人は、犯罪の手を四六時中考えているのです。我々はいつも新しく出る犯罪に追 いつかなければなりません。追いついたらまた違う犯罪が生まれる。いたちごっこで す。犯罪のほうが一歩進んでいるわけですから、予防が大切なのです。 こうした詐 欺の被害に遭わないためにも、自己防衛の教育に我々も力を入れています」と、デカ リレス刑事は予防の大切さを力説する。
 
あの手この手の ネット詐欺や個人情報盗難
予防のためにはまず敵を知ることが戦法の第一。  この記事を書いている本人を含み、読者の多くは、私に限ってこんな手口に乗らな いとか引っ掛からないと思っているが、こうした心理の抜け穴をついてくるのがスカ ム・アーティスト(詐欺師)の技。手口も年々巧妙になってきたと言われるが、常套 手段から最新手口まで、詐欺の手口を検証しながら、予防策を考えてみよう。
 
・フィッシング詐欺
アメリカで二〇〇三年頃から発生したウエブ偽装詐欺。巧妙な手口で欧米、日本で も社会問題になっている。 この手口はカード情報、パスワード、ソーシャルセキュ リティ番号など個人情報を、ネットから釣ろうというもので、発音は魚釣りと同 じ(Fishing) だが、スペルは(Phishing)である。  「ウエブサイト上で、実在するクレジット会社、銀行、消費者金融、プロバイダー などを装った巧妙なメールが送られてきます。更新期限が切れますとか、新しいカー ドを発行するための情報を下さいといったもので、つい応じて偽のホームページに誘 導されます。その偽ホームページでは、名前、カード番号、有効年月、パスワードを 聞いてきます。それを入力して送信すれば、犯人に個人情報やパスワードが送信され る仕組みです。  オレオレ詐欺の場合は、お金を銀行振り込みにするというワンクッションがありま すが、フィッシング詐欺はクレジットカードの情報を得た犯人が簡単に使える利便性 が、更に犯罪増加に繋がっていると思います」と、飯田勝啓JCBホノルル支店長は、 フィッシング詐欺を説明する。  「実は私もひっかかった事があります。MSNのプロバイダーから契約期間が切れ るので更新してくださいという連絡が来ました。パスワードがわかれば継続が簡単に できるけれど、パスワードを忘れたので、検索エンジンをかけて探したところ、支払 い口座の変更があって、何も不思議に思わないでクリックした。そしたら返ってきた メールが『サンキュー』だけだったのでおかしいと思ったのです。  そしたらMSNからフィッシングに気をつけてくださいというメールが来ました。 それで自分が送ったサイトを確認しようとしたのですが、そのホームページは既に無 効になっていました。すぐにクレジットカードを差し止めたので事なきをえたのです が、気がつかないでいたら、私が入力したカード番号はどこかで使われていたかもし れません。  実害はありませんでしたが、今後の教訓となりました」 予防策 @カード会社やプロバイダーは顧客の個人情報を保存しているので、Eメールで顧客 にカード番号やパスワードを聞く事は絶対にないので、カード番号やパスワードの入 力をしない。 Aホームページのアドレスの確認 Bフィッシング対策が含まれている最新のウイルス対策ソフトを導入する。 Cネット用買物目的のクレジットカードと他の目的カードを使い分ける。そしてネッ ト用のクレジットの最高有効金額を高額に設定しない。 Dインターネット上でセキュリティ保護のかかっていないサイトに個人情報を入力し ない。
 
電話でアプローチ
詐欺師はネットや他の方法で得た個人情報だけで十分でない場合は、カード会社を 装ってカード所有者にアプローチをしてくる。  AさんはVISA、MCのセキュリティー詐欺部門の誰それと名乗る電話を続けて 受け取った。相手は自分の名前とID番号を告げてから購買確認のための質問をした。  「あなたのカードにおかしな購買の動きがありマークしておりますが照合させて下 さい。あなたはC州のX社から四百九十七・九九ドルの機器を購入されましたか?」  「いいえ」  「この会社から買物したカードに警告がされていましたので、私達は監視していま した。次の報告書の前にこの額をあなたの口座に入れますが、住所(相手が読み上げ る)は合っていますか?」  「はい」  「我々はこの捜査にかかりますが、もし、質問があればこちらの番号に連絡下さい (電話番号と参照番号を言う)」  「あなたが実際にカードを所持しているか確認させて下さい。裏を見て下さい。 (七桁の数字が並んでいる)最後の三桁を確認のために読んでみて下さい」  「2、3、6」  「合っています。あなたのカードが紛失、または盗難に合っていないか照合したの です。これであなたがカードを持っていることが確認できました。何か質問がありま すか? もしあれば遠慮なくどうぞ」  と言って電話を切った。Aさんはカード番号を言ったわけではないが、誘導され最 後の三桁は教えたことになる。何となく不安になったので、二十分後に、VISAに 電話を入れて確かめると、その五分前にAさんのカードでX社から四百九十七・九九 ドルの購入があった。Aさんは詐欺に遭ったのだ。  裏面の三桁がないとメールオーダーなどができないよう防止策が取られているカー ドを手に入れた犯人は、カード会社になりすまし、Aさんに接触し、三桁のセキュリ ティー番号を手に入れるや否や買物をしたのだった。  直ちに現在のカード番号を破棄し、新しい番号に替えたので、これ以上の被害はで なかったが、もしAさんがVISAに電話を入れなかったら、おそらく他の買物もしていただろう。カードが手元にあるために、次の報告書が来なければ露見できないこ とになる。 予防策  カード会社が確認のために番号をお客に言わせることは絶対にない。このような電 話がかかってきた場合、応答しないで、直接、自分のほうからカード会社に問い合わ せる。
 
暗証番号を 盗まれてはおしまい
チャージ兼キャッシュカードを拾われても盗まれても暗証番号(ピンナンバー)が わからなければ現金は引き出せない。  ところが、ワイキキで日本からのお客さんのカードが第三者によりATMで引き出 されたという事件が続出している。被害者は男性、そして被害に遭った時間帯が夜十 一時半から午前二時、三時頃という共帳点があるのがこの事件の特長。  JCBの場合、ワイキキに店舗があることで、被害者がカード盗難届に来店された 日本人顧客が月に数件あるという。もちろんカードはJCBだけではないので、他の カード会社発行のカード所持者を入れるとかなりの被害者がいそうだ。被害者の話を 総合すると次のようなストーリーが出来上がる。  日本から遊びに来た男性が夜のワイキキで魅力的な女性に声をかけられ商談に話が 進んだ。彼女達は警察の目があるので額はその場で言えないということで、銀行のA TMのある場所に男性を連れていく。  「私が金額を入れるので、あなたのカードを入れて……」と言うことで、男性がカー ドをATMに入れる。金額を入れる前に暗証番号を入力する。暗証番号を入れている 側には女性がいるにも関わらず、額のことが頭にあって男性のほうは無防備である。  心配していた額は驚くほど高くなく商談がまとまった男女は、とある所に行く。そ して、男性が先にシャワーを浴び、浴室から出てきた時には女性はいない。シャワー を浴びている間に所持していた現金が盗まれ女性はドロンを決め込んだ事件は珍しい 事ではないが、最近は現金からカードを盗む手口に変化してきたのが時代の流れと言 えようか。  女性は財布からカードだけ抜き取り、後は記憶していた暗証番号を入力し現金をA TMから引き出すという手口である。  売春という名前を使用した詐欺であるが、売春は売る買う、両方が非合法であるた め、告訴まで行かないで結局は泣き寝入りとなるので、この種の事件は後を絶たない。 良からあ事を企んでいる男性諸氏の用心を促したい。 予防策  このように現金を引き出す時に、暗証番号を第三者が見える唖置で入力する時、手 元を見られないようにする。  暗証番号は、犯人が推測しやすい生年月日、住所、電話番号、連続番号などを使わ ない。記憶しにくいという理由で、暗証番号をカードの裏に記したり、メモに書いて 財布などに入れないこと。  万が一、不正使用された場合、殆どのクレジットカードは盗難保険がかかっている ので盗難、紛失の場合は保険で支払われる(カード会社によって本人に故意、または重過失がある場合は適用されない事もある)。  飯田支店長は、「クレジットカードから現金を引き出すためには暗証番号が必要ですから、現金の引き出しは自己責任で防止できるわけです。ですからキャッシュカー ド同様に盗難、紛失で不正使用された場合は、自己過失として判断されるわけです」 と、暗証番号の重要さを説明する。
 
カード盗難/紛失
クレジットカードで買物をしたり食事をしたりする際、担当者がカードを預かるこ とがある。担当者が二度引き落としをする単純なものから、専用読み取り機を使って カードに磁気記録された情報を盗みとって買物をするスキミングがあるが、最近はカー ド会社のセキュリティーが厳しくなったせいもあって、かなり減少しているというこ とだ。 予防策  「ページャーぐらいのサイズの読み取り機なんですが、これも巧妙になっています。 レストランの場合、目の前で処理しないでウエイターやウエイトレスがテーブルで処 理しませんので、不安と思う場合は、自分でキャッシャーの所へ行ってカードで支払っ ていいのです」とデカリレス刑事。   でも、食事の際は、自分がキャッシャーに持っていくのはカッコ悪いと思う人は、 レストランを信用する以外仕方ない。  紛失した、または盗難にあった場合は、被害の拡大を防ぐため、カード会社に直ち に連絡を取るのはいうまでもない。  また盗難や紛失していなくても、不正に使用されていないか、毎月のクレジットカー ド明細書で、見慣れない利用歴がないかどうか注意を払う。
 
ソーシャルセキュリティー番号の不正使用
クレジットカードは新しい番号を発行してくれるが、ソーシャルセキュリティー番 号は、生涯、同じ番号を使うだけに番号の変更が効かないので、必要な時以外公開し ない。他人のソーシャルセキュリティー番号を盗みクレジットカードやローンを申し 込む例が起こっている。 現在では自動車免許証にソーシャルセキュリティー番号を 使用しなくなったし、メディケア番号もソーシャルセキュリティー番号を使用しない 方向に進んでいるという。  初診察のため医院を訪れたCさんは、患者情報にソーシャルセキュリティー番号の 項目があったのを見て、番号を書いたものの、何故必要か疑問に思った。  「疑問に思えば聞くべきです。Cさんは、自分の自動車免許証、医療保険カードを 見せ、個人情報を書き込んでいるのでしょ? その上、どうしてソーシャルセキュリ ティー番号まで必要なのか聞くべきです。日本人は疑問に思っていても、要求に従う 礼儀正しい人達が多いのですが……。疑問に思えば聞いて下さい。ナイスリーに(笑) 。個人情報データの紛失、流出、盗難が聞かれる昨今、できるだけ最低限度の個人情 報を提供すべきです」とデカリレス刑事。
 
一番多い郵便物からの個人情報窃盗
他人の家の郵便受けやゴミ箱から、郵便物を盗むやり方は、高度な技術もいらない 事から以前からある常套方法。ハワイでも多発しているという。  「郵便物の中には本土からの銀行やカード会社からのクレジットカードの申込書が 頻繁に送られていると思います。その中には個人情報を記入すれば既に『APPROVED』 (承認済み)の申込書が多くあります。そうした申込書を見つけた犯人が、住所だけ を変更し申し込めば、カードを受け取る事が可能なのです。  電話、メールオーダー、インターネットオーダーではサインをしないで買物ができ ますから、犯人は他人名義のカードで買物ができるわけです。  申込書を盗まれた人は他人が自分になりすましカードを使っているなど知らないわ けですから、発覚するまでに時間がかかり、その間、犯人は使い放題ということにな ります」と、郵便物からの盗難に気をつけるよう呼び掛けるデカリレス刑事だ。予防 策 @自宅の郵便受けに旗を立て郵便配達人にピックアップして貰う封書に、パーソナル チェックが入った封書やクレジットカードやいろいろなサービスの申し込みなど個人 情報が書き込んでいるメールを加えない。自宅から送らないで郵便局や盗むことが出 来ない郵便ポストから発送する。 Aクレジットカードの申込書の入った封書をそのままゴミ箱に捨てない。  有効期間切れのカードや不要となったレシート、明細書など個人情報が載っている ペーパーは、シュレッダーにかけるか、細かく切ってから捨てる。 B引っ越しする場合は、必ず郵便局、金融機関、公益サービスなど、自分の個人情報 を保持している機関に転出届を出す。 Cカード明細書など利用歴に注意を払う。
 
・ナイジェリア詐欺
二〇〇一年にアメリカで二千六百件以上の被害報告が出されたナイジェリア詐欺。 世界各地の人々がナイジェリアからのEメールまたは手紙を受け取ったと思う。ナイ ジェリアの隠し金の入金先として、あなたの口座を一時貸してほしい。お礼はたんま り……と書いた内容に被害者は口座番号を教え、自分の口座からお金が引き出された 事件であったが、これも今は国境を超え、ロシア、イタリーなど世界各地から、あな たの口座を貸して下さいと言う勧誘は続いている。 予防策  記者はイタリーの消印を押した手紙を数か月前に受け取ったが、全部読む必要もな く破り捨てた。
 
・ロギング詐欺
日本で最近多い携帯電話によるワンクリック請求。メールでホームページのアドレ スが送信されアクセスすると、『入口』、『十八才以上』など書かれた所をクリック すると、その会に入会したことになり、多額の請求メールが送られてくる。  ハワイでは携帯でEメールの送受信は一箱化していないので、携帯をアクセスする 手口はないが、サイトをサーチしていて、知らない間にロギング(Logging)をし、 偽サイトに入り、会員となるロギングの手口はある。  日本風に言えば出会い系サイトや簡単にお金が借りられる、お金が儲かるといった うさん臭いサイトが多い。サイト利用のために個人情報を入れ、この情報が売買され ることがあるので、サイトに個人情報を入力する際は、注意が必要。
・カード偽造
昨年日本からのカード偽造団が捕まった。日本で五、六人の若者をリクルートし、 ハワイに来てそれぞれが偽造カードで買物をしていたが不審に思った店員の帳報で逮 捕された。詐欺や窃盗に比べるとカードや紙幣の偽造は重罪である。  「そんな重罪を犯そうと思ったのでなく気軽にハワイに遊びに来た若者だったので しょうが、一年間刑務所に入り最近、釈放されたと聞いています。主犯格の犯人はハ ワイだから使いやすいと狙ったのでしょうが、我々業界としてハワイはこういう事件 に対し厳しいという態度を見せなければならないと思います。  カードを偽造し外国で使う手口や同じ店で続けて買う、少額を使って試してみるな どカード会社もいろいろなマトリックスを作り、不正使用を防ぐための防止に努めて います。  日本ではICチップを入れることで偽造に対抗しています。これは簡単に偽造でき ません。日本では既に半分以上がICチップが入ったカードです。ところがカード先 進国のアメリカは帳信事情などインフラ整備ができており、カード会社が必要性を強 く感じていないようで、日本のようにICチップをカードに入れていません」と飯田 支店長。
 
カード詐欺にはカード自体を盗み不正使用する場合と、カードの情報や個人情報を 盗むふた帳りがある。後者を懸念する利用者は多いと思う。カードは我々の生活にな くてならない便利なものだけに、安心して使うためにも、ネット社会に潜む危険性を 認識し、詐欺にひっかからない対策を万全にしておくことが肝要と言える。
 
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● ハワイは今
   ・ハワイ州議会60日の会期を終える
   ・ホノルル市議会  大衆輸送機関 導入資金として消費税増額
   ・カカアコ開発計画 最終4候補社を発表
   ・アウトリガー コンド開発に急遽変更
   ・リサイクル法修正案通過
・ハワイ州議会60日の会期を終える --- 2年間の予算は89億5千万ドル
二〇〇五年七月一日から二〇〇七年六月三十日までの二年間の予算を審議する帳常議 会が五月五日、六十日の会期を閉じた。 民主党(野党)大多数の州議会は、リングル州知事(共)が提出した予算案を三千四 百二十万ドル削減し、八十九億五千万ドルとして帳過。州知事に送付した。HGEA (ハワイ公務員組合)、HSTA(ハワイ教師組合)、などのの公務員の昇給案の二 億九千六百万ドルを含む、教育費も優先予算として計上帳り帳過させた。 タカミネ下院財務委員長は今年の予算審議に当たり、 「ハワイ州は好景気で活気に溢れている。市民の豊かな生活を堅持する予算を維持す ることで州政府のサービス向上が期待できるスタッフ維持を心掛けた」と予算案審議 に満足そう。 三日の最終投票では上院本会議で五人の共和党議員の中、サム・スロム、ゴードン・ トリンブル両上議が反対投票したのに対し、下院本会議では九人の共和党下議の中、 クリス・ハトフォード下議一人が反対投票した。上院が ―2、下院は―1、だった。 同百号法案は初年度予算を四十四億二千万ドル、二年目を四十五億三千万ドル、二年 合計は八十九億五千万ドルの抱括法案として帳過。州知事には項目腹拒否権が与えら れている。どの項目でも拒否することが出来るが、知事の最大の特権は、事情に合わ せて予算支出を拒否できる。つまり計上年度内で予算を放出しなくても良いと云う特 権がある。 州知事の拒否権行使期限は六月二十七日である。現段階で商業用やダンプ・トラック 等の大型車の運転年令を二十一才から十八才に引き下げる法案には、リングル知事は 拒否権を行使している。
 
・ホノルル市議会  大衆輸送機関 導入資金として消費税増額
  ホノルル市議会、早くも始動
先の州議会は、予算案の他、四十年来のホノルル市の懸案となっていた大衆輸送機関 導入に関する消費税の〇・五%増額案を賛成多数で帳過させた。上院は賛成十九票、 反対六票。下院は賛成三十二票、反対十九票だった。上院の五人の共和党員は全議員 が反対。下院の九人の共和党議員の中、コーリン・チング(リリハ、プウヌイ=第二 十七区選出)議員一人が賛成投票し、残り八人の共和党下議は反対した。 同法案は、消費税を増額する権限を市、郡政府に与える。各市、郡政府は同増加分を 一箱会計には入れず、大衆輸送関連事業にのみ使用するとなっている。各市、郡政府 は今年の十二月三十一日までに結論を出すことになっている。課税期間は二〇〇七年 から十五年の限定課税。 同法案の増税率は上下両院の合同委員会で上院の一%が修正され、下院の〇・五%案 が残った。同委員会では一箱所得税の減税案を盛り込みたかった上院は一%の大幅な 増額の一部を減税分に当てようとしたが、同案は目的税として成立させるべきだと云 う下院案が承認された。
 
  ホノルル市議会   早くも増税に動き出す
大衆輸送機関導入計画はホノルル市にとっては四十年来の夢。一九九二年に挫折した 同案は十三年ぶりに再浮上、導入気運も高くなったことからハネマン市長をはじめ、 ホノルル市議会も導入時期は熟したとみて、ホノルル市議会が動きだした。 同法案は州知事の署名を得ていないことから成法化された訳ではないが、ただリング ル州知事もホノルル市の大衆輸送機関導入は交帳渋滞緩和策の切り札と理解している ところから知事の拒否権行使はないと読んでの見切り発車である。 ホノルル市議会は五月十一日の常例会議で決議案を提出。七月八日に成立させ、市長 に送付する。市長も直ちに署名し、十二月までにEIS(環境障害調査)を終え、種々 の輸送機関(軽裏鉄道・モノレールを含む)の選択に入る。二〇〇七年から二年間で 導入機種の決定、融資計画の選定、最終EISの検討を経て二〇〇九年一月末に着工 と云うスケジュールが公表された。 現段階では導入機種、工事額、金融が未定のため、具体的な数字となると関係者は口 を閉じる。色々飛び交っている数字を統合すると、総工費は二十六億ドルを越えるよ うだ。 カポレイからハワイ大学までの十八マイル間の地方自治体の資金調達法が、連邦政府 の交帳機関建設補助金受給に必要だとされ、用意したにすぎない。それも年間一億五 千万ドルしか望めない消費税増加分で、連邦政府からの助成金を受けられるのか、不 足するとどう対応するのか。流動的なファクターが多いままでホノルルの大衆輸送機 関計画は再び動き始めたが、他の三郡政府は各島の交帳機関をどのようにするか十二 月まで模索する。計画が見当たらないとその郡の消費税増加が見送られる。
・カカアコ開発計画 最終4候補社を発表
HCDA(カカアコ再開発公社)は、ケワロ港の二十九エーカー及び、隣接する七エー カーの開発計画を募集していたが五月四日、最終候補者を四社にしぼったと発表した。 応募した十五社の中、残ったのはA&B不動産、ビクトリア・ワード社、スタンフォー ド・カー開発のローカル三社にケワロ・ヌイ・パートナーズ社の米本土開発会社とロー カルの合弁会社。 HCDAが出していたガイド・ラインは、商業用施設と公共施設の五十万平方フィー トと住居、小売店舗用地に三十万平方フィート、ケワロ港の再開発となっている。最 終候補として残った四社のプロファイル。

◎スタンフォード社 最終リストの中では最も小さい開発業者でマウイ島のカヘアラニ、ハワイ・カイの半島開発を
 手がけた。
◎A&B不動産 アレキサンダー&ボールドウィンの子会社。ワイレア・リゾート、クニア・ショッピ ング・センター、
   カカアコ  の高級コンド〈ホクア〉を開発。 
◎ビクトリア・ワード社 アラモアナ・センター、ワード・センターを所有するGGP(ゼネラル・グロス不動産)の子会社。
◎ケワロ・ヌイ社 テキサス州のハント建設会社とローカルの合弁会社。ハワイの米海軍基地内の一部再 開発担当。
 
・アウトリガー コンド開発に急遽変更
ワイキキの中心地、ルワース街周辺のアウトリガー・エンタープライズ社の再開発計 画が、ホテル開発からコンドミニアム開発へと大幅に変更された。 アウトリガーの同再開発計画は当初八百九十室の超高層ホテルビルを中心に総額四億 六千万ドルの総工費と発表されていたが、三百〜四百室の高級コンド(フィーシンプ ル土地付き)開発に急遽変更された。費用も二億ドルと大幅に縮小される。周辺の施 設もコンドに準じた施設として開発される。同計画からはホテル開発が消え、コンド とタイムシェアリング開発が中心となった。付帯する娯楽、小売店舗は予定帳り。 アウトリガーの方針変更でワイキキのホテル部屋数の減少に観光業界に与える影響が 心配されている。いくつかの小型ホテルはすでにコンドテルとして衣替えしている。 八千室以上を有するアウトリガーの運営方針が、その外のオハナ、アウトリガー・チ ェーンのホテルに与える影響が憂慮され始めた。一方、コンドテルの主要用途は観光 客だから全体数にはそれ程影響はないという関係者もいる。
 
・リサイクル法修正案通過
空刈、空きビン、ペット・ボトルをリサイクル用に回収する作業が緩和される。新条 令は、丸い原形を維持しなくても、つぶれた刈もOK、つぶれたペット・ボトルもO Kというもの。 多くの消費者はつぶれた刈が回収されないのは納得がいかない。また原形のままでは ゴミ袋にも多く入らない等と苦情が殺到していた。 また、州議会は、消費者の便宜を計る回収センター新設資金を援助するため、州政府 が三百万ドルを資金として用意し、センター新設者に低金利で貸し出すという。上院 第二一二号法案を帳過させた。 現在すでに回収センターは五十九か所あるが、消費者は不便を感じている。 四月末までに州政府が集めた一本五セントのリサイクル瓶代は、千三百万ドルを越え ている。その間に支払われた返済金は四分の一の三百六十一万ドル。三月に払われた 返済金は百五十九万ドルに比べ、四月には百四十二万ドルと減少している。ハワイ州 民はリサイクルに弱いのか、一本五セントの返済は安すぎるから不要と回収作業に協 力する気がないのか、実態は複雑なようだ
 
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● News Letter from リンダ・リングル州知事
先月、私と副知事はホノルル日本人青年会議所と倉敷、侠島、小島の三つの青年会議 所の皆様とお会いする光栄に浴しました。ハワイ州とこれらの皆様との二十年間にわ たる交流を祝う機会を得たことを大いに喜んでおります。と申しますのは、これらの 交流は、我々の地域社会の中で、今後とも、文化交流と理解を強化、促進することに なるからです。
 
別の機会に、私は本派本願寺ハワイ腹院の仏教徒婦人会の会議に出席しました。二〇 〇六年にハワイのコンベンション・センターでこの第十三回世界会議が開催されると のことで、大いに期待しています。 四月にイースト・ウエスト・ジャーナル紙に寄稿して以降、私はハワイの人々に役に 立ち、これらの人々の保護を強化する法案を検討し、署名しました。 次の二つの法律は、我々の州の選挙方法を改善することにより、選挙を一層公正で超 党派的なものとし、州の役職者の選挙をより透明にすることを狙ったものです。 法律第十四(〇五)号は投票場のある選挙区の責任者は州知事と同じ政党の者である べきという規制を取り外すものです。こうすれば、選挙を一層公正で、開けたものに するので、私は州知事に就任以来この法案の成立を目指して来ました。 法律第十三(〇五)号は公職に立候補した候補者の請願書に署名した人の身元を保護 するものです。投票者は自分の社会保障番号の最後の四桁だけを出せば済みます。従っ て、これらの人たちの個人情報は、潜在的な盗難から守られ、選挙に無関係な目的で 利用されることはなくなります。
 
これらの法律に加えて、私は九一一番緊急電話の不正使用から市民と旅行者を守る法 案にも署名しました。法律第十七(〇五)号は嘘の警報や苦情を伝えようと、計画的 な意図を持って九一一番に帳報した者に対し、軽犯罪罰を課すものです。 ホノルル警察と消防署は毎週嘘の警報を数多く受けています。これらのいたずらは真 の緊急事態から貴重な時間を奪い、公共サービスの努力を浪費させるものです。 私はさらに、もう一つ、法律第〇六(〇五)号にも署名しました。これは自閉症児に 対するサービスと、学校内での保健サービスの費用増加を補うために約一千二百万ド ルの支出を認めるものです。教育省(DOE)の要請で、自閉症児に対する行政上、 財務上の責任がDOEから保健省に移された時、このサービスを必要としている児童 の数がほぼ倍増しました。この資金割り当てにより、増加した費用と自閉症児に対す るサービスの問題が軽減されます。 皆様がこれをお読みになる時には議会はすでに閉会していると思います。来月のこの 欄で、入手可能な住宅の問題、減税、企業対策の法律などの重要な蔓で挙げた成旺と 前進についてご報告出来ると思います。 その間、私が署名した法律についてさらにお知りになりたい方は、私のホームページ (www.hawaii.gov/gov)をお尋ね下さい。また、私のEメール・アドレス(Governor.Lingle@hawaii.gov)宛てにご質問、ご意見をお寄せ下さい。さらに、私 のホームページから私のe-ニュースレターを申し込めます。
 
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● 大下治心の世相やぶにらみ
・ハワイの高齢者人口 二〇三〇年には二二%に
五月一日号でハワイの高齢者数が今の二倍になると云う国勢調査結旺をお伝えしま した。二〇〇〇年の国勢調査でハワイの六十五才以上の高齢者は十六万六百人でした。 その高齢者は二〇三〇年には二倍以上の三十二万六千九百五十七人に膨れ上がり、総 人口に占める割合いも一三%から二二%になると云うのです。 この国勢推計に対し、ハワイ州高齢化対策事務所では異なる推計を算出しています。 高齢者数の推移に異論は唱えていませんが、総人口の百四十七万人を州事務所では推 計ミスとしています。二〇年にはハワイ総人口は百六十万人をこえると云うのです。 カレン・ハヤシダ所長は、 「国勢調査の推計は二〇〇〇年の前の五年間の人口推移を基準に三〇年後の人口を推 計しています。その五年間はハワイの中高年層が不景気のため、州外に流出し人口増 加率が激減しているのです」と云う。 つまり同五年間はハワイ総人口の動向には特異な影響を与えたもので総人口は低い伸 び率に終ったと云うのです。二〇〇〇年後のハワイの人口の推移は高く、三〇年には 現在の人口の三〇%増を記録しているはずだと推測しているのです。
 
いずれにしても高齢者数は三十二万人以上に膨れ上がっている結旺は変わりありま せん。ハワイ州高齢化対策事務所は高齢者の社会貢献を主旨として各種プロジェクト を推進してきました。ハヤシダ所長は特に高齢者の社会参画は今後更に重要になって くると強調します。 「高齢者を社会のお荷物だと考えるのは社会の責任です。高齢者の社会貢献は予想以 上に大きいのです。最近の六〇才代以上の人はある程度のコンピューター知識を持ち、 健康管理も昔の高齢者よりはるかに秀れ、元気です。バランスのとれた思考力はまだ まだ社会に帳用します。逆にこれ程の健康な高齢者に何もさせないと云うのは人材の 浪費です」 同所長は高齢者資源の有効な活用を強調します。 「六十五才をこえたからもう何もしないで家にこもっていてくれと考える家族の思考 を変えるべきです。 年齢的な観念から彼らを箱の中に入れるべきではありません。もちろん何も出来ない 高齢者もいます。そうかと思うとまだまだ何でもできますという高齢者もおり個人差 は大きいでしょう。何か出来るという高齢者の適性を生かし、生産性を出してもらえ ば、本人もバラ色の人生を送れるし、家族も安心です」
 
何か分かるような気がするのだけど何をどうすれば良いの、という高齢者やその家 族が多いと思います。理念は明解でも具体性となるといまいち説得力はありません。 私は各地に散存するシニア・シチズン・クラブの活性化から始めるべきだと思います。 政府系列から宗教系といくつかのコミュニティーに散在する老人クラブ。これらのク ラブに色んなプロジェクトを主催させるのです。いまは全箱的に稼動しているが中味 がない。じり貧状態はどこのクラブも同じ様です。リーダー不足なのです。有能なリー ダーを育て、クラブ間の活動を活性化することで、メンバーが目的感、使命感に責任 感を持つことで参加することに楽しみを知るようになれば同会(プロジェクト)は成 功です。 クラブ間の横のつながりは若い人が参加して交流を広げることで成旺はすぐ出るでしょ う。共同意識、共帳観念を育てられるように高齢者指導者を育成すればあとは定期的 に軌道修正すればOK。高齢者は社会に大きな比重を持つグループに大変身するでしょう。
 
ハヤシダ所長によりますと、六十五才以上で一度は社会から引退した高齢者の旧職 場復帰が盛んになってきたといいます。ハワイの引退者の社会保障年金保証平均受給 額は、月額九百十二ドルです。九百十二ドルでは余生を生きていくのに充分ではあり ません。住む家があっても苦しいでしょう。 六十五才以上で仕事を続けている人は二万千七百九十九人もいます。全国平均では五 十五才以上で職についている人は三六%もいるそうです。五十才から七十才までの人 で働き続けている人は六八%もいます。つまり、引退年齢になっても仕事は生活のた めに辞められないという人が以外に多いことを物語っています。 ハワイ州内の六十五才以上の高齢者で貧困者の所得に入る人は二八%だそうです。ハ ワイは長寿州といわれ、平均年齢は八十才をこえています。余生はゴールデン・エイ ジと悠々自適の生活を送っている人はやはり少ないのです。大半の高齢者はまだまだ 元気です。何かできるはずです。(ムリをせずに)第二の人生も頑張ってみます)
 
・ハワイ州の日本人は二〇%
ハワイ州は多民族が共存する楽園といわれ、多人種が融合して共同社会を組織して いると云われてきました。確かに人種(民族)的にはかなり多くの民族が融合してい ます。最近発表された二〇〇三年の人口動向調査によりますと、世界の人種腹地域六 大地域のすべての地域の人種がハワイに住んでいることが明らかになりました。北ア メリカ、南アメリカ(ラテン)、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニアの六大 地域の原住民と云われる人種がすべてハワイに住んでいると云うのです。居住者のみ の分析で出向社員などの短期滞在は含まれていません。 もちろん一番多いのはアジア地域の十六万千六百十九人で約八〇%を占めています。 次いで、オセアニア地域の一万九千三十二人、ヨーロッパは二万二千五百七十人、ラ テン・アメリカは八千七百九十二人、北米アメリカは五千百五十七人、アフリカの千 十六人で合計すると二十万八千二百人が外国人居住者だと云うのです。 ひと頃の様に日本人系、中国系人と言う識腹は国勢局ではしなくなりました。人種腹 ではヒスパニア、アジア、白人、黒人という識腹になります。あとは地域腹となり、 六地域になりました。アジア地域には日系、中国系、韓国系、ベトナム系などと多人 種が含まれます。 歴史的にアジアからの移民が多いハワイの人口構成は日本人が最多だったのも立州ま でです。立州後(一九五九年)は米本土から流入した白人系、ラテン系で人種腹構成 も大幅に変りました。三四%を誇った日系人種は今では二〇%そこそこまで下がり、 三〇%以上は白人系とハワイアンの混_となりました。
 
さて外国生まれの居住者(移民)が最も多い州はカリフォルニア州で二六・五%と 四分の一以上が外国生れです。次いで、ニューヨーク、ニュージャージー、フロリダ、 ネバダに次いでハワイは六唖で一七%。以下テキサス、ワシントンDC、マサチュー セットと続きます。 家族間で話す言葉が英語以外の外国語を話す世帯はやはり四〇・八%のカリフォルニ アがダントツです。百世帯の中四十一世帯が英語以外で会話しています。次いでニュー メキシコの三六%。以下、テキサス(三二・五%)、ニューヨーク(二七・五%)、 アリゾナ(二六・四%)、ニュージャージー(二六・三%)、フロリダ(二四・二%) 、ネバダ(二四%)、ハワイ(二三・六%)、イリノイ州(二〇・二%)と続きます。 外国生まれの人たちは母国語をそのまま使っている家族がいかに多いかが伺えます。 母国語を大切にすると云う理由もあるでしょうが、米国への入国もそんな昔ではなく、 新しい移民は英語をたしなむには年数がかかることを意味しています。
 
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●  料理の鉄人 坂井宏行シェフ来布
〈アイアン・シェフ〉として世界的に有名な坂井宏行シェフが、四月二十九日から五 月六日までハワイを訪れ、地元の人たちに本格的フレンチ料理を提供した。坂井さん といえば昨年、ハワイ・コーヒー・カンパニーから「CHEFSAKAI(シェフサカイ)」と いう名前入りコーヒーを販売しているほど、ハワイとの繋がりが強い。今回は超過密 スケジュールの滞在となった。 今回の目的の一つは、四月三十日、カピオラニ・コミュニティ・カレッジ(KCC)で 行われた学生調理大会への出席。この大会で行われたホットフード部門の競技会優勝 者サニー・アコスタ君(十八歳)に、坂井氏からアワードが贈呈された。 KCC一年生のサニー君は 〈クリスピー・カリカリロールズ〉をつくり、挑戦者三 十人の中から見事優勝。坂井氏の申し出で、日本の彼の店で一週間修業のチャンスを 与えられた。(JAL、品川プリンスホテル協賛)
 
坂井さんは若い後輩たちに、「君たちを見て僕も修業時代を思い出しました。料理の プロセスは学ばなければならないけれど、まずは自分が料理を作ることを楽しんでく ださい」とエールを送っていた。五月一日には、去年「アメリカンハートアソシエー ション」で、坂井さんが十人のお客様に彼のお料理で接待を寄付し、そのオークショ ンで坂井さんを感激させる金額の寄付を申し出たパシフィック・ビーチ・ホテルで、 スペシャルフレンチ料理の食事会。三日にはアロハタワーのチャイズ・ビストロで 〈白身魚のからし菜包みとオマール海老のアンサンブル・サフラン風味のソースクリ ュスタッセ〉を調理し、ローカルの人たち四百人の舌を唸らせた。
 
超多忙の坂井さんだが、現在〈アイアン・シェフ〉はアメリカだけでなく、カナダ・ オーストラリア・ヨーロッパでも放送されている。渋谷にある坂井さんの店「ラ・ロ シェル」には、彼の味を求めて海外からもお客が訪れているとか。海外出店のオファー も沢山来ているが、自分のティストには自分が責任を持つという彼のポリシーから、 なんでも手を広げるという坂井さんではない。 「海外出張は日数が限られる為に大変ですが、色々な方に出会い料理を食べてもらえ るので日本とは違った喜びがあります。実は今回、三週間のクルーズから帰ってきた ばかりなんです。日本丸という船に乗り込みまして、サイパンからタヒチ、ニューカ レドニア、ニュージーランド、オーストラリアと廻る船の中で、料理をつくりました。 クルーズのお客さんの楽しみの中には、食べるという要素が大きいですから、皆さん に喜ばれて嬉しかったですし、僕自身も楽しんできました。
 
当面の予定としては、この秋上海に「ラ・ロシェル・上海」をオープンします。海外 一号店です。ハワイではCHEF SAKAI(シェフサカイ)のコーヒーに、オリジナルフレー バーを加えたものを三種類セットにして販売します。これは日本でも販売予定です。 僕はハワイが大好きなんです。ハワイアンソングも好きで、坂井が選んだハワイアン 十五曲、〈ティスト・オブ・アイランド・シェフ・サカイ〉というCDも出していま す。シェフとミュージックという組み合わせはかわっていますが、タワーレコードな どでも売っていますので、是非こちらも聴いてみてください」 この先半年間のスケジュールはびっしり決まっているという坂井さん。大好きなハワ イで次のゴルフができるのも、半年以上先になりそうだ。それにしても、どこに行っ てもサインと記念撮影を求められる人気者だが、その一人一人に快く応じる姿が、坂 井さんの料理の美味しさにも反映しているのだろう。
 
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●  平成17年春の叙勲 アール・オオカワ氏が〈旭日小綬章〉を受賞
日本政府は平成十七年の春の叙勲者を発表したが、その中でハワイ在住者のアール・ キヨナリ・オオカワ氏に〈旭日小綬章〉を授与すると発表した。 オオカワ氏( )は、ハワイ日米協会会長、明仁皇太子奨学基金専務理事、えひめ丸 慰霊碑管理協会理事長などの要職にあり、長年に渡って日米間の友好親善の増進に寄 与した功績が認められたもの。
オオカワ氏の日本との関わりは、一九六九年、氏が米国空軍中尉として九州、伊丹空 軍基地に配属になった時に始まる。 「今も、日本の自衛隊、特に航空自衛隊の中に多くの友人を得たことは非常に幸運な ことで、今でもその交友関係は続いている」と述べている。 オオカワ氏は、日本の防衛に長らく関わってきた。最初は、航空防衛作戦チームの一 員として、日本の航空自衛隊管制官と共に日本の空域の安全確保に努め、次に、横田 空軍基地における第五空軍本部の管制部長として、また、バッジXと呼ばれる日本の 空域防衛のための地上環境整備の計画官として、日本の空域防衛の整備向上に関わっ てきた。
 
その後、米軍日本本部の作戦官および指令本部長として勤務、また、横田では合同参 謀室と密接な関係を結んで来た。「これらの努力が今回の受賞に結びついているもの と思う」と述べている。オオカワ大佐の軍歴は二十四年に及び、その内十六年は何ら かの形で日本と関係があったことになる。 オオカワ氏は米国空軍から引退後、一九九二年にハワイ日米協会に入会した。それか ら十三年間の協会での活動の中で、氏がもっとも強い印象を受けたのは、 「理事会の役員と地域社会のボランティアの人たちの活動でした。数多くの善良な人々 が、ハワイという特別で無類の見地から日米両国の人々の相互理解と友情を深めると いう協会の使命のために働いているので、会も私も祝福されています」と述べている。 オオカワ氏は、今までの画期的な出来事を幾つか挙げている。その中には、一九九三 年の日本デーという名前で始められた協会の学校プログラム、一九五五年の第一回日 米国際シンポジウム、一九九四年の天皇・皇后両陛下ご来訪のための計画作成への参 加、明仁皇太子奨学金基金創立四十周年記念、一九九九年の紀宮清子内親王殿下のご 来訪、えひめ丸事件、それにもっと最近では学校プログラム計画の継続などがある。 オオカワ氏は、協会の学校プログラムを「協会の最も重要なプロジェクト」と呼んで、 これを最も誇りとしており、次のように述べている。
 
「我々は若い学生が、世の中には異なった見方があるという考え方と、探求する技能 を学ぶのを助けようとしています。我々は子供たちが問題や文化に対してもっと心を 開き、真の世界市民と未来の指導者になるよう力付けています」 またオオカワ氏は日本デーと呼ばれる単一の学校プログラムから、幼稚園から十二学 年までの七つの学校プログラムまで発展した経緯を説明している。 「協会は現在生徒と先生に無料で提供しているプログラムで学校に深く関係し、寄与 しています。さらに、これらの計画は州教育省の世界言語と社会科の学習内容基準に 合わせてあります。協会にはK―5の生徒に向けて〈かばんの中の日本1、2〉と題 する二つのプログラムがあります。 これは生徒に世の中には異なった見方があるという考え方と、探求する技能を教える ものです。協会は、子供たちが若いうちに世の中には異なった見方があるという考え 方の種を植え付け、六〜十二学年の間にこれを育てて行きたいと希望しています。 十一歳の子供のためのアジア・太平洋地区子供会議は、これらの子供たちが、アジア・ 太平洋地区の五十か国から集まる三百五十人の十一歳の子供たちと触れ合い、若いう ちに人生経験を積む機会を提供しようとするものです。
 
協会の姉妹学校プログラムは、ハワイの中学校と日本の中学校との間で長期間にわた る関係を結ぶものです。最初の姉妹学校関係は宇和島南中学校とカワナナコア中学校 との間で結ばれることになるでしょう。協会の高校段階での日本デー・プログラムは、 引き続き、学生が教室で学んだことを実体験するのを助けるものです。 日本ウィザード(専門家)プログラムは、高校生に、日本一般についてさらに深く学 ばせ、公立校二校と私立校二校から選ばれたチームに、協会の費用全額負担で日本へ の旅行を経験させる追加的な機会を提供するものです。 七番目のプログラムは、協会がハワイでの調整役を務めている友情日本人形プログラ ムです。ワシントン州スポケイン市のムコガワ・フォート・ライト協会の日本文化セ ンターが、当協会が指名した小学校二校に毎年美しい日本人形を贈っています。 これらのプログラムはすべて生徒・学生がその考え方を広げるもので、協会のK―5 の生徒の対する〈かばんの中の日本1、2〉と題するプログラムでは、ハワイの将来 の指導者と世界市民を育てる手助けをしています。協会の仕事は今後も続きます」 最後に、オオカワ氏は氏の家族と友人、それから長年にわたり氏を支持してくれたす べての人たちに深甚な謝意を表明している。
 
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●  アメリカ定点観測(佐藤成文)  1600満点から2400点満点
その国に生まれ育った人には、単なる数字の羅列だけで、それが何を意味するかが すぐに分かるものの、他の国の人にとっては意味不明という数字があります。例えば、 日本での「七五三」「二二六(事件)」などは国民の〈了解事項〉ですが、日本の事 情に疎い外国人にとっては無意味な数字にすぎません。  一方アメリカ人にとっては、「90210」という数字を口にするだけで、何の話 をしているのかが分かるといった次第です。その伝でいくと、「1600」という数 字も、大部分のアメリカ国民にとっては共帳体験を意味するものでしょう。ところが、 ほぼ八十年間にわたり重要な意味を持ってきた「1600」が、今年から「2400」 になって、アメリカ国民の間でちょっとした混乱を招いています。
 
アメリカでは三月から五月にかけては、「大学受験シーズン」の一種のピークで す。まず、その年の九月から始まる新学年度を控えて、各大学への入学志願者に対す る「合否発表」があります。入学手続きなどの一連の書類が含まれた分厚い封筒が届 くのか、あるいは「残念でした」という紙切れ一つの薄っぺらな封筒が届くのか、受 験生や父兄にとっては毎日が胸を締め付けられるような緊張の日々が続きます。  そして、合格帳知をもらった大学のうち、どこに入学するかを決める期限が五月一 日(今年は日曜日のため、翌二日が締め切りという大学が大部分)に迫ってきます。 たとえ第一志望の大学に合格しても、その大学からの学費援助の規模や連邦政府の奨 学金を受領できるのかを含めて、年間何万ドルという学費を負担できるかどうかで父 兄が頭を悩ませることになります。  これと並行して、十一年生(日本風では高校二年生)にとっては、翌年の新学年の 合否の判断材料となる学業適性テスト(SAT)の最初のテストが三月中旬に実施さ れます。その結旺が四月初旬に発表となり、十一年生にとっては、志願大学が手の届 くところにあるのかどうかの目安が分かる次第です。
 
日本では、「アメリカの大学に入学するのは容易だが、卒業するのが大変」という のが〈常識〉になっているようですが、実際には、いわゆる有名大学や名門大学へ入 学するのは毎年難しくなっており、SATのスコアを少しでも引き上げることを目的 とした受験勉強のための受験産業も隆盛を極めているのが実情です。  各大学ではSATスコアだけではなく、日常の学業成績、課外活動、コミュニティー サービスなどを総合的に判断して合否を決定しているとしていますが、受験生にとっ ては、全米統一テストであるSATの点数が唯一の客観的な数字であるだけに、受験 する大学を決める際の最大の判断要因になっているとされています。
 
一九二六年から実施されているSATは、カレッジボードという非営利教育団体が 全米で実施している文字帳りの適性テストであり、大学に入学してからの勉学でどの 程度適応していくことができるかを測定するのが目的で、受験生の学力テストではあ りません。しかし、大学側が合否を決定する際に最も重視し、判断の比重が最大だと いう〈神話〉が根強くあり、学力の客観的な基準としても社会に受け入れられていま す。  例えば、二〇〇〇年の大統領選挙では、共和党のジョージ・W・ブッシュ候補(現 大統領)の〈知的蔓での適性〉が争点の一つになり、学力がそこそこだったにもかか わらず、ハーバード大学と並ぶアイビーリーグの最難関校であるエール大学に入学で きたのは、祖父、父親(ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領)がいずれも同大学の 卒業生であったからというのが話題になりました。選挙戦中に明らかになったブッシュ 大統領の高校時代のSATスコアは1206でした。SATは英語と数学のテストに 分かれており、それぞれ八百点満点で、合計1600点が満点です。  八大学から成るアイビーリーグやマサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフ ォード大学、デューク大学などの超難関校では、新入生の平均スコアは1350程度 ですから、SATの数字だけからすると、ブッシュ大統領は合格・不合格の境目にあっ たとみられています。ちなみに対立候補の民主党のアル・ゴア副大統領(当時)のS ATスコアは1355で、ハーバード大学に入学した学生の平均的な点数でした。
 
SATスコアは、大学入学を目指したアメリカ人にとって、一生を帳じて強烈な印 象を残しているようです。年を取っても、「自分は何点だった」と思い出すことので きるアメリカ人は珍しくありません。平均点数は1020前後ですから、普帳の学生 にとって、満点の1600点を取るなどは夢のようなことですが、毎年全米で千人近 い生徒が、この満点を獲得しています。  ちなみに二〇〇四年の受験生は累計で百四十二万人で、満点を取った生徒は九百三 十九人でした。そして1600を頂点として、1450以上のスコアならば難関大学 合格の可能性大、1250程度なら最難関校はちょっと無理ながら名門州立大学なら ば可能性大、1000ならば地方大学を狙うのがベストといった一応の目安ができ上 がっていました。
 
ところが今年からSATの試験科目が変わり、従来の英語(読解力)と数学に加え て、作文力をテストするための科目が加えられ、その一部として、その場で与えられ たテーマについてエッセーを書くことが課せられました。 これは、SATの最大の 〈利用者〉であるカリフォルニア大学(UC)が、大学新入生の表現力と論文執筆能 力が近年著しく低下している背景には、SATでは多肢選択のみにとどまっているこ とにあるとして、作文力を見るエッセーを義務付けることを要求したのがきっかけで す。これが受け入れられなければ、今後はSATを合否の判断材料に使わないとカ レッジボードに迫った結旺、二年前にエッセーテストの採用が決まりました。  カリフォルニア大学は、公立大学としてはアメリカではトップレベルにあるバーク リー校やロサンゼルス校(UCLA)などを擁するアメリカの代表的な高等教育機関 だけに、カレッジボードとしてはその要請を無視できなかった次第。
 
この改訂により、SATのテスト時間はエッセー執筆を含めた表現力テストが加 わったことで四十五分増えて、三時間四十五分という長時間になりました。三科目に よる最初の新SATテストが実施されたのが三月十二日で、四月十一日に結旺が明ら かになりました。  今回は全米で約三十万人の生徒が受験し、2400点満点を取ったのが百七人との ことで、カレッジボードでは旧来のSATに比べて「違ったものになっているが、難 しくはなっていない」としているものの、数学での難易度が高まるなど、幾分難しく なったようです。満点を獲得した生徒は州腹ではカリフォルニア州が二十四人でトッ プ、次いでニューヨーク州の十一人、マサチューセッツ州の七人などとなっています。 カレッジボードでは、新SATの最初のテストだけに、平均点や点数の分布状況など を整理するには来年までかかるとして、テスト結旺の詳細を明らかにしていません。 このため、例えば1900点を手にした生徒が、全体でどの程度に唖置するのか不明 で、戸惑っているようです。
 
新SATの目侠は、もちろんエッセーです。客観的な点数評価が難しい作文のため、 カレッジボードでは採点には細かい注意を払っています。採点するのは、主として高 校の国語(英語)担当教師で、二人一組でエッセーを読んで、最低1から最高6まで の点数を付けます。そして、採点者の間で2ポイント以上の点差があれば、リーダー と呼ばれる責任者が加わり、最終評価をします。完璧なエッセーは要求されておらず、 〈初稿〉扱いとされるため、つづりの間違いや、句読点が不備でも点数には影響せず、 また悪筆でも評価が下がることはないそうですが、あまりの悪筆で読めないようなも のは点数に影響します。
 
来年秋の大学進学を目指す生徒たちにとっては、一回勝負ではなく、まだ数回テス トを受けるチャンスがあるのは従来帳りで、第一回の点数が不満なら、さらに〈受験 勉強〉をして点数を上げることが可能です。しかし、これに関連して、近年盛んになっ ている〈受験勉強〉が問題になっています。  アメリカでは、日本や韓国のような激しい受験競争はないものの、いかにSATの スコアを引き上げて、第一志望の大学に合格するかが教育熱心な父兄や生徒にとって 最大の関心事となっていることも間違いありません。そして、数百ドルから数千ドル の受験勉強の費用を負担できる家庭の生徒かどうかが、最終的なSATスコアに響い てくることになり、カネをかけることのできない生徒は、この段階で新たなハンディ を負うという指摘が出てきています。
 
日本でも最近は、名門大学での比較的裕福な家庭の子弟の比率が高まっているよう ですが、アメリカでもその傾向が強まっています。教育水準が高い高校は公立、私立 を問わずに所得水準の高い地域に集中しており、金銭的に余裕があることからカネを かけた受験勉強が可能だという背景があります。  ある教育機関の調べによると、アイビーリーグやカリフォルニア、ニューヨーク、 ミシガンといった著名な州立大学など全米四十二大学では、二〇〇〇年秋の新入生の 四〇%以上が年収十万ドル以上の家庭出身者だったとのことです。中でも、ハーバー ド大学では新入生家庭の年収平均は十五万ドルという高い水準でした。全米の世帯平 均所得が五万ドル程度ということからすると、名門大学は金銭的に敷居が高いという ことになります。
 
学生の家庭の所得水準が高いのには、授業料が高騰を続けているという背景も無視 できません。カレッジボードが昨年十月に発表した全米二千七百の大学を対象とした 学費調査によると、年間授業料は公立大学で平均五千百三十二ドル、私立大学は同二 万八十二ドルで、平均上昇率は一〇%でした。授業料が公立大学で五千ドル台、私立 大学で二万ドルを突破したのは初めてです。これに学生寮などの家賃や食費を加えた 学生一人当たりの総経費は、公立では一万千三百五十四ドル、私立では二万七千五百 十六ドルになりますが、アメリカの代表的な〈エリート養成大学〉であるアイビーリー グでは、授業料が高いことから平均年間総コストは四万五千ドルという驚くような高 水準になっています。 もちろんアイビーリーグなど有名大学では潤沢な財源がある ことから、必要な学生への奨学金供与が行われているため、「金持ちの子弟以外はお 断り」にはなっていないものの、「アメリカンドリームを実現させるという大学の主 要な目標からすると、根本的な公正さの問題だ」(ハーバード大学ローレンス・サマー ズ総長)ということになります。  「万人に開かれた大学」という理想の実現を目指して、公立高校での受験勉強コー スの導入や各大学での奨学金制度の充実などの措置が取られているものの、「エリー ト大学が金持ちの子弟のためのもの」という傾向が強まると、「貧富の格差拡大」と いう最近の風潮を加速させることになるわけで、社会問題視する声も強くなっている 最近のアメリカです。
 
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●がんばるハワイの新一世:「サンシャイン・スキューバ」オーナー篠前元男さん
サンシャインという店名がぴったりというのが店に足を入れた時の印象。店内は受 講者の写真や情報が色彩豊かに飾られているが、それに負けないぐらいオーナーの篠 前さんとスタッフが明るくフレンドリー。店名は「いつも明るく輝いていて楽しい所 にしたい」という思いが込められている。篠前と珍しい姓だが、〈モトさん〉、また は〈マジシャン・モト〉のほうが通りが良い。
 
記者が訪れた時は、インストラクター免許取得のセミナーが開催されていて、モト さんが私を紹介すると、受講生から拍手で迎えられた。ちょっと照れるがいい感じ。  「スキューバダイビングを楽しみに来られるのですから、ハワイの太陽のように明 るくお迎えしたい」とサービス精神いっぱいの演出で受講生を迎える。といって、モ トさんは無理をしていない。天性のサービスマンシップを発揮しているだけだ。  一九五四年の大阪生まれで大阪で育ち、関西外国語大学英米語学科を卒業した。  大学時代で自慢できることはヨット部を創立したこと。ぼろぼろの中古を一隻、購 入し琵琶湖で週末は練習していた。これが海への憧れに繋がった。実際のところ、ヨッ ト部卒業のほうが正解と嬉しそうに笑った。  「大学を出てヤマハのヨットのセールスマンになりました。ヨットに乗って給料貰 えたらエエなあという動機でしたが、ヨットを売らないと給料はくれませんよ(笑う) 。十年間勤め、その時、ダイビングの初級ライセンスを取りました。そんなにブーム でなかった頃です」  三十五才の時に退社し渡米する。その時の同行者が奥さんのキヨさん。  「おかみと呼ばれています。マイワイフ、おかみは毎朝、ダイビングの参加者のラ ンチを作り、それ以外は新舞踊をやっています」と、店内に並ぶ奥さんの舞踊姿の写 真を指差す。
 
同店ではトレーニングコースを行いPADI(プロフェッショナル・アソシエーショ ン・オブ・ダイビング・インストラクターの略)の試験官によるテストを受け合格す ると、世界中で通用するインストラクターの資格が授与される。モトさんと総支配人 のシマさんは、プロのインストラクターの審査ができるコースディレクターというトッ プの資格を持っているが、サンシャイン・スキューバでトップの座に君臨するのはお かみということだ。  「おかみではなく神(かみ)みたいなものです。おかみには逆らえません。おかみ に逆らうとランチがなくなります」と恐妻家を演じるがどこまで本気やら。  奥さんのキヨさんは三百六十五日欠かさず、受講生のランチ作りをしショップを支 える。ホームページでもおかみのページがあり、夫婦揃って芸達者である。  「おかみは吹田の不動産会社の経理を長い間していて、二人して一区切りしようと 会社を辞め、十日のチケットを買ってニューヨークへ遊びに行ったのです。  十日目に帰りのチケットを破棄し、マイアミで二年いました。そこで僕は中級から プロのインストラクターまでの資格を取り、おかみは英語の勉強をしました。二年後、 すってんてんになったので帰国しました」  帰国後モトさんは神戸のダイビングショップで二年間働き、九一年五月に現在の カカアコの場所にサンシャイン・スキューバを開店した。二月に生まれた長男ケント 君を連れての出発だった。  「オープン当初はさすがにお客さんは来ません。広告を打ってもボツボツの入りで 何とか行けるなあと思ったのは三年経ってからですね。 そうこうしている間に日本 の雑誌がダイビングの後にマジックをしてくれる面白い店があるということで取材し てもらったのを機にボツボツが、一日に八人ぐらいに増え少しづつ軌道に乗ってきま した。今は九割がリピーター、もしくはご紹介のお客様です」  少々ワイキキから離れていても送迎をするので、カカアコでも良いと考え、最初か らワイキキやアラモアナでの出店は考えなかった。九一年に一室で始めた店も三年目 に隣の部屋を加え、次の三年目に、他の部屋も加え、最初のオフィスより三倍の広さ に拡張した。    「オープンした日からおかみのランチと、お客様が店へ戻られてからの僕のマジッ クショーが売物です。  マジックは大学時代から趣味でやっていました。仕掛けを買って勉強し結構凝って いましたね。こちらに来て、自己流では限界があるので、プロについて勉強もしまし た。今は店でやる以外、パーティーや子供の誕生日などマジシャンとしての出番もあ ります」と、カード、コイン、ロープなどを使った手品を披露してくれた。その鮮や かな手先に見とれている私を見て、得意そうなモトさん。  お店ではダジャレを言いひょうきんなモトさんだが、実地で海に潜る時は安全を第 一に心掛け、無事故無違反でやってきた。指導の時は真剣な指導官の顔に変わる。  「事故が致命傷になることがあります。事故によってダイビング自体が危険と思わ れるのが怖いです。一人のインストラクターが自分が見られない以上のお客さんを連 れて行く事が、一番まずいケースです。うちの場合は一人のインストラクターが見ら れるお客さんは二人まで。両手がありますから二人は見られる。三人のお客さんの場 合は二人行きます。これはオープンの時から徹底しています。  自然相手ですから無理をしない事です。海の状態が悪ければ場所を替える。ダメな らその日は止める。お客さんに返金すればいいわけですから」と、安全第一でやって きた。
 
サンシャイン・スキューバのお客さんは一〇〇%日本人。他の観光業種と同じでビ ジネスの浮き沈みは体験したが、自分達の好きなことをしているので、前向き志向、 そして楽天家夫婦は気にしない。  「不安と思って躊躇していたら、そこから先には進めません。とりあえず、自分の 好きなことをするのですから、ダメでも元々と思い、とりあえずチャレンジしてみよ うとスタートしました。それが一年、二年、いや三年かかるかもしれませんが、夢に 向って頑張れば実現すると思う。私達は諦めて日本へ帰ろうと一度も思いませんでし た。好きなことをやってきましたので、くじけずにここまで来られたと思うのです」 と、サンシャイン・スマイルが返ってきた。
 
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● 講演「命の大切さ、命の不思議」(下)
『がんばらない』の著者・鎌田實医師
体の中にはガン細胞と闘ってくれる細胞がある
一九八六四月二十六日年チェルノブイリ発電所で、大爆発が起きました。天井が吹き 抜けて三千メートルほど放射能の灰が吹き上げられ、ちょうど南から来た風に乗って 北側の国々に落とされ、ベラルーシ共和国が大変な汚染をしまして、私はそこの子供 たちの救援活動を支援しました。十四年間に七十八回医師団を送り、約六億円のお金 を集め子供たちを助けるために、お薬やむこうのドクターたちを教育する事をしてき ました。
 
一九九一年ベラルーシ共和国のゴメイ州立病院の白血病棟に行ったとき、白血病の少 年のお母さんに助けて欲しいと言われ、私達は救援を始めました。それでこの少年は 助かりました。十年ぶりに私を訪ねて来てくれ、十八歳になる少年と再会しました。 多くの協力してくれた日本人からのお薬で、沢山の子供たちの命が救われるようにな りました。しかし、助けてあげられなかった子供達もいました。難治性白血病のため に日本から送った抗ガン剤が全く効かず、もう死を待つだけという少年が十一人いま した。日本から骨髄移植の専門医を三人連れて行き、現地の医師にも教え、骨髄移植 で何とか助けようと試みました。十人が助かりました。でも一人だけアンドレイとい う少年を助けてあげることが出来ませんでした。
 
話は少し戻りますが、私は長野県の茅野市で地域医療をしており、今も往診をしてい ます。その往診をしている方が亡くなった時、私は一か月ほどして必ずお悔やみのお 線香を上げに行きます。それは人生哲学みたいなものですが、その人一人を診ていの ではなく、その後ろにいる家族も一緒に観ていき、支えてあげたいと思っています。 そしてその地域のことも考えあげたいと、ずっと思ってきました。だから亡くなった らそれで医師の仕事が終わったわけではなく、家族に一言「よく看てあげたね」と、 伝えるのです。 どんなにこちらの頭が下がるほどよく看てあげた家族も、「私がもっとしっかりして いればとか、もう一寸こうしてあげれば」と悔いを残しています。長いこと寝たきり の方を家族が看ていたから、さぞせいせいしていると思ったら、そうじゃないのです。 せいせいしている部分だって人間だから間違いなく少しはある、でも多くの家族が心 の半分では、心を痛めているということを知りました。そして一言声をかけることが、 彼らの慰めに繋がるということも、彼らから教わりました。私はお悔やみ訪問という ことを、今も続けています。
 
さて私達が精一杯したけれど助けられなかったアンドレイという少年、そのお母さん にお悔やみに訪ねたいと思い、ベラルーシの片田舎の家を訪ねました。お母さんは待っ ていてくれて、よく来てくれましたと喜んでくれました。そしてエピソードを話して くれました。「私達家族にとって一番大切な息子を失った。けれど私達には忘れられ ない人が一人いる、それは日本人の若い看護婦さん」とお母さんは言いました。 アンドレイ君は骨髄移植を受けた二月の寒いときに、敗血症で熱にうなされて食事が 全く食べる事ができませんでした。その時に日本からの看護婦さんがアンドレイに 「何が食べたい? 何が食べたい?」と何度も聞いて、でも彼はもう口内炎で水も飲 めなかったし、答えることもできませんでした。また看護婦さんが日を変えて「アン ドレイ何食べたい? 何なら食べれるの」と聞いた時、彼は「パイナップル」と言い ました。 この少年は家族で一度だけ一かけらのパイナップルを食べた事があって、そのことを 思い出してアンドレイは「パイナップル」といったのです。それを聞いた看護婦さん は仕事が終わると、毎日毎日マイナス二十度になる雪で埋もれた町を、お店を一軒一 軒「パイナップルありませんか?」と聞いて廻ったのです。でも無いんです。経済が 崩壊して輸入品とかが無くなって、どこを探してもパイナップルを売っている店はあ りませんでした。でもこの看護婦の話は、町中の噂になっていきました。日本人がパ イナップルを探してる、そしてその意味がだんだん伝わっていきました。噂を聞きつ けて、自分たちの国の子供のためにそこまでしてくれる日本人がいるのだと思った人 が、自分の何かの時に使おうと思っていたパイナップルの缶詰を病院に届けました。 そしてパイナップルを食べ、不思議なことに息子はそれから食事をとれるようになり ました。家族は全員がもう白血病は治ったと思いました。でも十か月後に亡くなりま した。だけど「雪で覆われた町の中を、一軒一軒息子のためにパイナップルを探して くれた日本人のいたことを忘れない」と、お母さんが言っていました。 この時は、助けた子供たちが、花やチョコレートを持って私を訪ねて来てくれました。 でもすごいなと思うのは治らなかった家族がそれでも感謝している。ここに人間のす ごさがあるのではないでしょうか。
宗教、言葉も、文化が違っても人間は理解し合えるんだ。その事をお母さんは言って いると思います。 二十一世紀は、アフガニスタンやイラクで二回も大きな戦争が始 まりました。戦争になれば障害者とか子供たちや女性など弱い人たちの命が奪われて いきます。やっぱり命が大切。命のためには環境や平和を守っていくということが、 大事なんだということを、このお母さんから教わりました。
 
悪性リンパ腫と闘った少年の話をしたいと思います。彼は長野オリンピックの希望の 星と言われていて、強化選手に選ばれた青年でした。私の「がんばらない」という本 に出てくるケンちゃんという青年です。彼は全部自分の病気のことが判かっていて、 ぎりぎりまできた時には自分が入るお墓まで見に行きました。自分が納得したこと以 外はしたくないという主義でした。彼には病状についての秘密がありませんでした。 少し良くなると彼は旅へ出て、オートバイに乗って日本海に海を見に行ったりしてい ました。 彼は亡くなる寸前にお父さんから、言い残すことは何かないかと聞かれて、「僕だっ て結婚したかった、そして自分の子供を持ちたかった。もっともっといろんな所へ旅 をして、世界を見たかった。でももう自分としては精一杯生きたし、そんなことを言っ てもしょうがないと思う」と言いました。抗ガン剤の苦しみに歯を食いしばって、少 しでも良くなると彼はまた旅に出ました。旅に出るということを、彼は生き甲斐にし ていました。
 
四十二歳の子宮すい癌の患者さんからは、このようなことを学びました。彼女は余命 三か月と云われ、県を越えて諏訪中央病院のホスピスの病棟に入りました。ホスピス とは痛みを止めてくれる専門の病棟です。この病棟に移ってしばらくすると、彼女に 笑顔が出てきました。そして私にもっと生きたいと言いました。 「三か月の命だといわれて、ここに来るまでは痛くて苦しくて、三か月生きられなく てもいいと思っていました。ところが痛みを止めて貰ったら人間って不思議ですね、 もっと生きたいんです」。私は声も出なくて、黙って聞いていました。 「私には高校三年になる息子がいます。先生少しだけ長生きさせて下さい。春まで生 きたい。三か月という命の告知を受けて、どうやっても春まで生きられません。でも 自分は生きたい。自分のためではなく子供のために生きたい」と言いました。そして 彼女はそれを希望としました。
 
私たちは全力を出して、専門の先生も加わり化学療法をしましたが、彼女の病気に化 学療法はあまり効かないんです。それで、私たちは彼女の免疫力、彼女の中にある細 胞に何かいい仕掛けはできないだろうかと考えました。すると奇跡が起きたのです。 彼女は春まで生きました。彼女は息子の卒業式に出ることができました。彼女自身は 勿論、私たちも大変喜びました。誰もそこまで生きるとは想像もしていませんでした。 実は彼女は他にも、もう一人子供がいました。年子の弟でした。やっと笑顔が出た九 月の時は高校二年だった子の卒業式まで、つまり翌年の卒業式まで彼女は生きのびま した。母親が子供のために生きたいということは凄いことなんだという事を教えられ ました。これはもう科学的なデータを越えた話です。 弟さんの卒業式のときは、式に出席することはできなかったので、電話で「ああしな さい、こうしなさい」と、お母さんの役をちゃんとして、そして卒業式が終わるとお 子さんが病院に泊まる支度をして来ました。私が夜お母さんの部屋を訪ねると、二人 でお酒を飲んでいました。いいですねと私が云ったら、「卒業式に私が出られなかっ たから二人だけの卒業祝いです」と、お母さんがいいました。そして十四日後彼女は亡くなりました。
 
後日娘さんが思い出話をしてくれました。私たち医師は少しでも体調が良いと、彼女は家族のために生きたいと思った人だから、家族の元へ外出や外泊をさせました。家に帰ると必ずお勝手に立ち、そして子供達のお弁当を作りました。 最後の時は身体がぎりぎりになっていて、医師としては無理だろうと思いましたが、もう一度家の空気を吸わせて上げたいと、もう空気を吸ってくるだけだろうと思って送り出しました。その時も彼女はお勝手に立ちました。「母が最後に私達に作ってくれたお弁当はおにぎりでした。私はお昼が待ちどうしくて、待ちどうしくて、いられませんでした。でもお弁当箱を開けたとき、何ともせつなくておにぎりに手を出すことができませんでした」と、娘さんは言いました。お母さんは丁寧に丁寧に自分の分を生きて、丁寧に生きる中で子供たちに、命の大切さをちゃんとバトンタッチしたのではないかと思います。 余命三か月といわれたお母さんが一年八か月生きながらえました。みんなの体の中にはナチュラルキラー細胞というガンと闘ってガン細胞を食べてくれる細胞があります。私たちの分からないことが体の中にはあるのです。分からないことがあるということが、逆に私たちにとって最後の希望に繋がっているのかもしれません。(終り)
 
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● 年輪「ハワイ日系人社会を見続けてきた小林達吉」4:日本で過ごした子供時代
当時は日本郵船の龍田丸(たつたまる)や秩父丸という名前の大きな客船が、日本とハ ワイの間を行き来していました。私は小学校二年生のはじめに船に乗り、日本に渡り ました。その前にも三回ほど日本には行っていましたから、「また遊びに行く」とい う軽い気持ちで、母と一緒に船に乗り込みました。 船の中に母親の知り合いだった「ハワイタイムス」の編集長・川本勝一さんや、パラ マ日本語学校の女性教師・村田さんが乗っていて、客室に遊びに行ったのを覚えてい ます。私が乗った頃は横浜まで九日間の旅でした。船のペンキの匂いで船酔いする人 がかなりいました。
 
横浜に船が着き数日旅館に泊まった後、汽車で二十数時間かけて、広島に着きました。 落ち着いた先は、兄姉のいる広島・厳島神社(いつくしまじんじゃ)の前の海岸の、今 は廿日市市(はつかいちし)という名前になっています。昔は佐伯郡地御前村(さいき ぐんじごぜん村)と言われていました。最初は日本の生活が、物珍しく感じました。 ハワイでは日本人街の中心地アアラに住んでいましたから、店も多かったのですが、 地御前は店も少なくて田舎でしたね。 地御前での家はとても大きかった。後から聞いた話ですが、家を建てた当時、村の人 が見に来ていたそうです。表の家に続いて中庭があり、裏の家に続いていました。表 門から裏門までは、百メートルはあったと思います。山陽本線の線路に蔓していまし た。
 
一番上の姉は軍人と結婚して東京に出て行っていましたが、二番目の姉の夫は学校の 先生をしていて、他の兄姉と一緒にその姉に育てられました。離れ屋には伯父さんに 当たる小林卯之助さんの奥さんが住んでいました。卯之助さんは最初にハワイで小林 旅館を始めた人で、私の父親である金次郎が卯之助さんの跡を継いだのです。 画家の小林千古(せんこ・第二話で紹介)の家も、近くでした。千古さんの家は、小学 校の近くにありました。何年か前、学校が校庭を広げる為に、千古さんの敷地の一部 を買い取りました。その時に蔵から沢山の絵が出てきて、息子が広島県に寄付し、現 在でも流川の広島県立美術館に千古の絵が沢山展示されています。 さて村の小学校に入ることになりましたが、日本語も片言ですし、読み書きもできま せん。小学校一年生からやり直しです。当時小学生は皆丸坊主でしたが、私は髪を伸 ばしていたので、よくからかわれました。 小学校五年生のときに大病を患い、市内の病院に一年間入院しました。小さいから治 りは早いはずでしたが、それでも一年かかり、退院してからもう一度小学校六年生を やりなおしました。
 
村での楽しみといえば、年一回のお祭でした。その時に流鏑馬(やぶさめ)を見たのを 覚えています。馬に乗った人が、家が並ぶ狭い道を馬で走り抜けるのです。流鏑馬の 最後は地御前神社境内で、ここで馬に乗った人が的を狙いました。 ハワイではシーモイ(旺実の梅漬け)などを食べていました。日本ではお菓子も鉄砲侠 という甘い飴侠です。家は海の近くにあり、その頃の遊びといえば、もっぱら魚釣り と夏の泳ぎでした。 日本に行った当初は、日本語の読み書きが出来ないので、学校の成績はひどかったで す。でもだんだん言葉がわかるようになると、学業も追いついてきました。その代り、 英語は田舎で聞くこともしゃべることもないので忘れていきました。六年生になると、 私の帳っていた五日市小学校では、学校が終わった後一時間か二時間残って勉強をし ました。立派な先生に会えたということもあり、その時期は本当によく勉強しました。 クラスは三十六人でしたが、皆もよく勉強したのでしょう、全クラスの生徒が中学校・ 女学校の受験に合格しました。私が入学したのは、広島県立第二中学校です。 中学には電車で帳っていました。私のような二世はあまりいませんでしたが、一人広 島の女学校に帳っている人が二世で、その人は現在ハワイに住んでいます。 当時は、もうハワイのことも聞きませんでしたし、知る由もありませんでした。中学 に入ると、英語の授業がありました。そういう時には、「小林は少し発音が違う」と 言われることはありました。
 
中学時代、私は水泳部に入ってました。家の近くに海がありましたから、水泳はお手 の物です。また学校に立派なプールもあったことも、魅力でした。私の後輩には、早 稲田大学の水泳部からオリンピックに出た田中純男(すみお)君がいます。 四年・五年生の頃になると、時代は戦争へと突入していきました。物もなくなり配給 生活です。当時は学校から勤労奉仕によく行かされました。学級によって兵器廠(へ いきしょう)や被服廠に月に約一回の割合で、男子生徒だけでなく女生徒も帳わされ ました。 中学校は五年制度で、その後は大学に行き、大学は予科が三年、学部が三年の六年制 度の時代です。大学は慶応義塾大学に入りました。だんだん戦争も激しくなってきた 時代です。学徒動員で学生も戦場に行かなければならなくなり、工学部と医学部は学 校に残れますが、文科系はすぐに学徒動員で、昭和二十年十二月、第一陣が入隊しま した。私もいつお呼びがかかるかわからない状態でした。私はアメリカで生まれまし たが、もう小さいときに日本に渡っていましたから、そのことで支障をきたすという ことはありませんでした。 ところが、満州にいた中学の先輩が「満州では文科系の学生でも、入隊させられるこ とはないから。満州に来ないか」と誘ってくれたので、そこで友人達と一緒に先輩を 頼って、満州に渡りました。昭和十九年、二十歳になっていました。〈六月十五日号 に続く〉
 
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● ホノルル市民の生活と意見 (英字紙・アドバタイザーの投書欄に見る)
■市長の計画  シニア・シティズンは増税に耐えられない
私は七十五歳で、退職しており、固定収入で生活している。我らの市長は、シニア・ シティズンがハワイの高騰を続ける生活費についていかれると思っているのだろうか? 我々は毎月一定のドル金額で生きて行かねばならない。それも、毎日の必需品を賄う のがやっとで、欲しいものを買うなんてとんでもない状況だ。 典型的な民主党員は、「資金が足りなければ、税金を引き上げよう。昇給がなくて、 その日暮らしの市民のことは心配するな」と言う。 OK、市長さん、増税しなさい。そして次回当選出来るかどうか……。(4・1)
 
■鉄道  先ずバスをもっと便利にすべきだ
市バスが充分利用されていないのに、ハワイ州はどうして鉄道敷設に何百万ドルも使 おうとしているのだろう?
ラッシュ・アワーの時だけ、バスは満員だが、残りの時 間帯では乗車率は五〇%にも満たない。州は、大規模な
大量輸送システムに取り組む 前に、バスをもっと便利なものにして、終日乗客を増やすような方法を考えるべきで
ある。(4・3)
 
■軽便鉄道  試しに、郊外まで運転を
これは軽便鉄道開発に反対している皆様に対する答えです。私はかってエワビーチに住んでいて、毎日仕事の往復に一時間半掛けていた。三十年後の今、私はワイケレに住んでいるけれど、ここでも仕事の往復に一時間半掛けている。「我々は軽便鉄道は要らない」という意見に苛立ちを感じる。我々はホノルルに住む余裕が無いから郊外に住んでいるのだ。「ノー」と言っている人たちは、午後四時半頃、エワビーチ、カポレイ、マカキロ、ワイアナエ、あるいは、ミリラニまで運転してみたら、きっと態度が変わると思う。そう、我々は増税して、リンダ・リングル州知事とムフィ・ハネマン市長という優れた指導者がいる間に鉄道建設を進めるべきである。(4・4)
 
■水と交通問題と人口過剰がハワイを脅かしている
最近の新聞のトップ記事。 その一。ハワイは天然の水資源が無くなってきている。 近年降雨量が非常に少なくなって来ているので、地下の貯水池の水が枯渇してきてい る。政府は長年にわたり、経済を拡大するために、人口の増大に依存してきたと言わ れてきた。 その二。通勤時間がこの先二十五年間で倍になるという予想がある。ハワイ政府には、 数年以内に空母とストライカー・タンク旅団を受け入れる計画があるという。それは、 路上の運転者が五万人も増えるという訳だ。 島は人口を無限に増加させることは出来ない。ハワイは、米本土の諸州がやっている ようには、メキシコ、カナダ、アイダホなどから水を取り込めない。郡・州・連邦政 府はハワイの人口増加を止めるべきである。 郡政府と州政府は、利用可能な資源があることを証明できない限り、開発業者への免 許と認可を拒否すべきである。島の水資源に対する過剰建設の悪影響を、誰も認めて 来なかった。でも、水は無くなってきているのである。 政府は、ハワイの経済を、資源の利用を減らし、より高い付加価値を生産する方向へ 転換させるべきだ。大量の観光旅行者の受け入れは、安価な労働力を更に必要とする。 ハワイにとっては間違った方向だ。軍事の土地利用は、民間部門からこれを永久に取 り上げ、浪費するだけで、単に我々の税金が再利用されるだけだ。(4・8)
 
■市は交通問題をどの位長く研究しなければならないのか?
最近、カパフルからホノルル国際空港まで行ったが、一時間以上掛かった。土曜日や 日曜日の朝の交通が比較的少ない時には十五分から二十分で行ける所である。 市の役人が、連邦政府と地方税二千万ドルを使って、二〇〇七年までに活動計画を作 るという目標で、長期の交通問題解決策を研究することになった、という三月三十日 の新聞記事に非常に興味を持った。 驚いた! アドバタイザの有能な交通問題担当の記者、マイク・レイダマンは、その 記事の中で次のように述べている。「市は過去二十年間に同じような計画を三回作成 したが、どれも実行に移せなかった」 従って、この新しい計画過程も十年から二十年掛かり、私もワイフももう七十歳代の 半ばなので、生き長らえて、その素晴らしい実りを見ることは出来ないであろう。昔 から言い古された計画過程に関する常套句「死ぬまで研究する」という言葉を、この 頃良く理解できるようになった。      (4・ )
 
■クヒオ通りの植樹計画に関わった人は、すべて非難されるべきだ
取り除くべきは、この美化計画を承認した市役所の役人たちである。最終的な責任は ハリス前市長に帰するが、彼が一人でこの計画を進めた訳ではない。我々の信頼を勝 ち取った人が、十分な事前調査を行わずに、この計画を進めたとは信じ難い。 植樹計画で誰が金銭的に利益を得たのか、また今度はこの伐採で誰が利益を得るのか? この問題に関わった人は皆けしからん、恥を知れ!(4・ )
 
■人口増加を抑えるべきというのは利己的な解決に過ぎない
ハワイは人口増加を抑制すべき、という先日の投書について。今までこんな利己的な 提案を聞いたことが無い。ハワイは美しいところであり、世界がこれを認めている。 我々のアイナ(土地)は、ノース・ショアの浜辺から、マウカ(内陸)のミリラニの 郊外、繁栄を続けるカカアコへと、多様性に富んでおり、すべてが少しずつ揃ってい る。そして、これが多くの人を引き付ける点である。  「私がハワイに来る最後の人となり、これ以降来る人にはドアを閉ざそう」という のは、簡単な解決策かも知れないが、非道徳的、共産主義的、自己中心的である。カ カアコ地域を都市化し、モノレールのような大量輸送手段を整備すれば、ハワイは、 ハワイを我が住処としたい人をすべて受け入れられるだけの余裕がある。  明確なビジョンを持つ一人として、私は生きていく上で何事にも制限を加えるのは 大嫌いである。(4・ )
 
■運転中の携帯電話使用は禁止すべき
運転中の携帯電話の使用を禁止すべきという社説に同感である。  運転中に食べたり、化粧直しをしたりする人は、赤信号で止まっている時や交通が 渋滞している時だけにやっている。携帯電話の場合は、良心的な運転者は赤信号で止 まっている時のみ電話を掛けるかも知れないが、車が動き出す時まで、話が伸びてし まいかねない。  もう一つ考慮すべき点は、車が動いている時は標識が見えにくくなり、運転者は頭 を左右に動かさなければならなくなることである。携帯を使う時は路端に車を寄せる という常識を持った運転者も中にはいるが、これは少数派だ。  事故を起こした運転者の内、どの位の人が運転中に携帯を使っていたことを認めて いるのだろうか?  手持ちか否かにかかわらず、全ての携帯電話の運転中の使用禁止に賛成である。と いうのは、話しをしていると心が奪われて、安全運転に必要な集中力が欠けてしまう からである。  議員の皆様方よ、携帯電話について正しい判断をして下さい。それから、手遅れに ならない内に、赤信号を無視して突っ切る運転者の問題に取り組んで下さい。(4・ )
 
■増税案は貧しい人々に 同情的でない
州議会はGET(一般消費税)を四%から四・五%に引き上げようとしている。こ れはハワイの老若男女全ての人に影響を与える。しかも、もっとも余裕の無い人にもっ とも大きな影響を与える。この案には同情はひとかけらも無い。ムヒ・ハネマン市長 はこの不公平な案を熱心に支持している。 これは四人家族にとって年間八百九十六ドルという巨額なGETの負担増加となり、 この家族の年間の合計負担額は四千ドルを超えることになる。食費、医療費、それに 家賃などの費用が、値上がりに耐えられない人々に対して不当に上がることになる。  上院はこの不公正を認めて、これらの家族に対して年間十ドルから五十ドルという おしるしのリベートを提案している。しかし、これはこれらの家族が生涯にわたり支 払いを強制される年間八百九十六ドルの追加費用の足元にも及ばない。(4・ )
 
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● 第七回「ハワイ大学詩コンクール」日本語専攻学生の詩 入賞者発表
ハワイ大学東アジア語学文学部が主催する第七回「詩コンクール」が行われ、今年 は昨年の百八十三編を上回る二百三十九編の応募があった。(投稿者は百五十九名)  「今年で七回目になりますが、回が増えるにつれ、応募作品数が増え、学生も詩を 創る楽しみを知ってきたようです。  また、コミュニティとの繋がりも昨年以上に強まり、日系企業、団体、個人などか ら、昨年以上の寄付を頂き、入賞者に商品券、ギフト券、文房具、Tシャツなど数々 の賞品を贈ることが出来ました。また昨年に引き続き、入賞者の詩は四月二十三日の KZOOラジオ放送で朗読されました。  この詩コンクールを通し、学生達が日常感じた事、見た事などを日本語で表現する ということを続けていってもらいたいと思います」と、グラディス・ナカハラ詩コン クール委員長は語る。他のコンクール委員はマサミ・ラックマン、ミサコ・スチヴァ ソンの両講師が務めた。  コンクールは初級、中級、上級、短歌の四部門に分け、最優秀賞、優秀賞、準優秀 賞、努力賞が選ばれる。  各部門の最優秀賞と優秀賞を紹介する。
 
初級1部門
最優秀賞 アリサ・ウォング 
  とりのうた
  はながおきます   かぜおどる
優秀賞 クリスティン・タカハシ  『私のハワイ』
  とてもしずかできれい  たくさんの雨と日の光
  こいみどりの山   明るい色の花
  うすあおいうみ   涼しい夏の日
  あたたかい冬の夜    しんせつな人が多い
  ハワイがだいすき
中級2部門
最優秀賞 ハナ・ハー 『心で』
  こころでなかないで下さい。    こころでないたら、いたすぎます。
  こころでなかないで下さい。  こころでないたら、かなしすぎます。
  でもこころでないてもいいです。   私がちかくにいるから   こころでないてもいいです。
  だいじょうぶだから…。
優秀賞 ジェラミー・コワルズック
  エネルギーは50万カロリー   水は4000ガロン   結果は1キロの牛肉
  エネルギーは1000カロリー  水は50ガロン   結果は1キロの大豆    と健康な心
上級3部門
最優秀賞 ヤマト・ミルナー
 暖かく  初めて開く  春の恋
優秀賞 キース・ヌノカワ 
 地図捨てた  迷ってもいいよ  君がいる
上級4部門
最優秀賞 デール・ハミルトン
  午後の海  風のささやき  波おどる
優秀賞 ミンエー・ユーン   『秋と冬』
  大好きな季節は秋。  秋、その人が私の心に入って来た。  その秋、秋が美しいことを知った。
  大きらいな季節は冬。  冬、その人が私の心から出て行った。  その冬、冬がきびしいことを知った。
  この秋と冬、  私の心はいそがしかった。
 
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● ホノルル点描 ハウツリーの木陰
西川幸夫氏の 〈ホノルル点描〉連載スタート
ホノルル及び郊外の名所旧蹟を、絵と小文で紹介する〈ホノルル点描〉を今号から 連載します。絵は北九州市在住の西川幸夫氏。「何度でもハワイを訪れて百か所を目 指して頑張りたい」と意気込む西川氏。 文は小紙の編集部員が担当する。
〈西川幸夫氏略歴〉 
 一九三九年、福岡県北九州市生まれ。一九六一年〜一九九四年、新日本製鉄株式会社に勤務。五十五歳で早期退職し画業に専念する。  六年前から北九州市内でスケッチ・淡彩「四季彩」塾を主宰。八教室、現在、生徒数八十三名。出版者からの依頼で、線を生かしたスケッチ・淡彩で、主にヨーロッパ 各地の街並みを描き続ける。毎年数回の個展をデパート等で開催。郵政公社の依頼で、 官製はがき「北九州名所七景」など九シリーズの原画を描く。  
他に、カレンダーの原画、書籍の表紙画や挿絵なども手がけ、その仕事は広範囲に わたる。著書『北九州一〇一景』、画集「寅さんが旅した風景」がある。  現在、山口新聞に「長門一〇一景」を連載中。今年中に宮崎県延岡で「延岡やすら ぎ一〇一景」の画集発行を目指し制作中。
 
スティーブンソンの愛したハウツリーの木陰
ワイキキ地区の東端、ニュー・オータニ・カイマナビーチ・ホテルのロビー海側に レストラン「ハウツリー・ラナイ」がある。名前のごとくここにハウの古木があり、 かつて「宝島」や「ジギル博士とハイド氏」で知られるスコットランドの文豪・ロバー ト・スティーブンソンが、この木陰をこよなく愛し、ここで原稿を執筆したと言われ ている。
スティーブンソンがハワイを初めて訪れたのは一八八九年。当時〈サンスーシー〉 (仏語で〈無憂〉の意)と呼ばれたこの臨海別荘が大変気に入り、一八九三年の二度 目の来布時にはここに宿泊。来客名簿には「素晴らしい眺め、新鮮な空気、透き通っ た海、極上の食事、心奪われる夕陽、その様な所をお望みでしたら、私はためらわず に、サンスーシーをお薦めします」と書き残している。  サンスーシーとは、ここのビーチの名前で、その昔、ハワイの名家であるマクネリー ファミリー(デパートなどのオーナー)の別荘があった。今、レストランを囲ってい る白い柵は、その頃からの名残りという。 
別荘は後にマキナニー一族が敷地の一部と隣接する土地を手に入れた。一九五〇年 代に地元のビジネスマンの重永茂夫氏が取得、日本の投資家とでカイマナ・ホテルを 開業、一九七六年にニューオータニ・ホテルの経営となった。 時は移り人の姿は変わっても、ここには同じ夕陽の美しさがある。
 
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● 日本通信(東都仁志人)「殴り殺される覚悟」で書いたら
   … 韓国に見る言論の自由と知識人
〈東京発 5月9日〉 三月号の通信で、盧武鉉・韓国大統領の「3・1独立運動記念講演」の提言を紹介し、 いわゆる「歴史認識」について、これまでの通説である植民地化、挺身隊=従軍慰安 婦、創氏改名、ハングル禁止などを見直す良い機会だろうと書いた。 ところがその直後に島根県議会が「竹島の日」制定を決議してから韓国内で反日気運 が高まり、追いかけるように中国でも反日デモ各地で頻発、ついには暴徒化するに至っ て、さながら韓国・中国による反日統一戦線が出来上がったかのようだった。  中 国の反日デモは中国政府の規制と指導で一応の治まりを見せてはいるものの、中・韓 ともに「反日」の根は深いため、ちょっとしたきっかけで再燃する恐れがある。その 辺の事情については、別のページで掲載される呉善花(オ・ソンファ)さんの論考を お読みいただける筈だ。ここでは、韓国における言論の自由と知識人の在り方につい て、最新情報を交えながら考えてみたい。
 
三月号の通信では、二〇〇二年に韓国で出版された金完燮(キム・ワンソプ)『親日 派のための弁明』(日本語版 扶桑社)と、韓昇助(ハン・スンジョ)氏の論文「共 産主義・左派思想に根ざす親日派断罪の愚 日韓併合を再評価せよ」(月刊誌『正論』 四月号)を簡単に紹介した。 両氏ともに、韓国で通説とされている(日本でも殆ど同じだが)日韓併合と植民地支 配の歴史認識が如何に誤っているかを冷静に指摘しているだけなのだが、それが韓国 では「親日派」というレッテルのもと、「かつてスパイの烙印が押されたのと同じよ うに政治も社会生活も全て放棄しなければならない」(金完燮氏)のが実情なのだと いう。
例えば、呉善花さんの処女出版『スカートの風』は一九九〇年のこの通信で紹介して いるが、呉さんはその後も一貫して祖国への批判と提言を繰り返してきている。その ため呉さんにも「親日派」のレッテルが貼られている。で、どうなるかというと、最 近の新聞・テレビの報道系インターネットの掲示板や、メールで寄せられる読者の