バックナンバー: 2005年  5 月 1 日
● トップ: 増加が期待出来るハワイへの日本の修学旅行生

        ---  特徴・動向・問題点を関係者に聞く  ---

● ハワイは今:
   ・ハワイの高齢者は二〇三〇年には二二%に
   ・ハワイのハイテク企業 ロスのジャムダット・モビール社に売却
    携帯電話のゲーム・ ソフト
   ・ハワイの不動産業依然好調少ない在庫数が原因
   ・飲酒運転常習犯の車は強制接収HB号法案成立施行は州知事検討中
   ・二〇〇四年の州交通事故犠牲者百四十二名に
   ・「CO2(二酸化炭素)が急増」マウナロア観測所が発表
   ・ホノルル市公選職四%昇給案提示
   ・アラワイ運河の水質改良計画始まる
●  ビジネスニュース
   ・ソニー〈ロケーションフリーテレビ〉
   ・冷蔵庫〈氷感〉
●  ニュービジネス
   ・日本語で対応してくれるUPSがダイエー カヘカ店隣にオープン
● 大下治心の世相やぶにらみ
   ・新ローマ法王にベネディクト十六世選ばる
   ・9月1日施行のガス・キャップは悪策?
● アメリカ定点観測 
   ・GMの怒りを招いたLAタイムズの人気コラム
● 講演「命の大切さ、命の不思議」(上) 
   『がんばらない』の著者 鎌田實医師
● 梨本昌子のフレッシュトーク 25
   ・私なりの「すごい言葉」古今東西の名句集より 続編
バックナンバー: 2005年 5月1日
● トップ: 増加が期待出来るハワイへの日本の修学旅行生
                  ---  特徴・動向・問題点を関係者に聞く  ---
ここ最近、日本の修学旅行生と思われる若者達が、ハワイでも見られるようになって 来た。大きなバスで移動する団体派から、地図を片手に少人数で歩くグループまで。  観光業に頼るハワイでは、今までOL層、ファミリー層、アクティブシニア層など、 様々な人たちが訪れているが、この若い世代の人たちは、観光業のターゲットになり えるのだろうか。ハワイにおける修学旅行産業の特徴と動向を、関係者に取材した。   (塩沢)
 
日本の学生達が修学旅行でハワイを訪れるようになって来たのには、それなりの理 由がある。以前はお金のある経済的に余裕のある私立校だけが海外修学旅行を行って いたが、ここ数年の公立高校における海外旅行の〈解禁〉が、更なる市場の拡大へと 繋がっていった。特に二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて、千葉県が全面的解禁、ま た東京・神奈川で試行がスタートし、海外渡航に出遅れていた首都圏でも実施基準が 緩和されたことが、海外機運を高めることとなった。  これと並行し、二〇〇一年一月には、文部科学省に「国際教育課」が設立され、ゆ とり教育の中での国際理解教育の推進が、行われてきた。二〇〇三年四月、新学習指 導要領が本格始動し、教育改革の目玉である「総合的な学習の時間」が新設された。 文部科学省は学習指導要領が目指す「生きる力」をはぐくむ為という視点で、海外修 学旅行の充実を目指してきた。その間テロやサーズなど、安全が大切な修学旅行には 打撃を与えた時期もあったが、ここにきて、海外修学旅行の数は増えて来ている。
 
修学旅行には〈安心・清潔・安全〉が最も大切な要素です 
 - JTB ハワイ社 手配予約部部長 渡辺達夫さん
昨年はSARSの影響が残り、修学旅行のキャンセルが相次ぎましたが、お陰さまで、 全体的には少しずつ伸びてきています。これは当社だけの数字ですが、今年は五千人 約五十組が、ハワイを訪れる予定です。因みに二〇〇三年は十校以下という数字でし た 私共でお世話させていただくのは、圧倒的に私立の学校の生徒さんが多いですね。 日程は四泊六日、三泊五日が中心です。目的は〈国際知識を高める〉ということです が、やはり〈勉強もあるけれど、ハワイを楽しむ〉といった学校が中心です。生徒さ んは、こちらの人と交流しながら海でのアクティビティを楽しんだり、歴史・文化を 学ぶという観点から、ビショップ・ミュージアムや真珠湾を訪問します。他にはドー ル・パイナップルやハワイ大学も訪れます。  ハワイ大学の、カフェテリアやブック・ストアは、一般の人でも入れますので、こ うした所に行って、アメリカの学生達がどの様な場所で勉強しているのか実感でき、 人気があります。ブック・ストアで片言の英語にトライするだけでも、生徒さんには いい思い出として残ります。やはりハワイは外国ですから、こうした海外の生活の一 端を肌で感じることができるのは、大きな意義があると思います。また少数ではあり ますが、英語を話すためにホームステイを経験する子供達もいます。  実際にこちらの学校を訪問して、学生達との交流を図る学校は、当社では一割から 二割です。ハワイの学校は、普通の授業のある日を受け入れに当てるわけですから、 あまり大きな人数では受け入れにくい部分もあります。
 
ところで修学旅行という形自体、昔に比べて変化しています。以前はその学年が一 斉に目的地に行きましたが、最近は学校全体で来る他に、クラス単位・学課単位で来 る場合の、二通りができています。前者の場合では、二百人三百人、多い場合は五百 人の生徒さんが来ますし、後者の場合は五十人ぐらいで、それも二班に別けてくると いうことが多いです。日程も以前の二泊三日から、最近のような長期型が増えています。だからこそハワイ旅行も可能になってきたわけです。海外に出て国際的感覚を見 につけようという意識も、昔に比べるとずっと手軽になってきた気がします。  他のデスティネーションとハワイを比べてみますと、欧米に比べれば近いですけれ ど、アジアよりは遠いですよね。修学旅行はコストが大きく関係してきますから、や はりアジアへ行かれる学校の方が多いです。歴史的に日本と関わりの深いという点で も、アジアは強いと思います。でもハワイにはハワイにしかない文化があります。ト ロピカルなイメージは何といっても人気があります。
もう一つハワイの大きな武器に、〈安全性〉が挙げられます。学校は大切なお子さ んを預かり、海外まで連れてくるのですから、安全ということに一番気を使います。 その点ハワイは、他のディスティネーションに比べ安全なイメージがあります。どん なに安く行くことができても、子供達が自由行動をする際に心配な所では困ります。 私は時々、他の都市に行く機会もありますが、ネオンがギラギラしている街を見ると、 〈そういえばハワイにはこうしたサインがなくて、健全だな〉と再確認します。 勿論日本人に対しての、その国の感情も大切です。現地の人との暖かい触れ合いが体 験できず、いやな思い出が残ってしまえば、修学旅行も台無しです。その点ハワイに はアロハ・スピリットがあり、日本の生徒達に対しても寛容であり、困ったときには ある程度日本語も帳じるので、送り出す親御さんにとっても安心できると思います。 自由行動の時間でも、ハワイは他の都市に比べて心配の度合いが低いのではないでしょ うか。自由行動はワイキキだけではありません。自分達で調べて、目的地に行ったり、 勿論ショッピングもします。 そして人種が織り交ざっている文化という点も、強調できます。日本のように同じよ うな髪の色をした人が大半という国から見ると、色々な人たちが尊重しあってハーモ ニーを作り上げていることは、これからの将来を担っていく若者たちにとって、参考 になると思います。その上でハワイにはアロハ・スピリットがあります。実はこのア ロハ・スピリットという言葉は、日本で学校に話を持っていく際の、セールスポイン トにもなっています。
 
それにハワイは元々、ファミリー層のお客様もたくさんいらしています。生徒さんの 中には、前にも家族で来たことがあるという人もいるかもしれませんし、ファミリー に定着しているので、送り出すほうの安心感もあると思います。 私共が一番気を使う部分は、〈どういう風にしたら安全性を保ちながら、役立てるも のを提供できるか〉ということです。〈安心・清潔・安全〉が最も大切になってきま す。具体的には、事故がおきないこと。未成年の人たちですので、お酒やタバコにつ いてレストランやホテルにも、気を使っていただきます。でもどうしても大人数で来 られますので、中には病気になる生徒さんもいます。そうした場合を考えて、緊急体 制を二十四時間整えています。 日本から添乗員もついてきますが、彼らは先生方との実際のパイプ役を。現地の私達 は生徒さんたちのスケジュールが円滑に進むようにする手配と、こうした緊急の場合 の態勢を整えることが仕事です。幸いハワイには、日本人の医師もたくさんいますか ら、部分も修学旅行については大きな部分を占めます。そしてクリーンなハワイとい うイメージを作り出していくことが大切です。 修学旅行産業は、これからもある程度は増えていくと思います。ただ課題もあります。 現在ワイキキのホテルは、改修中のところが多くあります。生徒さんたちが泊まれる ホテルを、今後もワイキキに確保していく、この必要性は感じています。 最後に修学旅行で訪れる場所はパターン化しているように感じられますが、ハワイは 自然が豊かです。〈自然から学ぶ動物や海洋生物、活火山という大きなアトラクショ ンの体験、銀河、豊富な植物体系〉など、興味を持って学べる事は、まだまだたくさ んあると思います。修学旅行という、人生の中で思い出に残るイベントですから、多 くの生徒さんに楽しんでいただきたいと思っています。
■JTB Hawaii, Inc 連絡先 … 922・0200
   2155 KALAKAUA AVE. 9th floor, Honolulu HI 96815
 
他のデスティネーションとは違う切り口を提供する必要性を感じています
 - オアフ観光局、日本/アジア地区 マーケティング営業部長 ミツエ・ヴァーレイさ ん
修学旅行の話をする前に、日本から来るお客様の動向を説明した方が、現在の状況が 分かりやすいと思います。十年前二十年前、マーケティングの傾向は、OL層が中心 でした。現在三十代・四十代になった人たちです。その人たちが、ショッピングやア クティビティ・ダイニングに一番お金を落としてくれた時代がありました。それから 少しずつ客層が変り、今は訪れる方の五〇%強がファミリー層、他にはアクティブシ ニア層、ウェディングや記念日のお祝を目的としたロマンス層が増えています。若い 方たちから来る層が変ってきたことには、幾つかの原因があります。 まずは日本経済が回復して来ていること。そしてもう一つは、若い人たちにとって、 海外旅行が一番の興味の対象ではなくなって来ていることです。日本の場合テクノロ ジーが発達し、情報を発信するものがたくさんあります。ブロードバンドや携帯など。 デジタル化が進むにつれ、アメリカでは考えられないほど情報を発信するもの、そし てそれに付随した機器が出回っています。これらの機器を使いこなす費用は高くつき ます。また以前には海外旅行の魅力の一つだったショッピングも、日本で安くできる ようになってきました。こうした理由から、二十代全箱の人たちの海外旅行意欲は、 以前に比べると落ちています。
 
私達観光業に携わる人たちも、以前は修学旅行をターゲットにするという意識が薄かっ たと思います。実際ハワイ自体が修学旅行のプロモーションに参入し始めたのは、他 のデスティネーションに比べると、遅い時期になります。でも海外旅行意欲の少なく なってきた方たちをハワイに呼ぶには、修学旅行が大きな力を発揮するということが、 分かってきました。何といっても、若い時期に訪れた場所は印象が違います。若いう ちに国際感覚を養う体験をすると、その経験がずっと残ります。 最初の海外旅行は、とてもカルチャーショックを受けて、「あー、英語をもっと勉強 しなくっちゃ」「この国はこんなに日本と違うんだ」というインパクトが強く、必ず そのデスティネーションに戻ってきます。「懐かしい」「家族を連れてきたい」「こ こで将来結婚式を挙げたい」、そうしたリピーターを得る為には、修学旅行は最適な のです。 海外の修学旅行が解禁になったのは、つい最近です。基本的には、私立の学校が昔か ら海外修学旅行を行なっていましたが、その数はとても少ないものでした。私立学校 自体も本格的に増えてきたのは、十年ほど前からです。 修学旅行といいますと、PTAのお父様お母様方に説明をしたり、学校側で治安をチ ェックしたりと、色々なプロセスがあります。一方で学校側が学生を連れて行くわけ ですから、一人当たりの予算が限られています。また一度デスティネーションが決定 すると、五年ぐらいは同じ所に行くというような、修学旅行ならではの特徴がありま す。
 
他のデスティネーションとしては、中国・韓国・カナダ・オーストラリアが中心で、 他にはシンガポールやタイが挙げられます。ただ旅行会社さんの話を聞いていますと、 カナダとオーストラリアは飽和状態になりつつあります。また修学旅行は価格競争が 激しいという特徴があります。プログラムをどんどん入れていくと価格自体も高くなっ てしまいます。ですから日本の全部の学校をハワイが受け入れられるのではなく、ハ ワイにあった学校を見極めて行く必要があります。そうしなければ、修学旅行では価 格的にも他のデスティネーションに負けてしまいます。 カナダやオーストラリアの場合、ホームステイや学校でのカリキュラムなど、学校同 士の交流が一箱的ですが、ハワイはそれと同じようなプログラムを作ることができま せん。また同じプログラムを作らない方がハワイには有利だと思っています。なぜな ら共働きが多く、学校数も限られています。ホームステイの数も限られているので、 他のデスティネーションと同じようにすることには、無理があります。価格的にも割 高になります。
 
一方でハワイは「日本との係わり合いがとても深い」という他のデスティネーション にはない特徴がありますし、そうしたことを紹介できるプログラムもたくさんありま す。「ハワイのユニークなプログラム」と「ハワイと日本の歴史関係」です。今年は 官民移民百二十周年ということで、色々な博物館・美術館がプログラムを出していま す。こうしたものを上手く利用して、他のデスティネーションにはないプログラムを 作ることが大切です。 最近は専門的な分野で小旅行をする学校も出始めています。そこで私共は旅行会社さ んに『小グループで旅行を企画される専門学校や、メジャーが社会福祉やスポーツ医 学、バイオや海洋学、地質学、天文学といったハワイならではのものを押せる学校に ポイントを絞ってください』とお願いしています。 ハワイは医療福祉関係がとても進んでいます。色々なシニアケアセンターもあります し、日本語を話せる方もたくさんいます。そうした切り口なら、福祉を専門とした学 校の生徒さんは、アメリカの情報を学ぶことができます。高校生が班ごとに分かれて、 こちらのシニアセンターや各種団体の日系の方々にインタビューに行く、ハワイの日 本人としての暮らしを勉強するという形が取れると思います。 また博物館・美術館も充実しています。ハワイならではの、日本では見ることのでき ない展示物もあります。ハワイプランテーションビレッジ、移民博物館、ビショップ 博物館、ホノルル美術館も展示物の内容が豊富で、体験できるものが島の中に凝縮さ れています。大体修学旅行は三泊か四泊ですから、どれだけ良いプログラムを皆さん に提供できるかが大切です。十代二十代の人たちが、ハワイにはこんな側蔓もあるん だという驚きを体験してもらい、そこで交流が生まれ、それが長い間続いていくとい うのが、一番のモデルだと思います。
 
修学旅行のテーマ自体が〈教育・体験・国際感覚を植えつける〉という、何かを学ん で帰るという意味合いがあるので、しっかりしたプログラムを作る必要があります。 つまりハワイの修学旅行の場合は、企画をされる方がどれだけハワイを理解されるか にかかっています。私共もウェブサイトでハワイの情報を提供していますが、まだ修 学旅行用のコンテンツはありません。今後力を入れて行きたいと思います。 そしてもう一つ、このプログラムを成功させるためには、地元の人たちに理解をして いただくことが大切です。申し上げましたとおり、修学旅行は予算が限られています。 公立の学校なら一人十万までです。その中でハワイらしいプログラムを提供するには、 地元の方特に日系のバイリンガルの方に、ボランティアで協力してもらえるかどうか が鍵になってきます。そうした意味で、コーディネーションにも時間がかかります。 修学旅行ビジネスとは、コストやビジネスを重要視するのではなく、どれだけハワイ の方と日本の方と、例えそれが若者と年配の方であっても、交流する為にどれだけ周 りがサポートするかが大切になってきます。勿論こちらの学校では、日本語のクラス がたくさんありますから、そうしたクラスを取っている生徒さんと交流するという場 合もありますが、それと共に日本とハワイの歴史を説明できる年配の方の協力が、大 きな力を発揮します。長い目で見れば、とても意味のあるビジネスだと思います。 また、イーストウエストジャーナルを読んでいられる方は、地元の方が多いので、 「どうしたら日本人の若者達と地元の人たちが交流しあって、ハワイならではのプロ グラムが作っていかれるか」という意味で、ご協力いただければと思っています。
■オアフ観光局 連絡先…524・0722
733 Bishop Street, #1520 Honolulu, Hawaii 96813
ホームページ … www.visit-oahu.jp
 
ハワイと日本の学校の相互交流のお手伝いをしています
 - パシフィック・オハナ・コネクション 代表・渡辺 千恵子さん
私どもの事業活動は、ハワイと日本の学校の相互交流をお手伝いするプログラムが主 な内容です。ハワイへ修学旅行に来られる学校さんの中には、現地校との交流を希望 されるケースも少なくなく、ご依頼がありました際に、現地校を探し、訪問当日まで の交流に関する全ての事柄を、当社がコーディネーションを致します。 二〇〇〇年に始動しました日本航空によるハワイ修学旅行のプロモーションが活発に なり、それを皮切りにハワイへの修学旅行が一気に増加しました。受け入れをするハ ワイ州も公共機関や民間企業との官民一体での取り組みがスタートし、ハワイ=日本 教育旅行アドバイザリーコミッティという組織を作りました。当初は多くの組織から 構成されていましたが、二〇〇二年の時点では、ハワイ州ビジネス経済観光局、ハワ イ州教育局、ハワイ観光局 Hawaii Visitors Convention Bureau Japan(当時―二〇 〇三年解散)、ホノルル日本人商工会議所、ハワイ日本文化センターの五団体が中心 となり活動をしておりました。二〇〇三年には、ハワイ州代表団として五団体が中心 となり、東京、大阪、名古屋の三都市でハワイ教育旅行推進のプロモーションを行い ました。
 
二〇〇一年ハワイと日本の修学旅行プログラムが、日本文化センターで始まりました。 私は当時同文化センターで唯一の日本人スタッフとして、国際交流プログラムの一貫 である、修学旅行プログラムを担当しておりました。これが、私が修学旅行を手がけ るようになったきっかけです。二〇〇四年、同センターを退職後独立し、このお仕事 をさせていただいています。残念ながら、コミッティー独自の活動は、ただ今休止状 態になっております。 当社では、年間平均十五校ほどお世話をしております。学校交流の他にも、大学生と 一緒にホノルル市内を見学するプログラム、日系移民に関する研修見学及び講習、そ の他、サイエンス、ハワイアン文化の研究活動や研修なども行っております。修学旅 行にはシーズンがあり、主に九月から十二月です。その間に、十校以上が集中してき ます。修学旅行は比較的幅広い予算が可能な私立と、各県ごとの教育委員会の定めた 規定(期間と予算)内で旅行を企画しなければならない公立に腹かれます。公立の予 算は一人十万円から十五万円が平均の値段です。各都道府県で多少異なり、三日・四 日以内と定めている自治体もあり、五日から六日と比較的余裕を持って規定している 自治体もあります。三日以内なら残念ながらハワイに来ることはありません。 交流を希望する生徒の人数ですが、最少は七人という小グループから、最高六百人ま でをお世話致しました。基本的には、高校の受け入れが中心です。公立の場合、小学・ 中学校の海外修学旅行を認めていない自治体もあり、まだまだ高校と比べますと数は 少ないですね。その点、私立はやはり数が多く、オアフ島以外の島へ行く学校もあり ます。
 
「異文化交流」という言葉は今もって言われますが、実際となるとそう簡単ではあり ません。交流実施の際の前段階として、「何を目的に交流したいか」を、日本側サイ ドに明確にしてもらいます。例えばスポーツ交流がしたいのか、文化交流なのか。や やもすると一方的になる交流をどう日本の学校が表現していくのかが、現地生徒との 交流の鍵になると思います。この目的を明確にすることが、プログラムを成功させる ポイントです。三泊五日、私立校の場合は一週間の場合もありますが、いずれも短期 間の中での現地生徒との交流ですから、日本の生徒にとりましても、事前に用意をし、 何をまず相手に伝えたいのかを考えるいいチャンスでもあります。 一箱的な交流は、朝、現地校に着き、セレモニーを約一時間行います。各校長の挨拶 や生徒のスピーチ、そして現地校はフラダンスやチアガールのダンスを披露すること が多いです。日本側のパフォーマンスは、最近はソーラン節がよく踊られます。その 後はキャンパスツアー、授業参観またはゲームなどの交流をします。ランチは本校の 生徒達が食べる前の十一時ごろから始まります。大体お昼過ぎまでの交流でしょうか。 勿論受け入れる学校によっても、特徴が出てきます。
 
例えばカメハメハ高校は、歓迎式を一切行ないません。日本の生徒がバスで同校に到 着しますと、日本の生徒と同校生徒の割合を一対一または一対二としてペアを組んで もらい、その日の授業が終了するまで、一日中一緒に過ごします。勿論、ランチも食 堂で生徒達とします。これは文字通り修学旅行ですね。このプログラムを希望される 学校は、英語教育に力を入れている学校が大半です。同行される先生方は、生徒達の 後を自由についていきながら、参加したクラスの授業も参観できます。 カメハメハ校はハワイアンの子弟のための学校として有名ですが、ハワイアン文化の クラスの充実度は抜きんでています。日本の先生方もハワイアン文化のクラスは大変 満足していらして、いつも素晴らしいという感想をうかがいます。生徒も体験ですが、 先生方にとっても素晴らしい体験をされていますね。 コーディネートをする過程で最も頭を悩ますのは、日米の教育機関の帳年スケジュー ルが違うことです。日本の学校は四月に始まりますが、現地校は九月または七月末で す。米国の夏休みは日本と異なりかなり長期に亘ります。ハワイ州では、現在、七月 末から学期が始まるイヤーラウンド・システムを取り入れている学校と、帳常の九月 学期始まりの学校とに分かれます。私立校は大半が九月学期始まりを取り入れていま す。
 
最近の傾向では、イヤーラウンド・システムを導入する学校が増加し、ニュースでは、 州教育局は一斉導入を進めるための案を州議会に提出しています。もし実現をします と、夏休みが短くなるかわりに、十月に秋休み(一週間から二週間)を導入すること になります。十月は修学旅行シーズンのピークですので、影響が出ると思います。 日本サイドは、「何月何日にお願いします」とはっきり日にちを指定してくることが あり、大半は現地のスケジュールを確認せず連絡を頂きます。これを回避するには、 現地のスケジュールを必ずご相談下さいとお願いをしております。指定された日にち が、一斉のテスト期間中であれば、これは交流不可能とご返事をするしかないからで す。三年前の体験ですが、米国の祝日で、クリスマスの次に重要な、十一月の感謝祭 前後に修学旅行をしていた学校がありました。学校交流の依頼がありましたが、残念 ながらお断りしたこともあります。現地事情を把握しないままに実施した、残念なケー スでした。
 
一つの現地校に、日本の修学旅行生が訪れる回数は、かなり限られます。年間の授業 日数と学力達成範囲は決まっていますから、もし訪問があった場合には、その日の授 業がつぶれてしまいます。つぶれた授業をいかにカバーするかが現地校先生の課題で もあります。また、受け入れた以上は準備も必要となり、先生方は通常の仕事以外の 仕事が増えることになります。それもボランティアで行なっているのが現状です。そ れでも受け入れたという理由は、現地生徒のそれこそ「異文化教育」に役立つプログ ラムと認識しているからです。「生徒のためになる」という現地先生方の情熱と思い いれで支えられているのが、学校交流でもあります。 日本での少子化は深刻な社会問題にもなっているようですが、今後は、修学旅行市場 にも大いに影響してくるでしょう。学校間での生徒獲得競争が激しさを増す中で、修 学旅行はこれまでの大量輸送時代から、個性化時代へ変化してくると思います。これ からはマーケティングの力が大きな要素を占めてきます。ハワイという素材をいかに 体験してもらえることが出来るかです。この二、三年で修学旅行の内容そのものに変 化が出てくると思います。個性化が求められることで、人を流すだけの安易な方法で は通じなくなる時代が来ます。ハワイという空間をプロダクトとして提供している我々 自身が意識改革をしませんと、長い歴史と多くの異文化が存在するハワイは、単なる 日光浴が出来る島程度にしか思われません。 この仕事をしていて最も嬉しいことは、受け入れ校のウェルカムの気持ちが、訪問す る日本の先生や生徒達に伝わり、その日一日が一生の思い出になったであろうと実感 できたときです。後日、お世話をさせて頂いた日本の学校から「生徒達がとても喜ん でいい思い出になりました」というメールを直接頂くことがあります。本当に嬉しい ですね。
 
大変な思いで準備をしてきた現地校の努力は想像以上です。現地校の校長先生を始め とする先生方のチームワークの良し悪しで、当日の結果が出るからです。歓迎のセレ モニーだけを取っても、何日も練習しなければなりません。受け入れ側の苦労を知っ ていますから、お互いに通じるものがあると嬉しいのです。そしてハワイ側の先生か らの「こういう機会を作ってくれてありがとう」という言葉を聞きますと、「この仕 事をしていて良かった」と、つくづく実感します。  平均三時間から四時間の中で の凝縮された交流には、多くの方たちの努力と情熱が投入されています。学校という 舞台の上で、同じ目的を持った者同士が出会い、それぞれが一生の思い出を作り合っ ていく過程をこの目でみていますと、言語の域を越えた「心の文化交流」を私も一緒 に体験している気持ちになります。現地校との交流はやはり修学旅行のメインイベン トだと感じる瞬間でもあります。
■パシフィック・オハナ・コネクション 連絡先…497・2551
P.O.Box 1724, Pearl City, HI 96782
ホームページ… www.pochawaii.com
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● ハワイは今:
   ・ハワイの高齢者は二〇三〇年には二二%に
   ・ハワイのハイテク企業 ロスのジャムダット・モビール社に売却
    携帯電話のゲーム・ ソフト
   ・ハワイの不動産業依然好調少ない在庫数が原因
   ・飲酒運転常習犯の車は強制接収HB号法案成立施行は州知事検討中
   ・二〇〇四年の州交通事故犠牲者百四十二名に
   ・「CO2(二酸化炭素)が急増」マウナロア観測所が発表
   ・ホノルル市公選職四%昇給案提示
   ・アラワイ運河の水質改良計画始まる
・ハワイの高齢者は二〇三〇年には二二%に
ハワイ州の六十五歳以上の高齢者が二十五年先の二〇三〇年には倍増すると国勢調査 局が推定を発表した(四月二十日)。二〇〇〇年の国勢調査では六十五歳以上の高齢 者は十六万六百人。二〇三〇年にはその数は二倍以上の三十二万六千九百五十七人に なると推測している。人口に占める高齢者数は現在、一三%。それが三〇年には二二 %になる。十八歳未満の人は三〇年には二五%と今と変わらない。しかし三十歳〜 五十四歳までの生産性のある人は減少するとしている。また、人口増加率は二一%で ハワイ州総人口は三〇年には百四十七万人を超えるとしている。
ハワイの高齢者率は現在、全国で十六番目だが、三〇年には十三番目に上ってくる。 州高齢者相談事務所のカレン・ハヤシダ事務所長は 「高齢者対策は他州よりもハワイ州が進んでいると思います。更に増える高齢者がい かに社会に貢献できるか、政府と民間企業の協力で生産性を高めることができます。 彼らは社会のお荷物ではありません。彼らも立派に社会に貢献できるプロジェクト作 りをすることで灰色人生をゴールデン人生に変身してもらうことです」と、高齢者に 対する考えを呼び掛けている。同所長によると、これからの高齢者は中味が違うとい う。「これからの高齢者はコンピュータも利用出来るわけですから、いままでの高齢 者よりも幅広い貢献範囲を持っています。彼らしか出来ない分野が必ずあるはずです」 問題はそんなプロジェクトを高齢者に任せる度量が指導者にあるかだと、ハヤシダ所 長は高齢者の社会貢献に期待する。
 
・ハワイのハイテク企業 ロスのジャムダット・モビール社に売却  携帯電話のゲーム・ ソフト
ハワイで生まれたハイテク産業のブルー・ラバ・ワイアレス社が四月中旬、一億三千 七百万ドルでロサンゼルスのジャムダット・モビール社に買収された。負債を支払っ た後、六千万ドルは現金で創設者のヘンク・ロジャース氏の会社に支払われる。更に 差額の一千三百七十万ドルはジャムダット社の株もしくは現金のいずれかで清算され る。ブルー・ラバ・ワイアレス者は携帯電話のゲーム・ソフト開発会社として三年前 に創立。ゲーム・ソフトは一九八五年にソ連で開発されたテトリス・ゲームを基本に 改良を加えたもの。ライバル企業にはエレクトリック・アーツ社、THQ社、日本の ナモ等がある。ジャムダット社は去年秋にニューヨーク株式に上場したばかりの新鋭 企業。買収後のブルー・ラバ・ワイアレス社の五十人の社員はほとんど全員が継続雇 用される。
 
・ハワイの不動産業依然好調少ない在庫数が原因
ハワイの住宅販売業(中古を含む)は過熱気味と言われる程、好調を続けているが、 在庫数が低いことがその原因と業界筋は分析している。不動産業界の好景気は需要 と供給のバランス度による。特に新住宅も中古住宅(コンドを含む)も市場在庫は 底をついた形にあることが転売をくり返す原因となっている。不動産協会では市場 は確かに過熱し過ぎていると容認しながら、一年以上前から少ない在庫数が続いて いるにも関わらず、市場が動いているのは二度、三度の転売が続いているからだと いう。「在庫数が底をついたというのは一昨年に言われていました。月末の在庫数 が一千戸を切った時からです。しかし、その後も販売が続いたのは市場の高価格を 受けて、一年以内に転売するという現象が起きたのです。一年以内に三〇%以上も 価格が上がれば、転売の気持が出てくるのも当然です。買ってすぐ売ってもそれ相 当の利益がある市場だからです」と協会幹部。
「もう一つの理由は、新しい住宅の完成が遅れていることです。つまり市場に出る新 住宅戸数が最小限になっている現状です。新住宅が一度にどっと完成すれば、在庫は 過剰となり、価格も上がりません。逆に下がるのですが、市場に出る新住宅(コンド を含む)の数が少ないことが、高値に貢献しているのです」 新住宅も中古住宅も低い在庫数が好調な市場を維持していると説明している。 「ハワイの住宅所有率はやっと五〇%を超えたばかりです。全米平均の六四%に比べ れば低い訳です。住宅価格が一気に暴落するという現象はハワイでは難しいのです。 この好調さは家賃の値上がりに繋がっています。アフォーダブル・レンタルは州政府 の双肩にかかっています」とハワイ大学経済学部教授は説明している。
 
・飲酒運転常習犯の車は強制接収HB号法案成立施行は州知事検討中
飲酒運転常習犯の自動車を接収するHB 号法案が州議会を通過、州知事に送付され た。当初、同法案の成立を表明していた州知事だが、没収した車の保管場所の責任が DOT(州運輸局)に移管されたことで同法案署名に難色を示している。HB号法案 は五年間に三度の飲酒運転違反をした運転手の車を強制的に放棄させるとなっている。 同法案は上院で保管責任は警察ではなくDOTに移管すると修正した。同修正につい てコリーン・ハナブサ・州上院司法委員長は、「警察当局は同法案に伴う施行は警察 にあることに終始反対してきた。警察署には没収を行う余剰人員も、車を保管する場 所もない。飲酒運転の常習犯の運転は危険であることは明白だ。取締りを強化して常 習犯を公道からなくすべきだ」と、同法案の重要性を強調し、車の保管場所はDOT が責任を持って整備すると修正した。しかし没収作業は警察当局に残っていることで 全ての問題を解決したわけではない。懸案事項を残したままHB 号は上下両院を通 過した。州知事事務所では同法案に署名することで懸案事項がどのような問題を起こ りうるのか検討を続けている。HB号法案は五年間で三回、十年間で四回の飲酒運転 違反者の車を政府が没収するもので、同法案反対者は「違反者はその都度、規定に従 い勤労奉仕までさせられ、罰則は充分に課せられている。車の没収は行き過ぎ」と主 張していた。
・二〇〇四年の州交通事故犠牲者百四十二名に
二〇〇四年度のハワイ州の交通事故犠牲者は一九九六年の百四十五人に次ぐ百四十二 人と八年ぶりの高水準に達した。DOT(州運輸局)のスコット・イシカワDOT局 長は、「事故原因を分析し、必要な事故防止策を実践したい。飲酒運転絡みの事故は 〇三年度の七十一人から五十四人と減っていて、その中、三十一人の歩行者が事故に 巻き込まれている。そのため、歩行者の横断歩道教育をホノルル市から全島に〈ウォ ルク・ワイズ・ハワイ〉(上手に渡ろう)運動を拡大する」と発表した。 五月は安全シートベルトの着用強化月間で更に強化を計る。その他、安全運転の仕方 など広範囲に亘る強化策を実施する。全国の統計では交通事故犠牲者数は四万二千八 百人で、〇三年の四万二千六百四十三人を微増している。しかし走行距離が長くなっ ており、〇三年の一億マイルで一・四八人が〇四年には一・四六人に減っている。 一九六六年に記録が集計されて以来、最低の犠牲者数である。なお、飲酒運転による 犠牲者は一万六千五十四人と二・一%減少した。オアフ島の犠牲者数は〇三年の七十 九人から七十人と減少。車の事故による犠牲者は四十九人から二十九人と半減近い減 少。しかし、歩行者の犠牲者は十四人から二十四人と急増している。ハワイ島の犠牲 者は大幅に増加した。
・「CO2(二酸化炭素)が急増」マウナロア観測所が発表
ハワイ島のマウナロア観測所はこの程、大気中のCO2(二酸化炭素)の数値がこの 二年間、急速に上がり、地球温暖化と異常現象に起因しているのではないかと警告を 発している。この程記録されたCO2は ・ PPMで同観測所が記録を取り始めた 一九五八年の ・ PPM以来、連続して上昇している。CO2上昇についてハワイ 大学のバリー・ヒューバート教授(太洋大気現象学部)は、「大気圏の温暖化の原因 はCO2の増加によると化学者は分析している。つまりCO2が大気圏内の温度の圏 外放出を阻止している。それに伴い大気圏内の温度が上がり、地球の温暖化を引き起 こしている。東太平洋上の温度が急上昇し、海水温が異常に高くなることでエルニー ニョ現象やその反対のラニーニャ現象を起こしていると見られている。北極や南極の 氷山が解けて海面が上がっているといわれるのも、そのCO2の増加に伴う現象です」 と説明している。CO2の起因は判明していても、その他の条件が重なって起きる気 象現象の異常については憶測しかないと言う。CO2記録を集計し始めて以来、毎年 一PPM平均で上昇してきたCO2はこの二年間は一・五PPMの割合で増加してい る。地球温暖化を防ぐ国際協議は一九九〇年代に京都議定書と言う形で誓約されてき たが、最大のCO2を放出している米国は未だに誓約を拒否している。
 
・ホノルル市公選職四%昇給案提示
ホノルル市のサラリー・コミッション(給与審査委員会)は次期会計年度から公選職 及び任命職の一律四%の昇給案をホノルル市議会に答申した。「公選職、任命職は二 〇〇一年から昇給されていない。ホノルル市郡政府の財政状況から大幅な昇給案は現 実的でない。四%昇給は妥当な昇給」とタジリ委員長は昇給案を説明。同委員会は去 年は一律二一%の昇給案を提示したが、市議会は棄却した。今回もチャールス・デジ ュー市議は、「公務員の昇給額をどう調達するか苦慮している現状で、公選職、任命 職の昇給は同時に行うべきではない」と、早くも拒否する意志を表明。 ドナバン市議会議長も、「よく検討してから結論を出す。現段階では各市議も検討中 なので私の意見は差し控える」と言及をさけた。ホノルル市議会は同法案を承認する か棄却するかの二者択一のチョイスが与えられている。同法案の修正あるいは一部の み承認という権限は与えられていない。タジリ委員長は、「もっと大幅な昇給が好ま しいが、現状を加味すると四%は妥当。総額で十七万五千ドル弱なので捻出は難しく ない」と昇給を指示している。市長が十一万六千六百八十八ドル、助役が十一万ドル 余り、警察署長、消防署長が十一万四千ドル、局長が十万三千八百ドル、検察官と同 額、市会議長が五万ドルの大台に乗り、市議が四万五千ドルとなる。
 
・アラワイ運河の水質改良計画始まる
アラワイ運河の水質改良作業が始まる。アラワイ運河はマノア、パロロ、マカレーの 三本の川の水が流れ込み、七十年以上の期間、汚染されてきた。二年前には七百八十 万ドルをかけて沈殿物の除去が行われたが、水質が改良された訳ではない。同運河で の遊泳及び魚釣りも一九七〇年代に禁止されたままである。その運河の水に含まれる 窒素、リン、水コケ等を除去することで水質改良を計画したグループが、州資源保護 理事会(BHLR)に新方法の適用を申請した。新方法は、〈アクリクリ法〉と呼ば れる。水面下に三〜五フィートの長い根を伸ばし、水中の汚染物、窒素、リン、コケ 等を栄養として生息する水草の一種であるアクリクリを、木製のいかだで水草の上部 を水面上にのぞかせ、その根は水中の微生物やバクテリアを吸収するという自然の力 を利用するもの。水中のバクテリア、微生物に含まれた窒素やリン、水こけはきれい に吸収されるという。マノア、パロロ排水口のアラワイ・ゴルフ場近くの数か所に一 か月前からすでに試験的に設置されている。 総費用は五十万ドル(全額連邦政府負 担)。水質検査報告は月々一回。BNLRに報告される。一年間にどのくらい水質が 改良されるかをみるパイロット・プログラムである。アラワイ運河は都市汚染がひど く今回のアクリクリ計画が奇跡の水質改良を遂げてくれるか大きな期待が寄せられて いる。
 
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● ビジネスニュース
    ・ソニー〈ロケーションフリーテレビ〉
   ・冷蔵庫〈氷感〉
・ソニー〈ロケーションフリーテレビ〉
ハワイにいながら日本のテレビ番組がリアルタイムで楽しめる ソニー〈ロケーションフリーテレビ〉
5月中旬から日本で発売 ハワイから申込み可能
海外にいながら日本のテレビ番組がリアルタイムで見ることが出来る、ソニーの〈ロ ケーションフリーテレビ〉サービスが五月中旬から始められる。このロケーションフ リーテレビは、〈エアボード〉の名称で、日本では四年前から発売されているもので、 当初はテレビが置かれている部屋以外の、例えば台所、トイレ、庭先などでワイヤレ スでテレビ・プログラムを楽しむためのモニターテレビであった。その後、インター ネットの普及に合わせて進化、このテレビを持って行けば出張先や旅行先でブロード バンドの環境があれば、自宅に置いたベイスステーション(BOXの様なもの)に入 力しているテレビ放送や、DVDの映像、ハードディスクレコーダーに取り溜めした 映像を見ることができるようになった。そして、その出張先が海外であっても同じこ とが可能になるという画期的なシステムとなった。
 
このシステムを紹介するためにハワイを訪れたサンディエゴにあるソニー・エレクト ロニクス社の平井和彦・ロケーションフリーテレビ事業開発担当ディレクターは次の ように説明を行った。「ロケーションフリーテレビはタッチパネル付き液晶モニター 十二インチ画面の〈LF―X1〉と持運びの楽な七インチ〈LF―X5〉の二種があ ります。これにはそれぞれ〈ベースステーション〉が付き、これを自宅の一つのテレ ビに接続すれば、他のどの部屋でも、庭でも見ることが出来るのですが、この〈ベー スステーション〉を日本の実家、親戚、友人のテレビに設置して貰えば、ハワイにい ながらにして日本の番組をリアルタイムで見ることが可能になりました。時差の関係 でリアルタイムで見れない場合は、〈スゴ録〉などのビデオに録画したものを、後で 好きな時間に楽しめるのです。それらは設置してあるところの人をわずらわせなくと も、ハワイから液晶モニターのタッチパネルで、ステーション選びから録画まで操作 が出来るのです。
 
さらに楽しめるのはテレビ番組、ビデオ、DVDだけでなく、ビデオカメラを設置し ておけば、ハワイにいながらにして日本の自宅及び実家の家族の生の姿を見ることも 可能になりました。ハワイから日本のテレビ番組を見るためには、ベースステーショ ンを日本に設置しなければなりません。それにインターネット回線がなければ、それ も契約する必要があります。ハワイに置くロケーションテレビ、日本に置くベースス テーション(日本全国どこでも)、それを設置する費用をパッケージにして五月中旬 から販売を始めます。もちろん、日本及びハワイでもインターネット回線の使用料は 別です。十二インチが、十五万円前後、七インチは十二万円前後を予定しています。 申し込みの受付は日本です。著作権のことですが、このテレビには録画機能がなく、 あくまでも個人が楽しむということで了解を得ています」。
 
ソニー・ハワイ社の坂井諒三・上級顧問は、「先日、オーガスタに行った際、丸山茂 樹プロが、ロケーションフリーテレビを楽しんでいます。日本のテレビ番組がリアル タイムで見られるなんて素晴らしいですよ。今とてもはまっています。子供には日本 の勉強になります、と言っていました。彼の自宅はサンタモニカにあるのですが、自宅では奥さんが十二インチを、丸山選手は七インチを遠征先に持って行っているそう です」と語った。
■日本へのお問合せ及び申し込みは、エアボードカスタマーサポートセンターへ。
   ハワイからは01181191・32・2951。 
   受付時間:月〜金午前九時〜午後六時(日本時間、但し年末、年始、祝日を除く)
   購入方法は、 www.jp.sonystyle.com/Guide/Purchase/07_pay.html  を参照。
■この件のハワイでの問い合わせは、ソニーハワイ社の大木崇(おおき・たかし)氏 へ。電話834・6611。
 
・冷蔵庫〈氷感〉
マイナス六度でも凍らない冷蔵庫〈氷感〉 日本からいよいよハワイに上陸
〈食品を凍らせずに長期保存・通常食品が凍っている温度で凍らせない技術〉という 画期的な冷蔵庫が登場した。記者という職業柄、新製品や発見に驚くことは度々ある が、この冷蔵庫には驚いた。冷蔵庫の中から取り出したペットボトルは液体だったの に、数回振っただけで中の水が見る見る氷に変わっていったのだ。まるで手品を見て いるようなのだ。この冷蔵庫〈氷感〉を開発した株式会社フィールテクノロジーの三 谷明彦社長は、「冷蔵庫内は、マイナス六度となっていますから、本来ならペットボ トルの水は凍るはずです。それを特殊な技術により冷蔵庫内では、水を氷点下になっ ても凍らせないようにしました。今取りだした水は冷蔵庫から取り出した途端、マイ ナス六度の水なので凍り始めたのです」という。説明されても、まだ首を傾げたくな る。「実は私は日本で日本食レストランを営んでいます。島根県に店はあり、北海道 産の毛ガニやタラバガニを出していますが、カニは新鮮さが大切です。そこでいかに 新鮮な食材をお客様に食べてもらえるかを考えるうちに、食材を凍らすことなく温度 を下げる技術を考えました。
 
ご家庭でもレストランの厨房でも、食材が長持ちすることが望まれますが、冷蔵庫で は肉も野菜も長期保存はできません。といって冷凍庫に入れると、品質が落ちて美味 しくなくなってしまいます。それを解決したのが、〈氷感〉なのです。例えば和牛の 場合、冷蔵庫ですと三日で色が変色してきますし、冷凍庫でも解凍すると味が変って しまいます。これは肉の旨味の成分が解凍することで外に出てしまうからです。でも マイナス六度の氷感に保存しておけば、取り出したときに表面だけが凍った感じがし ますが、中は全く凍っていませんので、旨味は逃げません。五十日間保存した肉も、 美味しく食べられます。皆さん、マイクロウェーブの原理が、食品の分子を振動させ ることによって温かくなるということは、ご存知だと思います。この氷感は、プラズ マを放電することによって、冷蔵庫内の食品の分子を細かく振動させています。その 為に本来なら凍る温度のものが凍らないのです。
 
この発明には、思わぬ副産物がありました。例えば弱ってしまった毛ガニをこの氷感 の中に入れておくと、取り出したときに元気になっていました。また食材によっては、 氷感に入れることによって、美味しさが増すものもあるのです。なぜそうなるかはわ かりませんが、旨味の成分(アミノ酸)を生きた細胞がたくさん出すからではないかと 思われます」。技術開発とは全く違った畑の三谷さんが、この氷感のアイデアを浮か べたのは、四年前。地場産業を興そうと地元の有志も資金協力してくれ、研究を続け た。今では日本のみならず、海外からも視察団が来るようになった。なぜならこの氷 感は冷蔵庫革命にとどまらず、中のものの鮮度を保つという意味では、メディカルの 部分(臓器移植搬送など)でも様々な利用価値があるからだ。この発明が恩恵を与える 分野は大きい。それでも、三谷さんは「きっと素人の発想だからできたのでしょう。 皆さんに喜んでもらえる使い方をしてもらいたい」とあくまでも謙虚だ。実際に氷感 に保存された食材を食べてみた。まずはバナナ。三谷さんの説明では表面は少し黒ず んでしまうということなのだが、中身はフレッシュなバナナそのもの。普通なら氷バ ナナの食感になるはずが、もってり感といい甘さといい、そのままなのである。もう 一つはヨーグルト。これを冷凍したことのある方ならお判りかと思うが、ヨーグルト は中に氷の柱ができ、解凍しても全く歯ごたえの違うものになってしまい、食べられ るものではない。ところがマイナス二度の氷感から出たばかりのヨーグルトは、シャ ーベット状ではなく本来の美味しさが保たれている。今まで冷凍には適さないといわ れていた食べ物が、いつまででも美味しく食べられるのである。一度この感激を皆さ んに味わっていただきたい。
「海外からもお話を頂いていますが、私は自分自身が大好きなハワイの皆さんに、 〈氷感〉を体験していただければと、今回二機を持ってきました。一つはセンチュリ ーセンターのNeutral International, Incともう一つはMitch`s Sushi (837-7774)で す。現在は、大量生産は難しいので料金的な面もあります。まずはレストランに置い て頂ければと思っています。価格は約九千ドルからです。一度設置すれば、肉・魚・ 野菜どんな食材でも美味しさを保ったまま長期保存が可能ですので、経済的です。日 本のレストランではかなり広がっていて、〈食材が長持ちするので助かる〉〈お客さ んから味が美味しくなったと言われる〉と、お褒めの言葉を頂いています。とはいえ 実際にご自分で体験されないと、今までの冷蔵庫との違いが分かりませんよね。セン チェリーセンターの〈氷感〉は、どなたでもご利用でき、好きな食材を入れて試して いただきたいので、遠慮なくお越しください」大手メーカーからの問い合わせもあり、 将来家庭用の〈氷感〉が低価格で売り出される可能性も秘めている。この冷蔵庫は、 主婦にとって大きな恩恵を与えてくれるかもしれない。是非この驚きは、毎日キッチ ンに立つ女性に共有していただきたい。
■ハワイでの問合せ先…Neutral International, Inc 1750 Kalakaua Ave, #1708, Honolulu, Hawaii 96826
   電話…291・0188 柳本ヒロまで
 
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● ニュービジネス
日本語で対応してくれるUPSがダイエー・カヘカ店隣にオープン
郵便局を利用せずとも、小包を全世界、どこへでも送ってくれる〈UPS〉。このU PSの新しい支店が、ダイエー・カヘカ店隣、パラマ・スーパーマーケットの二階に オープンした。ショッピング、パッケージ、ファックス、コピー、メールボックスな どのサービスから、梱包に必要なテープや箱の販売まで、荷物の発送受け取り全てが 手軽にできるこの店には、便利な場所という理由もあって、ひっきりなしにお客が入 ってくる。でもてきぱきとスタッフが対応してくれるので、長い間待たされるという ことがない。オーナーのサニー・パクさんは、「UPSから品物を受け取ったことが ある方は沢山いらっしゃいますが、実際に自分が品物を送る時は、今まで通り郵便局 を利用する人が多いのではないでしょうか。私共UPSは一度ご利用いただくと、そ の便利さがお判りいただけると思います。
 
例えば郵便局の場合は、パッケージに色々な規定がありますが、UPSでは一つが百 五十ポンドまで送ることができます。箱のサイズも五十種類以上用意していますし、 壊れ物などはこちらで梱包することもできます。どのように送ることがベストなのか、 心配なものもありますよね。スタッフは、お客様の品物を一番安心な梱包で、そして 一番安い箱のサイズで送るにはどれがベストかという事の知識を持っていますから、 気軽にご相談してください。勿論チップ〈梱包材〉なども用意していますので、品物 だけを持ってきていただければ結構です。コンピューターや食器などを送る方には、 とても喜ばれています。また荷物を送る際には、自動的に百ドルまでの保険がかかる ので、安心して送っていただけると思います。それからUPSの荷物には、トラッキ ングナンバーが付いています。この番号一つで、今荷物がどこにあるのかが判るシス テムになっています。荷物を送る際には、〈翌日・二日・三日から五日の間に届く〉 といった日にちの指定をすることもできます。受取人がいない場合は、その方がUP Sに電話してくだされば、都合のいい時間にお持ちすることもできます。また大きな 荷物も送ることができるので、引越しなどに利用される方も多いですね」と、日本語 で説明してくれた。UPSはハワイに八店舗。ダウンタウン、カハラ、パールシティ、 カイルアなどの地区にもあるが、場所も便利でその上日本語が通じるという点が、日 本人にとって心強い。
 
他のサービスも充実している。広い店の一角にはメールボックスのコーナーもある。 郵便局のメールボックスはアドレスが P.O.Box 扱いになってしまうが、こちらはこ のオフィスのアドレスをそのまま使うことができる。また郵便局ではUPSのものは、 預かってもらえないが、このメールボックスはどこから来たものでも受け取ってもら える。数か月間家を離れる人の場合は、荷物をまとめて指定先に再配送することもで きる。メールボックスの使用料金は大きさによって、一か月二十五ドル、三十五ドル、 四十五ドルの三種類。一年間申し込むと、三か月無料のサービスとなる。旅行の多い 人や、家にいることが少ない人に好評だ。他には、ファックスやインターネットコー ナー、バースデーカードの販売も行なっており、この店一つで、様々なサービスを利用 することができる。「お客様には、長い時間待つことなく最善の送り方ができると好評 ですし、料金も郵便局より安い場合もたくさんあります。パーキングはマーケットの二 階にあります。また六月にはアウトリガーワイキキホテルにワイキキ店もオープン予定 ですので、こちらもご利用いただければと思っています」。使う人の立場に立ってつく られているUPS。忙しい人に最適のサービスである。
■ The UPS Store …   Palama Market   1670 Makaloa St   Honolulu 96814
営業時間 ・月曜から金曜 … 朝八時から夜七時   ・土曜 … 朝九時から六時  ・日曜 … 朝十時から五時
電話 … 943・0877   ファックス … 944・0877  Web Site …  www.theupsstore.com
 
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● 大下治心の世相やぶにらみ
新ローマ法王にベネディクト十六世選ばる
四月二日、ローマ法王、ポール・ヨハネ二世が死去しました。世界の二億人の信徒 を誇るカトリック教の最高指導者が八十七歳の生涯を閉じました。東西勢力の対立状 態で武力行為に突入する危険を除外した功労者として、その生涯は世界平和に貢献し たといわれています。後継者はカトリック教の枢機卿百十五人(八十歳未満)が互選 で三分の二以上の得票を得た人が新法王に選出されます。コンクラーベと呼ばれる互 選は十八日から十九日にかけて四回の投票を行いました。その結果、四回目の投票で、 ドイツ系のヨセフ・ラッツィンガー枢機卿が選ばれました。四回目の投票の後、教会 後方の煙突から白い煙りが上がり、新法王誕生が告知されました。ラッツィンガー枢 機卿は互選された直後、法王名・ベネディクト十六世の襲名を発表、二十四日に世界 各国代表が集まる新法王就任式典で正式に法王として就任しました。
 
第二六五代ローマ法王のヨセフ・ベネディクト十六世とはどんな人なのか、簡単に情 報をまとめておきましょう。一九二七年に生まれ青少年時代はヒットラーの悪政を経 験し、ハンガリーでのユダヤ人大量虐殺事件を見てきました。軍役には服しましたが 銃を持たない任務に数か月ついたそうです。カトリック教に父の影響で入信し、ドイ ツ系人には珍しい温和な司教として評判を得ました。ポール・ヨハネ法王時代にバチ カンの法王直属の教義室を管理し、多くの枢機卿と面識を広げていきました。今回の コンクラーベでもドイツ系人と言うことで主流のイタリア系人の反発を受けました。 枢機卿が互いに選ぶ訳ですから三分の二以上の得票獲得は難航するとみられていまし た。それが四回目の投票で決まったと言うことは幅広い教義知識と温和な性格が高く 評価されたとみられています。
 
さてそんな指導者が世界二億人の信徒の指導者となったことでハワイには別に何の影 響もないだろうと軽視していたらそうでもないのです。カトリック教もハワイにはキ ャセドラル・オブ・アワー・レディー・オブ・ピースという教会を大本山として各島 に多くの信徒を持っています。特にハワイ大本山を仕切る司教(ビショップ)は空席 なんです。ハワイの司教ヨセフ・ファラリオ師は一九九一年、同司教の教義に反論を 唱えた六人の信徒を破門に施しました。破門処分に異論を唱えた六人はローマ法王に 処分撤回を求めて上訴しました。ローマ法王は上訴を認め、処分撤回をファラリオ司 教に伝えました。ファラリオ司教には処分の権利はあるが教会破門は行き過ぎという 理由でした。その時の処分はベネディクト第十六世が教義室長をしていた当時のこと と言うので、ハワイの信徒は新法王に身近さを感じているそうです。ファラリオ司教 も二年前に死去、司教職は空席になっています。新法王の新司教指名をハワイの信徒 は期待しているそうです。
 
9月1日施行のガス・キャップは悪策?
今年九月一日から新しい州法に基づく、ガソリン価格統制法(通称ガス・キャップ法) が施行されます。同法は、米国内の石油取引所、ニューヨーク、ロサンゼルス、ガル フ・コーストの三か所のガソリン卸売価格にスライドして卸売価格を制限することに より、小売価格を統制しようと言う内容です。従ってハワイの石油卸売販売所は三か所 の卸売価格の平均に四セントの運搬料を上乗せして小売り業者に卸します。小売り業者 はその卸売価格に一ガロン十八セントまでの諸経費コストを上乗せし、更にハイオクタ ンの量により、五セントから九セントを上乗せできるそうです。新法により、ハワイ消 費者は低いガソリン価格の恩典を受けると同法の創案者・メノウ上議は自信を持ってい る。
 
だが、ハワイ大学のある経済学教授は強い懸念を表明しています。「ガソリン価格が新 法で本当に安くなるとは思えないのです。ハワイのガソリン業界の競争は熾烈ではない のです。サービス・ステーションの数は二十年前から比べると半減しています。卸し売 業者も減っています。そんな業界で価格の低下競争は無意味です。小売り業者はその都 度出来るだけ大きい利益をあげることしか考えないと思います。卸売価格が下がっても その下がった分を消費者に回す必要を感じないと思います。反対に卸売価格が上がれば、 上昇分は消費者に回されるだけで、業者が競争のため、上昇分をのむということも考え られません」と新法の意図達成は不可能だと言うのです。しかし、「競争意識は業者の 中に必ずある。安い価格を消費者は求めて躍起となり、業者もそれに対応する」とメノ ウ上議は強気です。
 
先出の教授はハワイのガソリン価格が高いのはもっと他のところにあると言います。 「ハワイで事業をするのは本当に難しいのです。レント、光熱費、税金と全て割高で三 〇%は多く見積らないと事業運営は困難です。卸売価格のコントロールで小売り業者が 安い価格を消費者に提供するかと言うとそうはいかないのです。出来るだけ大きい利益 の追求しか眼中にないのです。安売りではコスコといった大手ディスカント店には勝て ません。しかし多少は割高だが列には並びたくないと言う人がまだたくさんいます。ま た各々のサービス・ステーションには行きつけのステーションと言う感覚も働いて、値 段だけで客を失うという現象はおきないでしょう。要は新法がどこまで価格統制に寄与 できるかと言うことです」新法でも価格の安定が実現できないと言うのは小売業者です。 あるサービス・ステーションオーナーは「新法で価格が押さえられることはないでしょ う。小売業者にとっても複雑な価格体制に対応することは煩雑なことです。結果的には 現行制度と余り変わりがあるとは思いません」と迷惑顔。
 
さて、ガソリン価格だけが本当に高くなったのでしょうか。他のものと比べてみましょ う。ガソリン一ガロンの価格はいま全米平均で一ドル八十八セントです(ハワイ市場は 二ドル四十三セント)。そのガソリン価格は一九八〇年代に一ドル二十六セントでした。 インフレを調整すると一ドル二十六セントはいまの価格では二ドル八十七セントに相当 します。ということは、一ガロン二ドル八十七セントのガソリン価格を当時支払ってい たのです。それが、現状価格は一ドル八十八セントですから当時の価格より、九十九セ ント安い価格を高いといっているのです。実質的には三四%も低いのです。玉子(一ダ ース)の値段は一九八〇年代には一ドル三セントでした。いまマーケットでの玉子の価 格は九十八セントです。インフレ調整をしなくても安くなっています。インフレ調整す ると一ドル三セントはいまの二ドル三十六セントに相当します。玉子は当時より五九% も安くなっている計算になります。
 
自動車(新車)の価格は一九八〇年に七千五百三十ドルでした。同車種はいまでは二万 八千ドルで売られています。七千五百三十ドルはいまの価格に変換すると一万七千二百 六十二ドル。いまの車の価格は実質的に六二%も高くなっている計算になります。大学 授業料も、八百四ドルが五千百三十二ドルに跳ね上がり、実質計算で一七八%も高くな った訳です。こうして比較してみるとガソリン価格は上がってない商品に入ります。価 格の比較対象は単純には出来ません。しかも生活必需品かそうでないかと言う点で、消 費者に与える物価高と言う印象は異なるでしょう。先の比較は米商務省のある統計調査 によるものですが、同調査の中で消費者は一体いくらまでのガソリン代なら払えるだろ うと愚問してみました。「その人の経済力によってもちろん異なりますが、アメリカ人 の中間層は一ガロン十ドル位までなら車を利用するんじゃないですか」とはシカゴ大学 の経済学教授。読者諸氏はいかがでしょう。カイルア在住のある消費者は「一ガロン、 七ドルが上限でしょう」といっていました。
 
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● アメリカ定点観測
GMの怒りを招いたLAタイムズの人気コラム
どうやら〈犯人〉は新車批評の人気コラムを書いているダン・ニール記者だったよう です。世界最大の自動車メーカーながら、このところ業績不振にあえいでいるゼネラ ル・モーターズ(GM)が、ロサンゼルス・タイムズ(LAタイムズ)紙への広告を 取りやめた直接の引き金となった記事を執筆した人物です。企業が掲載された記事を 不満として、新聞社やテレビ局などのメディアに抗議することは珍しくありませんが、 広告掲載を取りやめることで〈報復〉するというのは珍しいことです。〈商業新聞〉 にとっては、広告収入は購読料と並ぶ収入源であり、特にGMのような巨大企業から の年間数千万ドル単位の広告が無くなることは財政的に大きな打撃ですが、単なる誤 報や取材不足によって広告が止まったというのではなく、直接のきっかけが、新聞業 界では最も権威あるピュリツァー賞を受賞した記者が執筆した記事だというのですか ら、LAタイムズ紙としては対応に苦慮している様子が目に浮かびます。
 
GMが、同紙への「当面の間」の広告中止を決めたのは四月六日。発表したのは七日 になってで、報道機関が一斉に報じたのが八日です。GMでは公式には、不満だった のは特定の記事ではなく、同紙でのGMに関する一連の記事であり、「事実誤認と不 当な記述があった」ためと説明し、最終的には「カリフォルニア州のディーラーから 強い反対の声があった」ことが広告取りやめにつながったとしています。これに対し てLAタイムズ紙は「GMからの事実誤認などについてのいかなる苦情も調査する。 またいかなる適当な訂正をする」と発表して、双方の言い分が明らかになり、その後 は水面下での両社の接触が続いているもようです。
 
広告主とメディアとの関係は相互依存関係にあり、広告主側がメディアの報道を不満 として広告を停止するというのは「両刃の剣」です。相手に打撃を与えることになる ものの、同時にわが身にもマイナスとなります。例えば、このニュースが広範に伝え られた八日のニューヨーク株式市場では、GMの株価は三・三七%値下がりしたのに 対して、LAタイムズ紙の親会社トリビューンの株価は一・六四%安にとどまりまし た。 GM株は、このところ業績が好ましくなく、幹部人事の刷新が実施されたばか りで、以前から株価は下落しており、この日の下げ幅が広告停止問題だけを材料にし たものだったのかは不明です。だが、GMの措置が必ずしもLAタイムズ紙だけに打 撃となったとは言えないようで、GM株はその後も下落を続け、十年ぶりの安値を更 新するありさまです。
 
ビッグスリーを呼ばれるアメリカの大手自動車メーカー(クライスラーはドイツ資本 傘下)がいずれも不振を続けている中、GMが最も苦況にあります。四月六日には年 内の業績見通しを下方修正したことで、株価は四・七一ドル(一四%)の大幅安を記 録し、二九・〇一ドルと過去十年で最低になりました。 一〜二月の新車販売台数は 九・九%のマイナスで、シェアは二四・四%と過去最低に落ち込んでいます。原油高 騰でガソリンが大幅に値上がりしていることもあって、燃費効率の悪い主力車種であ る大型ピックアップやスポーツ用多目的車(SUV)の売れ行き不振が響いており、 業績修正に伴い、債券格付けのムーディーズは、GMの長期債を投資不適格(ジャン ク=ごみ)すれすれにまで格下げするありさまです。GMのかじ取りの最高責任者は リック・ワゴナー会長兼CEO(最高経営責任者)で、アメリカ国内の不振を受けて 陣頭指揮を執るため、北米事業部門の再建担当として三年半前にクライスラーから引 き抜いたロバート・ラッツ北米GM会長やゲリー・カウガー副会長を更迭する人事刷 新を断行しています。
 
このようなGMの現状については、LAタイムズ紙を含めた大手各紙が詳細に報じて おり、別に同紙だけが極端な〈偏向報道〉をしてきたとは思われません。同紙はアメ リカでは第四位の発行部数(九十万部)を誇る新聞で、昨年は五部門、今年も二部門 でピュリツァー賞を受賞するなど、近年は「信頼できるアメリカ有数の新聞」として の名声を確立しているほどです。背水の陣のGM、特にワゴナー会長が同紙への広告 中止を決断するほどの怒りを招いたのは、ニール記者が六日付のコラムで「ワゴナー を解任せよ」という趣旨の文章を書いたことです。
 
GMスポークスマンの公式発言では、「事実誤認・不当な記述」としているだけで、 特定の記事を名指していないのですが、LAタイムズ紙によると、「匿名を条件のG Mのある幹部」は、このコラムが「特に不快だった」と〈犯人〉を特定しています。 ニール記者は老舗の自動車専門雑誌カー・アンド・ドライバーから二〇〇三年九月に LAタイムズ紙に移籍し、毎週「ランブルシート」という新車批評コラムを受け持っ ています。「自動車版の〈徒然草〉」とも言えるような内容で、基本的には技術的な 新車批評ですが、それを材料にして自動車社会であるロサンゼルスや自動車業界を論 じるといったアメリカの新聞では前例のない毎週一回のコラムです。千五百語という 長いコラムだけに読み応えがあり、ニューヨーク・タイムズ紙の俊英フランク・リッ チ記者が毎週日曜版で文化批評を材料にしてアメリカの政治・社会を論評してきたコ ラムに似通っています(同記者のコラムは最近、同じ日曜版ながら論評欄に移動)。
 
コラムを書き始めてから数か月でピュリツァー賞を受賞するということだけで〈快挙〉 ですが、受賞したのが「評論」部門というのもユニークでした。この部門は演劇批評 を担当していたリッチ記者ら、日本の新聞社では文化部に属するであろう〈うるさ型 記者〉がうんちくを傾けた文芸・文化評論が受賞対象になっていたところで、「自動 車評論」という分野からの受賞者はもちろんニール記者が初めてです。新車の評価を するという限られた〈守備範囲〉の車のユーザー批評ではなく、社会的な広がりを持 ち込んだユニークなものとして評判になっています。〈問題〉のコラムも、表面的に は、半年前に発売されたGMの「ポンティアックG6」の新車批評なのですが、「G Mでの弾劾手続きを始めよう」という見出しからうかがえるように、「G6のように 魅力を欠いた新車を生み出すのはつむじ曲がりの天才だ」と指摘し、凡庸な車しか生 産できないGMの欠陥体質を皮肉たっぷりに描いた内容になっています。
 
ニール記者は、G6の批評コラムの冒頭に「ラッツを解任せよ」と書いた時点で、G Mでの最高幹部の人事異動のニュースに接し、「ワゴナーを解任せよ」と書き直さざ るを得なくなったと記しています。G6はラッツ北米GM会長の指揮下で生まれた車 で〈失敗作〉だったことからすれば、その責任を取るべきだという論旨にするつもり だったが、ワゴナー会長自身が北米部門の指揮を執るというのであれば、十一もの事 業部門を抱え、似通ったSUVを売り出したり、ハイブリッド車開発競争に乗り遅れ など、総合的な戦略を欠いていることの責任は同会長にあるというわけです。
 
G6は、ポンティアック部門の主力車グランザムに代わるものとしてGMが開発に力 を入れてきた車ですが、発売以来の販売台数は半分にも達しないという体たらくです。 昨年九月の発売当初は、「アメリカで最も影響力のある女性」の一人であるテレビタ レントのオプラ・ウィンフリーが司会する人気テレビトークショー番組「オプラ」の 放映開始十九年周年の記念番組とのタイアップで、会場に招かれた女性視聴者二百七 十六人全員に、一台二万七千ドルもするG6を贈呈するという派手なイベントを企画 して大きな話題作りをするなど、GMが期待を掛けていた新車です。しかし現在では、 売れ行きを確保するために、メーカー希望価格の実に一六%ものリベート(払い戻し) をするという業界最大の販売奨励策を実施していることが、期待外れの事実を物語っ ています。ニール記者のコラムは「野球チームが連敗記録を更新するようなことがあ れば、選手やコーチ、そして監督は首切りとなる。GMでは、いまやダッグアウトを 掃き清める時期が到来している」と結んでいるのですが、これがワゴナー会長の逆鱗 (げきりん)に触れたとみられています。
 
GMのLAタイムズ紙への広告中止でどちらがより大きなダメージを受けるかでは、 さまざまな見方があるようです。トリビューンによる買収以来、同紙の広告収入は一 四%減となっており、業績低迷からの脱出に躍起となっている同紙や親会社にとって はダメージが大きいという見方があります。 しかし一方では、広告中止という非常 手段に訴えることを余儀なくされるほど、GMが厳しい立場に置かれているというマ イナスの企業イメージが広がることで、最終的にはGMにとって、もっと大きな打撃 になるとみる専門家もあります。大企業による大手メディアに対する広告中止という ことで有名なケースとしては、IBMによるビジネス雑誌フォーチュンへの六年近く にわたる広告中止措置があります。一九九七年四月十四日号の巻頭記事で「IBMを 救う聖なるテロ」という見出しで、ルイス・ガースナー会長兼CEOのIBM再建に 取り組む手腕を分析したのですが、「彼は頭が切れる。彼はナイスガイではない。彼 を好きになるのは容易なことではないが、尊敬に値する人物だ」という書き出しで、 厳しい人物評を加えたことでIBM側が反発し、同会長が再建に成功して退任した後 の二〇〇二年十二月まで、同誌への広告を取りやめました。今回のGMの措置は「当 面の間」ですが、GM側の不満が主としてニール記者のコラムに向けられたものだと すると、コラムは事実報道ではなく一種の論説だけに、LAタイムズ側がどのような 対応を取るかが注目されます。アメリカの新聞では、編集部門と広告部門の間には 「チャイニーズウォール(万里の長城)」と呼ばれる厳格な垣根が設けられているの が建て前になっているだけに、同紙側が安易な対応を示せば、広告主の圧力に屈した という印象を与えかねず、どのような妥協を図るのか興味津々です。
 
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● 講演「命の大切さ、命の不思議」(上) 
『がんばらない』の著者・鎌田實医師
〈笑い〉は病気と闘う力になる
三月中旬、クラブツーリズムの主宰によるドリームフェスティバル・イン・ハワイと いうツアーで、百二十六名の身障者及びその家族がハワイを訪れた。ハンデを持つ中 で、ともすれば海外旅行を諦めがちな気持ちもあるが、多くの人たちがこのツアーを 通して、ハワイ旅行の楽しさを味わった。ツアーのスペシャルイベントとして十七日 にアラモアナホテルで行なわれた夕食会では、諏訪中央病院長で『がんばらない』の 著者として知られる鎌田實(みのる)医師の講演が行なわれ、ツアー参加者だけでなく ハワイ在住の日本人も駆けつけ話を聞いた。〈命の大切さ、命の不思議〉を伝えたス ピーチは、出席者全員に生きる希望を与える内容となった。
 
私は生きているということ自体が、旅だと思っています。その人生を楽しませてくれ る節々のところに思い出の旅みたいなものがあると、人生が更に豊かになっていくと 思います。ですから生きている限りは、どんな小さな旅でもいいから夢を描いている、 そしてできたら実現させていくということが、自分の人生を彩らせていくことなのか なあと思っています。私は蓼科という、茅野市にある白樺湖や八ヶ岳が見える場所に 住んでいます。東京生まれの東京育ちで、医者がいないということで、一年か二年の つもりでここに移り住みました。ところが信州の風や風景が好きになり、もう一年も う一年と思っている間に、三十一年間の月日が経ちました。その間子供ができて、子 供を育て、そして沢山の患者さんから色々なことを教えられて生きてきました。それ 自体が宝物でしたが、僕が三十一年間の旅の中で見てきた、つまり患者さんや障害を 持った方から教えられたことを、今日はお話しようと思っています。
 
今日はハワイにお住まいの方も沢山参加されています。今回僕達が百二十六人、障害 のある人たちで旅に出ようということで、成田空港を旅立ちました。ハワイの人たち に大変お世話になりました。本当にありがとうございました。日本では旅が自由にな りつつありますが、障害を持つ人たちにとっては、「バリアフリー」といわれても、 まだまだ不自由な部分が沢山あります。でもハワイに来るとほっとするというか、沢 山の人たちが温かく迎えてくれました。私の勤務する諏訪中央病院は、環境のいい中 に建っています。病気と闘うということは、手術や放射線治療や薬の組み合わせだけ ではありません。私は三十一年間、病院作りをしていく中で、とても気にかけていた 事がありました。全ての人の体の中には、〈生きよう〉という細胞や仕掛けがありま す。免疫機能ですとか自律神経系という仕掛けであり、その仕掛けによって私達は生 きていることができます。そうした免疫機能を高める病院とはどういうものなのか、 ずっと考えていました。例えばガンと闘う細胞には〈ナチュラルキラー細胞〉、ばい 菌と闘ってくれるリンパ球など、色々な細胞があることが証明されています。どうも 〈希望を持っている・いい空気を吸っている・いい景色を見ている・親しい友達と楽 しい時間を過ごす〉ということが、免疫機能を高めるということが分かってきました。 ですから病院作りには、医師の治療ということではなくて、〈その病院にいるだけで 勇気が湧いてくる・免疫機能が活性化されていく〉、そんな病院ができないかと思い ました。その時に自然を大切にしたいと思いました。ですから八ヶ岳がパノラマのよ うに見えて、カラマツ林があり、そして市民の人たちのお手伝いによってハーブガー デンがある、そうした病院作りをしてきました。
 
皆さん、ノーマン・カズンズという方をご存知でしょうか。彼は世界的に有名なジャ ーナリストでしたが、膠原病という難治性の病気になってしまいます。膠原病の中で も珍しい種類の、それも関節が硬くなり痛くなるタイプでした。ノーマン・カズンズ は、その時とても有名になっていましたから、一流といわれる医者の友人も沢山いま した。当然そうした人たちからは、特効薬であるステロイドホルモンを使うように薦 められます。でも彼は、「どうもその薬は、私に幸せを呼んでくれる薬ではないので はないか」と思い、その薬を使うことを拒否しました。彼が飲んだのはビタミンCだ け、他に取った作戦は〈笑うこと〉でした。面白い友人だけを病室に呼んでゲラゲラ 笑い、面白いビデオを見ました。すると今まで動かなかった関節が、少しずつ動くよ うになったのです。ゲラゲラ笑う毎日の中で、彼は治っていきます。不思議なことに、 膠原病のデータを表していた血液のデータまで、変っていったのです。奇跡が起きた のですね。彼は最終的に、治ってしまいます。そして治った後に、友人の医者達に協 力を仰いで、〈自分はなぜ治らないといわれた病気が治ったのか〉を、調べてもらお うとします。私は先月、『鎌田實、いのちの対話』というNHKの全国放送のラジオ で、杏奈淳さんという元宝塚の女優さんで、二十数年前〈ベルサイユのバラ〉という 大ヒットした作品の男役をなさった方と対談をしました。安奈淳さんは、ノーマン・ カズンズと同じように、膠原病になるのですが、彼女からカズンズと同じような話を 聞きました。彼女の場合はステロイド剤を使いましたが、薬の副作用によって鬱にな り、何回か自殺を試みようとします。でも彼女はそこから克服していきます。その時 に、彼女が克服していく際背中を押してくれたものが、〈希望〉だったそうです。そ して見事に克服し、舞台に立って、〈自分の歌はかつて健康だった頃よりも、何倍も 魅力にあふれている〉と、言われました。
 
ノーマン・カズンズは、病気を克服していったときに、〈どうも体と心は繋がってい るのではないか、その繋がりの中で病気が発生したり、治ったりするのではないか〉 と、思い至ります。体と心は繋がっているということを書いた彼の『笑いと治癒力』 というベストセラーがあるのですが、その多くの利益でカリフォルニア大学の大脳研 究所を作り、これを証明しようと試みます。最後に彼は、カリフォルニア大学の教授 になります。私は昨年十月、同ラジオ番組で永六輔さんと三時間、青森から『いのち とユーモア』というテーマでお話をしました。ここが不思議なところなのですが、数 日後にある電話がかかってきました。ノーマン・カズンズの娘ですという人からの電 話でした。でも電話の声が、どう聞いてもアメリカ人ではないのです。日本人なので す。なんでノーマン・カズンズの娘さんが日本人なのかなと思いながら、後日東京で お会いしました。その方は、七十二歳のニコニコしている素敵なおばあさんでした。 なぜ彼女がノーマン・カズンズの娘なのか、自己紹介を聞くうちに分かってきました。 彼女はアメリカから久しぶりに里帰りをして、ラジオをひねったら、自分のお父さん の話をしていたというのです。ノーマン・カズンズは一九九〇年に亡くなっています。 私はラジオで、永六輔さんの話に負けないように、少しでも皆さんのお役に立つ話が できればと思いながら、『ユーモアが命を支えることが出来る』という話をしていた わけです。それをササモリシゲコさんというカズンズの養女になった方が聞いたわけ です。奇遇だなと思いました。
 
彼女は広島で十三歳のときに被爆をします。体の三分の一がケロイドになってしまい ます。とても外に出て行けないような気持ちになったといいます。そしてここがカズ ンズさんのすごい所なのですが、アメリカが原爆を落とした事で心を痛め、二十五人 の被爆乙女、ケロイドにかかってしまった若い女の人たちをアメリカに招待しました。 戦後間もない日本では美容整形という整形外科があまり進歩していないときに、手術 をしてあげたのです。その二十五人の中で一人だけ、シゲコさんはカズンズの前で夢 を語りました。「私は勉強して、いつか看護婦になり、人の役にたつ人間になりたい」 というその夢を、カズンズは忘れませんでした。そして何年かして、「広島であなた の夢が叶わないなら、そしてあなたの夢が、まだあなたの心の中にあるならば米国へ いらっしゃい。私の家から、看護学校へ通いなさい。あなたの夢を達成しなさい。そ してあなたは人の役にたつ人間になりなさい」という手紙をくれます。勿論広島は、 まだまだ勉強できる状態ではありませんでしたから、彼女はアメリカに渡り、カズン ズの養女になります。そして本当に看護婦さんになりました。彼女の顔はよく見ると、 すごいケロイドです。実は被爆をしてから五十九年経った去年もケロイドが進んで、 口が開かなくなって十数回目かの手術を受けました。「私の身体は五十九年経っても、 まだ病気が進んでいます」といいながら、彼女はニコニコしています。不思議だなと 思っていたら、「カズンズから笑ってないとダメだ。希望を持っていないとダメだ。 少しでいいから誰かの役にたちなさい」と言われていたそうです。
 
彼女は被爆をしたわけですから、細胞が傷ついて、確率としてガンや色々な病気をす るリスクを抱えているということを、カズンズは知っていたと思います。この娘が元 気でいられるためには、免疫機能を高めなくてはならない、だからこそいつでも笑っ ていなさいといい続けたのだと思います。彼女は、僕がずっと世界で被爆している子 供達のためにボランティア活動をしているということを、インターネットで調べてわ かったそうです。「私の最後の仕事は被爆した子供達の為になることだと、思ってい ました」といいました。彼女はベビーナースという、看護婦さんのライセンスを取っ ています。でも病院で働くことは、多分無理だったと思います。手もケロイドの為に こぶだらけで注射をすることもできなかったでしょう。それでも彼女は頑張ってライ センスを取って、自分なりにできる仕事を見つけていきます。そして彼女のベビーナ ースという仕事が、口コミで非常に素晴らしいと伝わり、ハリウッドのスター達の子 供の面倒を見るようになります。その子供達がハリウッドで活躍するようになり、ま た大会社の社長さんの子供達を預かったりしていきます。「これからはそうした人た ちに寄付を募って、世界の恵まれない被爆者達の役にたちたい。それが死んだお父さ んに対する自分の恩返しだと思っている」と、シゲコさんは言っていました。
 
私は旅が好きですし、旅に出るとそこの風景が好きになります。先月はヨルダンとい う国に行きました。とても貧しい国です。でも日本より何十倍も貧しい国ですが、ダ ウンタウンは活気があふれていました。日本は戦後、皆で頑張って頑張って豊かな国 になったけれど、私達の子供の目は皆生き生きしているとは思えません。幸せとか生 きているということは、どういうことなのかなあと思ってしまいます。テレビが一家 に一台あったら幸せだなあと、三十年前僕の家にはテレビがなかったので、他の人の 家に見せてもらいに行ったときは、そう思いました。今は家族が一台ずつテレビを持 っている家もあります。一家に三台テレビを持っている家もありますが、三倍幸せに なったかというと、どうも違うような気がします。本当の幸せとは何なんだろうとい うことを思ってしまいます。私達は一九八〇年ぐらいから、もっと頑張ればもっと幸 せになれると思ってきたけれど、どうも幸せは違う所にあるのではないかということ を私は旅をして気がつきました。国内総生産などで比べれば、びっくりするような国 の人が、とても幸せそうな顔をしているのを見て、そう思ったのです。
 
ドイツには平和村という場所があります。ドイツの人たちのボランティアで、戦争に 巻き込まれて負傷した子供達を、ドイツに招待して治療してあげています。ムサ君と いうアフガニスタンの少年は、赤い玩具が落ちていると思って拾うのですが、それは 地雷でした。持ち上げた瞬間爆発して、隣にいた少年は死にました。彼は気を失いま した。病院で気がついたときには、自分の両手のひじから先がありませんでした。私 は先月もこのドイツの平和村へ行って彼と話をしてきました。彼は眼が輝いているん です。今ドイツの医師たちは、彼のひじの先端の骨を削って、裂け目を入れようとし ています。ひじの先端が丸いうちは、生活に大変支障をきたしますが、二股に分かれ ていたら鉛筆をはさんで、彼は字を書くことができます。フォークがもてたら、アフ ガニスタンに帰っても自分で食事をすることができる。もし両手を二股にして、何か をちょっとでも握ることができたら、大人になったら車の運転ができるのではないか。 日本だったら、義手をつけるところです。でも彼をアフガニスタンに帰してしまった ら、アフガニスタンの成長期の少年が、毎年毎年その成長に合わせて義手を大きくし ていくことはできないのです。だからこの少年はひじの先を二股にするために、十数 回手術をしています。彼は戦争のために、辛い人生を歩んでいます。でも彼は負けて いません。いつか右手も、何回かの手術を乗り越えて、最後はふるさとに帰りたいと 思っています。そして自分の国で生きていくという夢を持っています。彼は負傷して ドイツに旅をしました。彼の今までの人生は不幸でしたが、これからの人生は希望が あります。
 
ノーマン・カズンズのシゲコさんもケロイドに負けませんでした。いつも希望を持っ ていることは、大切なことだと思います。先月私はイラクの難民キャンプの子供達を 診察しました。イラクとヨルダンの国境沿いに、イラクは脱出したけれどヨルダン川 の国境を開けてもらえずにどこの国にも行けない難民の人たちがいます。そこの子供 たちの顔も、不思議なくらいいい顔をしていました。大人達は一年半の難民生活で疲 れた顔をしていました。でも子供達は難民キャンプの中で勉強しようとしていて、ま たボランティアの大人たちが教えていました。そうした姿を、私は色々なところで見 てきました。ポーランドのアウシュビッツでは、このような光景を見ました。第二次 大戦で、アウシュビッツに収容された大人たちが、学校に行くことのできなくなって しまった子供達のために、学校の絵を描いていたのです。そして今玩具は皆ナチスに 取り上げられているんですけれど、玩具とはどういうものなのか、壁に絵を描いて教 えていました。 日本の子供達は、学校に行くことが出来ます。これはとても幸せな ことです。私も貧乏でした。父は小学校しか出ていませんし、心臓病の母の面倒を見 ながら、タクシーの運転手をし、子供達を育ててくれました。子供達を育てていくの は、とても大変だったと思います。また実際に生活は苦しかったです。でも私には、 学校に行けるという希望がありました。そしてそれが一つのチャンスになっていくわ けです。難民キャンプで見たときに大人達が、何が子供達に希望や夢を持ってもらい と思ってイラクの大人達が必死に励ましています。アウシュビッツの中でも、助かる 人が一人もいないとわかっていながらも、大人達は子供たちに夢を託して玩具や学校 の絵を描いていました。(五月十五日号に続く)
 
■鎌田實先生プロフィール
一九四八年、東京生まれ。一九七四年、東京医科歯科大学医学部卒業。諏訪中央病院で 地域医療に携わる。一九八八年から二〇〇一年、同病院の院長。チェルノブイリ原発事 故の救護活動にも参加し、ベラルーシ共和国フランチェスカスコーリヌイ勲章受賞。 二〇〇〇年、著書『がんばらない』がベストセラーになりTBSでドラマ化される。 二〇〇三年続編『あきらめない』を刊行。
 
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● 梨本昌子のフレッシュトーク 25
私なりの「すごい言葉」古今東西の名句集より 続編
四月一日号の私なりの「すごい言葉」がとても好評だったので、再び私好みのテーマ と句を選び各々に私自身のコメントをつけてみた。引用した本は「すごい言葉」 (晴山陽一著・文春新書)である。
 
・記憶について
「うそつきは、記憶がよくないとなれない」 
偽名を使う者は、どこでどの偽名を使ったか正確に覚えていなければならない。この 言葉は、スペインに生まれ、ローマで活躍した弁舌家クインティリアヌスによる。大 昔の人もうそつきは記憶力がよかったという証明だが、この言葉は立派に今でも通用 する。皆さん、身に憶えがあるハズ。記憶力が乏しくてよくうそをつきたい人は、ど んなウソをいつ、どこで言ったか手帖に書くべし。というのが私も含めて読者へのア ドバイス。
「誰もが記憶力のなさを嘆くが、判断力のなさを嘆く者はいない」
フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコー(1613-80)の言葉。そういえば、「記憶術」 の本は沢山あるが、「判断術」の本はめったにない。現在の私は、記憶力の低下はおそ ろしいスピードで進んでおり、また、判断力も衰えていく一方で、判断力のなさも嘆い ている。しからば、この句は私にはあてはまらないナ。皆さんはどう?
「生きていくためには、記憶力よりも、その対極にある〈忘れる力〉のほうが不可欠 である」
ポーランドに生まれ、三十四才の時にアメリカに移住した作家、ショーレム・アッシュ (1880〜1957)の小説「ナザレ人」の中の言葉。私は亡き主人のことを想うと、この言葉 がドシンと心に響く。思うに忘れることのできない辛さは、覚えることができない辛さ の比ではない・・・。
 
・時間について
「人類永遠の課題は、起きている時間をどのように構成するかだ」
米国の精神病理学者、エリック・バーン(1910-70)の巧まざる名句。〈逆にいうと、眠 っている時間はもはや人間の領域ではない。起きている時間くらい、うまく構成したい ものである〉と著者はコメントしている。こんな課題に挑戦するぐらいなら、もっと長 く眠っていたいというなまけ者の私だが、私の友達で精神科のドクターに言わせると、 二十四時間を四等分して、六時間、それぞれ睡眠、仕事、自分だけ又は家庭用の時間、 そして宗教やスピリチュアルな時間のバランスが理想的なのだそうだ。この四等分論も 私には適用しないので、もう時間の事を考えるのはや〜めた。
「時間は岸のない川である」
ベラルーシ(1991年にソ連邦から独立)のヴィテブスクに生まれ、第二次大戦後はフラン スに定住して活動した画家マルク・シャガール(1887-1985)の、絵のタイトルである。 時間は、岸のない川の果てしない流れである。そして時の流れが緩慢にみえるのは、ど ちらを向いても岸が見えないためである―ということらしい。しかし、私にとっては、 今という時はものすごい速さで迫って来て、ものすごい速さで去っていく。ああ、あれ もしたい、これもしたいと夢を描いていても、時は冷酷にも私からサーッと去っていく。 あと二十年位(生きられたなら)は、ゆっくりと時を味わいたいと思うのだが…。
・未来について
「人生は常に一回きりのプロセスだ。それゆえ、未来は過去の反復ではありえない」
ニューヨーク生まれのジャーナリスト、ウォルター・リップマン(1889-1974)の言葉。 一九五八年、ピューリッツァー賞を受賞。今日食べるパンは昨日のパンとは違う。そし て、生き物の中で人間だけが過去の反復に執心する。イヤな過去はさっさと棄てて、未 来だけを見つめたいと思うのだが、なかなか出来ないのが人間というものだろうと思う。
「私は過去の歴史よりも未来の夢を好む」
米国第三代大統領トマス・ジェファソン(1743-1826)が一八一六年八月一日に、二十四才 年下のジョン・クレイシー・アダムズ(1767-1848)に送った手紙の中の言葉。当時はアメ リカ建国の時代。いかにもその時にふさわしい言葉だ。なおアダムズは後に第六代大統領 となった。やっぱり未来の夢を考えている人の方が出世するみたい、と自分にコンプレッ クスを持ってしまう私。
「私は未来のことは考えない。どうせすぐやって来るのだから」
時間と空間の相対性を明らかにした有名なアルバート・アインシュタイン(1879-1955)の 言葉。さすがというのは礼を欠くかもしれないが、私は本当に名句と思う。未来は夢だナ ンダなどとグチャグチャ考えずに、「どうせやって来るのだから」とスッパリ割り切った 方がさっぱりする!
 
・知識について
「興味がなければ、何も面白くはない」
イギリス生まれの米国のスパイ小説化ヘレン・マッキネス(1907-85)の一句である。 「興味を持つ」ということは、頭脳を〈入力モード〉にすることだ。私が子育てをしてい た当時を想い出す。子供たちに一生懸命教えようとしても、全く興味を示さないことがよ くあった。つまり、子供たちを入力モードに誘導しなかった私がいけなかったのだ。それ なのに、すごくしかったイヤなママ。
「知識が増すほど、われわれの無知が明らかになる」
米国第三十五代大統領ジョン・フィッツジェランド・ケネディ(1917-63)が、一九六二年九 月十二日にテキサス州ヒューストンのライス大学で行なった演説の中の名言。それだけに生 きている間できるだけの知識を身につけたいと思うのだが、あまりにもエンドレスで気が遠 くなりそう。そして、自分は無知なんだと謙虚に思う方が、自分は何でも良く知っていると 思うよりはよっぽど気が楽、この句で安心した。
「議論は知識のやりとり、口論は無知のやりとり」
米国のコメディアンで映画の脚本を書いているロバート・クィレンの一句。ディスカッショ ンは知識をもとにアーギュメントは無知が原因と違いがわかる一句。
「われわれは何事についても一パーセントの百分の一も知らない」
米国の発明王トマス・エディソン(1847-1931)の知る人ぞ知る名句。そのエディソンの記した 膨大な着想メモの一〇パーセントも、まだ解読されていないとか。私はこの原稿を書きなが ら「私はな〜にも知っちゃいないし、分かってもいないんだ」と再認識させられた次第。
「持論を持てば持ったほど、ものが見えなくなる」
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース(1945〜)が一九九〇年十二月三十日の「オブザーバー 」紙上で語った言葉。周囲を見渡すと持論ラシキものをふりかざす人がいるが、これで安心し たという感じ。
 
・天才について
「誰でも天賦の才を持って生まれる。だが、生きていく過程で天才を喪失する」
米国の生んだ知的巨人バックミンスター・フラー(1895-1983)の言。「私も生まれた時は、天賦 の才を持っていた」と知るのは嬉しいことだが、失ってしまったと知るのは悲しい。人類の発展 のために、どうやったら天賦の才を維持していくことができるのか世界中で真剣に研究する必要 があるのにと思うのだが!。
「天才とは、一パーセントのひらめきと九九パーセントの汗である」
米国の発明王エディソン(1847-1931)の名句中の名句。ただし、真意は、「どんなに努力しても ほんのわずかのひらめきがなければ、無に帰する」ということだったらしい。ひらめきは閃光 ににて、一瞬で全てを照らしだす程インパクトがあるのだ。汗を沢山流し仕事に励みながらも、 思う様にひらめかないワタシ。やっぱり〈天才について〉なんてこと、書かなければよかった のに。  (筆者はナシモト&アソシエイツ社社長) 
 
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 バックナンバー: 2005年 5月1日