バックナンバー:2005年 4月15日
● トップ: 直撃インタビュー
   ・バラマキ財政の立直しに大なたを振るう ハネマン・新ホノルル市長に聴く

● ハワイは今:
   ・オアフ島中古住宅市場堅調、3月の一戸建て中間価格は55万ドル
   ・メディケアの掛金、12%以上アップ?
   ・タバコ州税倍増法案成立か?   下院保険委員長は〈禁煙州〉を願望
   ・警官を州所得税から免除? 消防士に8.2%の昇給案提示
   ・制服警官は防犯に効果的、コミュニティの夜間警備
   ・ハワイアン文化センター開発案発表   カカアコ・ウォーター・フロント公園西
   ・ワイキキ水族館から盗まれたエメラルド色に光る珍しい貝、戻る
● News Letter from リンダ・リングル州知事
● 四分の三世紀を生きてきて --- 平井 喜平
● ニーマンマーカスにアメリカの著名デザイナー スー・ウォングが来店
バックナンバー:2005年 4月15日
● トップ: 直撃インタビュー
バラマキ財政の立直しに大なたを振るう ハネマン・新ホノルル市長に聴く
「九十万人の市民を抱えるホノルル市の財政は倒産寸前です」(チャールス・デジュー 市議)。
「こんな状況で市行政は受け継ぎたくないですネ」(オキノ市議)とまで言 わしめるホノルル市
の財政。 それほどまでに悪化させたジェラミー・ハリス前市長か ら、初めてのサモア系移民
の市長 ムヒ・ハネマン市長が一月二日に新市長に就任、 そして丸三か月が過ぎた。 道路補
修から下水処理、ゴミ問題から交通渋滞緩和まで重要課題は山積みしている。 市長職三か
月、どんな三か月だったのか。また市政の建て直しにメドがついたのかな どをハネマン新市長
を直撃インタビューした。  (春)
 
難航した新政権組閣
昨年秋の選挙後、ハネマン次期(当時)市長は政権を担当する局長、副局長、市長官 房の人選に
入った。市長就任式が一月二日に予定されていて、市長側近は人選委員会 を組織し、有能な候
補者を絞り込み、十五局の局長はどうにか選んだ。また同委員会 は、マネジング・ディレクター
(日本語では助役と訳しているが、職域に日本と米国 の差がある。市長が出張する時に市長職を
代行する職務の他に半数以上の局長は助役 の直轄になる。従って一部では局長統括官と翻記し
ているが、ここでは助役とする) として、ジョン・リードDFSハワイ社前会長を推挙した。ハネマン市 
長も市政府再建には最高の民間人としてリード氏の助役就任を要請した。
 
同氏は同任命を承諾したのだが、一月下旬に同職を辞退するはめとなる。 理由はDFSハワイ社を
辞めて、米本土東部に設立した新会社で、女性社員から男女 差別に関して提訴されていたことが
表面化したのだ。 「提訴はすでに示談解決してい るが、ハネマン新政権の足を引っ張りたくない」
とリード氏は固辞した。 人選委員会はあわてた。新政権の要となる助役職が空席では新政権は
スムースに稼動 しない。連日の会議の結果、ハワイのラジオ界のベテラン経営者ジェフ・コエロ氏
に白羽の矢を立てた。個性の強いコエロ氏がハネマン市長の補佐役と半数以上の助役直轄局長を
統括していけるのか、コエロ氏をよく知るラジオ界では憂慮する人もいた。
 
二月下旬、一度承諾したコエロ氏が不安を表明。 ハネマン市長の側近は、コエロ 氏に助役辞退は
ハネマン政権に致命的打撃を与える、辞退させないと説得し、納まった。
 
苦心の緊縮予算案
ハネマン市長は、自らの政権を短・中・長と三分し、その中で短期政策を〈百日計画〉 と呼んでいる。
組閣の人選から予算案の編成、市長所信演説、これは無事終え、中期に取りかかった。財政状況
の分析に伴うプロジェクトの着工である。洗い直しの段階で今会計年度のプロジェクトの見直しを急
いだ。二月中旬に千四百八 十万ドルが計上されている二十案件の中止を発表した。
 
三月二十九日には更に六十六 案件の中止を発表した。水泳プール、公園施設の整備などを含む六
十六のプロジェク ト中止が公表された。 総額で六千六百七十万ドルに上る。(注、同中止プロジェクト
の一部はホノルル市議会で復活する可能性あり)中止される計画の多くはコミュニティ公園、スポーツ
施設、歩道整備、バイクウェー、 特にハイク・ヴァレー公園の橋や山道の補修など。 この中でオアフ島
中央のセントラル・オアフ・コミュニティの建物施設の建設費七十 五万ドルが一番大きい。
 
ホノルル動物園のテーマパーク、ハワイアン・アイランド の造園計画の四十三万ドルも中止。 三月二
日、ホノルル市議会に送った次期会計年度 予算案(二〇〇五〜二〇〇六年)に伴う行政当局の今会
計年度の調整を相次いで発表 したことになる。 別表は次期会計年度の予算案の内訳である。 ホノル
ル市の財政源は不動産税、上下水道利用税、ガソリン税の他に諸々の手数料で ある。 他に州政府
からルーム税(TAT)の自治体助成金を受けているだけだ。 これらの歳入の内訳はどこにも明記されて
いない。過去の数字を集めてみると不動産税額は精々、四億五千万ドル。 バス料金の利用者負担額
も三千万ドル。 TATで四千万ドル。 あと州政府からどのような額を助成されているのか予算案を見た
だけでは見当がつかない。 借金返済額は今会計年度で一億九千五百万ドル、次期会計年度で二億
三千五百万ドル に達する。 支出の部で借金返済額が占める割合は一七・五%。 一七%は地方自治
体に与えられた借金返済額のギリギリのラインである。 
 
二〇〇七会計年度には返済額は二億五千万ドルを超える。 三年後には、その返済額は二億八千万
ドルに跳ね上がる。公務員の昇給額は六千二百 万ドル増になる。 しかし同予算には計上されていな
い。市営バス運営助成金は八千八百万ドルと一〇%増を計上している。バス利用者で賄われる額は
わずかに約三千万ドルである。 CIP(公共事業費)は四億五千百万ドルで前年度対比五〇%増。増加
理由は下水施 設の改善、及び補修工事。市債も発行されるが、市民の下水使用料も六年間で倍増す
る。現行使用料は月平均三十三ドル。来年度には五〇%アップ。 その後、五年間で一 〇%ずつ上乗
せされ、使用料は月平均六十六ドルになる。 その他公道の補修工事など 必要な資金はいろいろある。
 
「市民の皆さんのご理解を得て健全な運営を達成します」とハネマン市長
――市長になられて三か月ですが、市長の椅子の座り心地はいかがですか。 
市長―良いですね。 ホノルル市の市長の椅子は私の長年の夢でしたから、いろんな意味で感触を
楽しんでいます。
 
――ハネマン市長は最悪の時に市長になったと多くの人がコメントしていますが、市長ご自身は
どのようなお気持ちですか。
市長―確かに厳しい時に市長になったと思います。財政的にも多くの課題を抱えている情勢です。
といって初めて直面する事態だとは思いません。過去にも状況は異なる かも知れませんがそれなり
の危機感は何度かあったと思います。 後がないと言われますが、逆に考えれば大きなチャンスが待
っていると思うんです。 状態が悪ければ悪い程そのチャンスは大きいと思います。 実態を早く把握し
て、正規の軌道に乗せることです。 悪策は悪策として早く手直し をすれば事態は好転すると信じてい
ます。どんな小さなことでも悪い政策は悪いと早 く中断し、良い政策は継続する決断をくり返している
うちに、市全体が正規の軌道に乗ると思います。 ピンチはチャンスだと思っています。
 
――まず市長はどんなことから手掛けられたのでしょう。
市長―いや、この三か月は多忙すぎました。 ハネマン政権の人選、そして承認式でしょ う。会計監査
を含む市長所信表
明も用意しなければならなかったし、次期会計年度の予算案の作成も三月一日ま
でに提出しなければならなかったでしょう。そして市長の 年頭教書もありましたね。とにかく、この三か
月は資料の収集から分析、調査の毎日 でした。 旧プロジェクトに新しいプロジェクトを継続するか、中
止するかの決断は連 日のようにやって来ました。  プロジェクトによっては、今やってもそれ程のメリッ
トがないものなどは先送りも ある訳ですからね。それに行政は行政当局だけでは前進しません。  市
議会の協力が必要です。 そしてひいては州政府の協力をどう得ていくか。 連邦政府の補助をどうする
か。 四人の国会議員とも連携プレーが必要です。 政治はあらゆる関連機関がいかにス ムースに連
携をとれるかでいかにより良く市民にサービスできるかが決まります。
 
――ホノルル市は多くの課題を抱えています。市長としてはどの課題を最優先します か。 
市長―最優先課題は市の財政健全化です。ホノルル市が現在おかれている財政状態はどのような
状態なのか。市民
一人一人によく理解してもらうことが最優先ですね。ど んなビジネスでも同じです。
例えば若いカップルが結婚します。 二人が共同で家庭を築きあげる義務を背負いま す。金銭的にも
日常の行動にもなんらかの制限が課せられます。 どうしても必要な経費を確保するためには贅沢品
には手が出せない時があります。 その辺の実情を新婚カッ プルは先ず協議するでしょう。 〈ナイス・
トゥ・ハーブ〉は先送りされるケースが多いと思います。 余裕ができたら買いましょうとね。 市行政も
同じなんです。 全く財政的な余裕がないという実情を理解してもらうことが最優先課題です。 
 
――そんな状況にありながら、市長の直予算案は今会計年度より一〇%も多い額が計上されましたね。
どうしてですか?
市長―借金の返済額が増えたのです。その他、公務員給与の増加、運営コストの増加 でどうしても一
割増になってしま
ったのです。それに土木建設予算も五〇%引き上げ る結果になりました。 公道から下
水施設、配管の補修工事は残念ながら、数年も遅れ ているんです。この遅れを取り戻す経費は大きいの
です。 CIP(土木建設予算) の五〇%は下水関連の補修工事費です。下水の老朽化は全島的にひど
い状態です。 私が市長になって三か月ですが、この間に市内で十三か所の下水管が破損しました。
 
――下水処理費の市民負担が倍増するのもその辺にあるのですね。
市長―はい、そうです。最初の年は二五%、その後五年間は毎年一〇%アップと六年間で二倍近くにな
ります。下水管
の補修費もそうですが、下水処理場も実は改善工事 を余儀なくされています。 一九九四
年に連邦政府はホノルル市に全処理場(八か所)の改善を通告して来まし た。シエラクラブ(環境保護グ
ループ)が〈ホノルル市の下水処理は不十分。海水汚 染を続けている〉と訴えた後始末を迫られています。
一応いまは連邦政府からエキゼ ンプション(除外)措置処分を受けていますが、いずれは全てに対応しな
ければなり ません。 下水管の取り替えだけでも十六億ドル。 それに各処理場の改善にはいくらか かるか
分かりません。 (連邦政府は下水処理規制として海洋に放流する処理水は BBD以下としているのです。
 
――そのためには第二処理施設の整備は考えておられるのですか。 
市長―もちろん、考えています。ただハワイの下水問題は他州と異なるんです。ハワ イの下水は生活用水
が主流です。
他州のように産業廃水は下水に含まれていません。  規制のBBD(固体物量)に対応する
必要はないと言われています。産業廃水の場 合と生活廃水では事情が異なり、除外処分も長期に出され
ていると思います。 徐々に各々の処理場も整備しなければいけません。そんな意味で下水処理費の増額
は必要に応じてお願いしているのだと言うことを市民に理解して欲しいのです。
 
――下水管の補修が遅れているとおっしゃいましたが、遅れは取り戻すことができるのでしょうか。
もしできるとしたら、 どの位の期間を予定していますか。
市長―補修費の総額は予測できるのですか。工事期間を予測することは難しいのです。 いつ、どこで、
下水管が破裂す
るか分かりません。 破裂した下水管の工事を優先しますから見当がつかないのです。 
そういった非常事態も考えるとできるだけ多くの余剰 資金を積め立てておきたいというのが当局の本音
でしょう。
 
――その他、道路の穴ぼこの補修、ゴミ問題などもありますが……
市長―そうなんです。たくさんありますが、全ては市民の皆さんが財政難を理解して下さった後の課題です。
もっとも
後の課題の方が結果が一目瞭然ですから絶対にやらなければならない市長 の仕事です。
 
――予算の中で借金返済額は一般会計予算の二〇%を超えますが、どう対応するのですか。
市長―確かに借金の問題は頭が痛い問題です。といって借金ゼロと言う時はほとんど ないでしょう。公共事
業(土木建
設)は永久に続く訳ですから、自治体が実質借金ゼ ロと言うのはほとんど考えられません。また、
市長として、〈今が良ければ〉という 気持もありません。次期政権にはできるだけ身軽な形で政権を引き渡す
べきだと思っています。 自分の子供たちに親の借金の支払いを残したくないですからね。払える時 には払う。
あまり新しい市債券(ボンド)を発行したくありません。  といってボンドは絶対に発行しないと言う訳ではあり
ません。 必要なボンドはこれからも発行しなければなりません。ただボンドを一般会計基金にまわすという策
はと りません。 確かにCIPの五〇%は下水管修復工事の遅れを取り戻すためとしていますが、これも市民が
負担する処理費でいずれは賄えるようになります。その他のプロ ジェクトで千二百八十万ドルの削減をしまし
たが、これらは今どうしても必要だとは思えないプロジェクトです。
 
――チャールス・デジュ市会議員は市政府の運営コストのスリム化を希望していますが。 
市長―もちろんです。ビジョン・チームが要望する〈ナイス・トゥ・ハーブ〉プロジェ クトはしばらくは見送らない
といけないで
しょう。スリム化が可能なセクションの洗 い出しはやりますよ。 でも逆にサービスを向上させな
ければいけないセクションもあ ります。 その辺のバランスをうまく取りながら運営しなければなりません。 
いつも言われるのが許認可申請の煩雑な手続きです。 簡素化にも限度がありますので、殺到する申請審
理をいかにスピード化するかはやはりスタッフを増加するしかな いのです。 申請を早く処理すれば市財政へ
の収入にも繋がるので顧客サービスの向上を実践します。
 
――許認可申請のスピード化は歴代の市長の懸案ですが、その効果が現われていないのではないですか。
市長―私が市長に就任して三か月ですが、すでにいくつかのセクションの改善でスピー ド化の効果は現わ
れています。
九人の新しいスタッフを増員しました。専任の案内係 を常設することにより顧客の無駄な行動
を最小限にとどめることに成功しました。完 全とは言えませんが顧客の評判も良好です。  それにオンライ
ン・サービスも導入しました。 顧客は事前にオンラインで予備申請 を済ませることで手続きは大幅にスピード
化されました。 しかしこれらのサービスを顧客が充分に理解してうまく利用できるまでは多少の時間がかか
るかも知れません。 でも大きな前進を遂げようとしています。
 
――市長に就任されたばかりですが、うまくおやりになれば二期、八年の政権をリードされる可能性があり
ます。  その八年間の短、中、長期計画を教えて下さい。 
市長―短期は百日計画として政権を運営してくれる曲調とスタッフの人選でした。次 の中期計画は市政府
が正常に運
営されるための軌道の設置。 そのための各セクション の整備。その整備により運営コストの把
握をすれば、軌道を真直ぐに推進することです。 無駄遣いを絶対しないという体制を全公務員が心掛けるこ
とを徹底させることです。  さて長期プランですが、ゴミのリサイクリング、ゴミ処理の代替技術の導入。 交
通緩和策としての大衆輸送機関の導入、ダウンタウンのチャイナタウンをアート・セン ターとして再開発。 芸
術伝統文化の維持など手掛ければ終わりのないプロジェクトはたくさんあります。  そんな多彩なプロジェク
トにも、必要なプロジェクトと、あればいいなというプロ ジェクトの選別をしっかりして、優先順位を決め、予算を
有意義に使わなければなりません。  オアフ島の中央に開発したオアフ・セントラル地域公園は、前政権が
一億ドル以上 をかけて造った市民のスポーツ総合公園です。 その維持費は年間二百三十五万ドルかかり
ます。 しかし維持費はどう支払うのか、同公園を利用しての収入はどうするのか、全て先送りされてきました。
そうです。 私が尻拭いする結果になったのです。 前政権の尻拭いが多過ぎるからハネマン政権は大変だと
いわれるのだと思います。  ブレイズデルセンターのレンタル制度も一例です。一日のレンタルは非営利団体
には七百ドル余りで貸し出しています。ところがコストは三千百ドルもかかるのです。 市は、同センターを非営
利団体に貸すと二千四百ドルの赤字なのです。といって非営 利団体に貸したくないというのではありません。
高校の卒業式など大いに使って欲しいのですが、少なくともコストだけでも負担してもらうことになるでしょう。
(同セ ンターの利用料は段階的に引き上げられ三年後にはコストまで引き上げられる案が次 期予算案に包
括されている)
 
――苦しい財政状態におかれていることは分かりましたが、歳入源が少ない市郡政府 はどう切り盛りする
のですか。 
市長―歳入源は少ないですね。だからいかに多くの財源援助を州政府から得られるか が大きな課題として
残ります。 幸
いに今の州議会には大衆輸送機関の導入にやっと真 剣に取り組んでくれています。 当面は
バス路線の拡充と整備に取りかかります。 BRTの勇み足で三千万ドル余りを浪費しました。 その辺の整備
をしないと更に浪費に繋がるでしょう。
 
――軽鉄道の導入にコンセンサスがまとまったようですが、連邦政府の補助金の確保 が困難なのではな
いですか。
市長―補助は得られるのです。 そのための自治体の資金努力が必要なのです。 幸いに 州議会がGE・TAX
(消費税)の
追加課税権を自治体に与える法案を成立させよう と努力しています。年間にすると三億ドルぐらい
になると思いますが、もし同案が成 立しますと軽鉄道導入計画は大きく前進します。  いずれは同計画がオア
フ島の主幹交通機関として必要だと私も考えていますので楽 しみです。
 
――連邦政府の交通機関開発には補助金は出さないと言っているのではないですか。 
市長―出さない訳ではないのです。 地方自治体が運営コストの不足分を賄える体制を整えれば導入費の補
助金はもら
えるのです。 だからGE・TAXの追加課税権による三億ドルが呼び水となるのです。
 
 ――市政の健全な運営のため、すでに中期計画に入っていると思いますが、市民の期待は大きい分、重圧
を感じられると思います。 見事にゴール達成されることを祈っています。
市長―ありがとう、優秀なスタッフに囲まれているのできっと成功すると確信しています。
 
〈インタビューを終えて〉
ホノルル市が抱えている今後の長期的重要課題はゴミと下水問題である。いずれも 市民の衛生に関わる重要
な課題である。 上下水道の整備はあまりにも長期に亘り放置され、指導者は市民に正確な情報開示 を怠って
来た。下水処理費として集めた資金を政府運営費として一般会計に繰り入れ て使った事実は罰金モノである。
いま、そのツケが下水管の破裂続出としてまわって きた。 連邦政府規制から特別に免除され、未処理の下水
を海洋に流しっぱなしである。 それなのに処理場の当事者は危機感を感じていない。 「未処理下水はウルアの
良いエサなんです。 だからハワイのウルアは大きいでしょう」 とはある処理場の幹部の失言。 問題の大きさ、
危機感のなさはトップも同様なのか、心配である。
 
資金を乱用されたと新政権の最優先課題は財政の実態の把握に着手した。市長が言 う百日計画である。 民
間経営コ
ンサルタントとして活躍するポール・ヨナミネ氏(日本プロ野球、読売 巨人軍の戦後最初の日系二世プ
レーヤーとして活躍した、ウォリー・ヨナミネ氏の長 男)に財政監査を委託した。  「ホノルル市の財政の実態を
確認することが最優先とヨナミネ氏のパネルに分析を 急がせました」と市長はパネルの答申を熟読した。 市長
選挙戦当時からくり返して来た〈ナイス・トゥ・ハーブ〉より〈ハーブ・トゥ・ ハーブ〉プロジェクトの実践に着手した。
ビジョン・チームの解体、公園・プールの整備計画などはキャンセルまたは先送りした。 それでも次期会計年度
の予算は今会計年度より一〇%増に膨れ上がった。
 
借金返済 を優先した予算としては当然の結果である。 財政難と言っても不動産評価額は二三% も上がった。
景気も悪くない。 歳入は予想以上に期待できる。 そんな状況下で緊縮財政と言う表現は避けている。 一〇%も
増加した予算では緊縮とは言えない。 しかしハリス前政権が残したゼイタク政策に終止符を打たなければ財政が
続かない。 〈ナイス・トゥ・ハーブ〉計画が施行されるように財政の建て直しに取りかかったハネマン政権という、は
っきりした目標は提唱された。 当分は借金を減らす行政に取り組みながらゴミ、下水、公道整備にも視野を向ける
ハネマン市長。 ラクではないが、やりがいのある時期にホノルル市長に就任したと言えるのではないだろうか。
 
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● ハワイは今:
・オアフ島中古住宅市場堅調
 3月の一戸建て中間価格は55万ドル
住宅販売価格がさらにアップしている、オアフ島の今年三月の中古住宅の中間価格は五十五万ドルで、さらに
記録を更新した。 今年五十万ドルの大台に乗った中古住宅中 間価格は、二月は五十二万五千ドル、三月は
五十五万ドルと上昇している。 一戸建て住宅に比べ、中古コンド価格は二月の二十三万五千ドルが五千ドル
下がり二 十三万ドル。 販売戸数は六百七十七戸(三〇%増)と堅調に伸びた。 一戸建て住宅の 販売戸数も
百七十七戸で二月に比べると四割近く増加した。 不動産協会では市場在庫が少なくなり、銀行金利も今年に
なって〇・五%上がったのだが、売り手市場の傾向は変わらないと好景気を評価している。年内には一戸建て
住宅の中間価格は六十万ドルまで、更に上がると予想している。 「市場物件はいずれも複数のオファーが入っ
ていることから、在庫数の減少に伴い中 間価格は更にアップするだろう」と業界筋は語る。  この三か月間の第
一四半期の一戸建て住宅の販売戸数は九百七十六戸(前年同期比〇・ 七%減) 、中古コンドは千七百七十二
戸(同比九・九%増)で売上額は去年の九億七百万ドルに比べ十一億七千万ドルと二九%増となっている。
(注、中間価格は売れた 価格の上下の中間数値。例えば三月の三百七十七戸の半数百八十八戸は五十五万
ドル以上、あとの半分は五十五万ドル以下という意味。 売上総額を販売戸数で割る平均価格とは異なる)
 
・メディケアの掛金
12%以上アップ?
連邦社会保障局のメディケア・メディケイド部では、来年一月一日から老人医療保険 の月々の掛け金を一二〜
一五%増加する計画を進めている。同部では更に医者に支払 う額の減少も考慮中。〈パートB〉メディケア・プラ
ンに所属するメンバーの月々の掛け金は、現行の七十八ドル二十セントから八十七ドル七十セントと月額で九ド
ル五 十セントの値上げになる。 メディケア・メディケイド部は医療費、医薬品の高騰で健全な運営ができないた
め掛 け金引き上げを余儀なくされたと説明している。 六百万人の全国のメディケア(老人医療保険)、メディケイ
ド(低所得老人保険)の 加入メンバーに適用される。処方箋医療品のメディケア負担分を五〇%増やすことも含
まれるが、AMA(全米医師協会)はメディケア負担分が一年に一・五%の上乗せ では医師たちはクリニックの維
持ができないと、メディケアのメンバーの治療を拒否する動きにある。 「このままでは医者も生活できないと、メデ
ィケイド・メンバーの診察を拒否する医者は増える一方でしょう。 今国会で医師への支払いをコストのアップに応
じる様な立法措置を期待するしかない」とAMA幹部は大幅改善を求めている。 医療コストと薬代の価格高騰に
メディケア・メディケイド部では対応しかねている。 社会保障の年金部門より医療部門の方が早く基金の枯渇を
迎えるという試算が最近に なって公表された。 また、メディケアのプランを補足するサプリメンタル保険に加入で
きる人はともかく、毎年掛け金は上がる、本人負担分は増えるが年金アップだけでは追いつかないとなると、社会
保障年金だけが収入という多くの引退者の生活は益々苦しくなる一方だと、 AARP(全国引退者協会)スポーク
スマンは解説している。
 
・タバコ州税倍増法案成立か?
下院保険委員長は〈禁煙州〉を願望
タバコの州税一箱(二十本入り)一ドル四十セントが二〇〇八年には二ドル六十セン トと倍増される上院法案が
下院で通過しそうである。 成立するとすぐに一箱五ドルの タバコの市販価格は最低六ドル二十セントに跳ね上が
る。 同案によると現行一箱一ドル四十セントの州税は、今年七月一日から一箱一ドル八十 セントに、二〇〇七年
には二ドルに二十セント、二〇〇八年には二ドルに六十セント に。 タバコ一本の州税は七セントから十三セントに
跳ね上がる。 ベイカー上議は、 「タバコ州税は現行税率で全国八番目の高い税率ですが、一本十三セントに引き
上げても上から四番目です。一箱二・五セントの安い州税をかけていたバージニア州(タ バコ生産州)も三十セント
に。 最後までタバコ税の引き上げを拒んできたケンタッキー 州(タバコ生産州)も、一箱二セントを九倍の二十七セ
ントに引き上げました」と、全国的禁煙運動の促進を挙げて、同法案成立を議会で呼びかけた。 同法案に反対す
る共和党のバット・ストンブレィカー下議(ハワイカイ選出)は、 「州税を上げすぎると、ブラック・マーケットが生まれて
きます。 どんな形で進出し てくるか全く検討がつきません。州税の大幅増加は禁煙者に大きな負担をかけている
から、窮余の策でどんなブラック・マーケットが出てくるか心配です。政府は州民の 父兄ではありません。 ここまで
するならタバコ販売禁止法を成立させるべきです」と の主張する。 デニス・アラアキ委員長(下院保険委員会・民)は、
 「禁止令? いいじゃないですか。 タバコ禁止令? 是非実現したいですね」と共和党議員の言葉尻を取り、次は
タバコ禁止令の成立だと気炎を上げている。 同下議は、 二〇一〇年までにハワイ州をタバコのフリー(禁煙)州にし
たいと考えている。
 
・警官を州所得税から免除?
消防士に8.2%の昇給案提示
ハワイ州の警察官の給与の州所得税を免除する法案が、成立に向かって進んでいる。 警察官の給与は米本土
の同様都市に比べ二〇%は低いといわれ、優秀な警官の州外流 出が続いている現状に歯止めをかける対策と
して州所得税免除法案が上院案として通 過、下院も第二議会を通過した。但し下院の労務委員長は、 「免税処
置より、特定控除額を認める処置を法案に付け足した」とカドドウェル委員 長。 同委員長は警官の給与体制は大
幅に改定されないといけないと、次のように述べてい る。  「警官職は生命をかけた危険な職業だ。犯罪者を逮捕、
服役後の報酬を考えると、本人とその家族には休まる時間はないと思う。そんな危険職にしては、本当に少ないと
思う」と法案追加を強く押している。 SHOPO(警察官組合)のマアファラ事務局長も、 「警察官の給与体制は、年
俸三万四千ドルから六万六千ドルで、他都市に比べると二 〇%は低い。 危険手当というが、どの部分が危険手
当なのか分からない。 大幅な昇給があってしかるべきだ」と同案成立を強く希望している。  ハワイ州税務局では、
同案成立は公務費として他の組合と差別することになる。 その ような前例は作るべきではないと反対している。
なお、同案に対し、共和党議員は年功序列、負債に対し、特別控除枠を設ける方式を議案に追加した。
 
・制服警官は防犯に効果的
コミュニティの夜間警備
ホノルル市西郊外、ツリプラー陸軍病院の西に隣接するモアナルア・ヴァレーの住民が集めた金で、同コミュニテ
ィの主要道の夜間警備を制服警官に依頼し、効果があっ たと、来年には定期的に警備をする計画を進めている。
モアナルア谷の住民は一軒家に住む高齢者が多い。同谷での夜盗、強盗は日常茶飯事 のように起き、主要道
路のアラアオラニ街は制限時速が二十五マイルにも関わらず、 夜間は若者達が車を暴走させる。地元住民は警
察に連絡したが、効果的なパトロール はされなかった。 この程、他のコミュニティから金を出せば、制服警官が彼
らの勤務時間外に特別地域のパトロールをしてくれる事例を聞き、アラアオラニ街の沿道の住民が自腹を切って
制服警官を雇用。 夜十時から十二時までのアラアオラニ街のパトロールを依頼した。 それ以降犯罪数も減り、効
果があったとして、資金を集めて警官のパトロールを定期 化することに決めた。 同地区での強盗犯は大胆で、夜
間外出して帰宅する住人を家の前で待って、帰宅した住人から金品を巻き上げるもので、住民達はお手上げの状
態だったようだ。 地元民が資金を集めて、制服警官を雇用してコミュニティをパトロールするという事 例は、十年余
り前から行なわれてきた。 今までワイピオ・ジェントリー、ワイケレ、ロイヤル・クニア、タンタラス、ビレッジ・パーク、
オロマナ、ウェスト・ロックな どで実践されてきた。費用は一時間、三十五ドル(最低二時間)プラス労災保険代五ド
ルを負担すれば、非番の制服警官を雇用できる。
 
・ハワイアン文化センター開発案発表
カカアコ・ウォーター・フロント公園西
ハワイアンをアメリカ先住民と認知するアカカ法案が国会上院本会議にかけられる矢 先、OHA(ハワイアン関係事
務局)は、ハワイアンの文化、伝統、芸能を集約するハ ワイアン文化センターの設立案を四月六日公表した。 ハワ
イアン文化
センターは、カカアコ・ウォーター・フロント公園の西端の海岸に面 した五・二エーカーに一部三階建ての
全館と野外イベント施設を三万二千万ドルの総 工費で開発する。 同案は六日のHCDA(ハワイ・コミュニティー開
発局)の定例会議 にか
けられ、承諾された。 OHAは次の定例会議には、同案のブループリントと運営 プロジェクト
を提出する。 定例会議後、記者会見を開いたナムオOHA事務局長は、「ハワイの主要民族館の開 発はハワイア
ンの夢であった。 カカアコ計画はやっと実現に向けて動き出した」とO HA事務局の恒久的ビルを兼ねる文化セン
ター開発計画の内容を明らかにした。 五・二エーカーの野外施設には、カヌー・ハレ、航海訓練所、地中オープンの
イム、 タロ畑、野外教室、フラ練習場とステージが整備される。 「ハワイアンが自分達の集会所、センターとして誇
れるセンターを完備する」とムナオ事務局長は開発者の好反応に意を強くしている。 総工費三千二百万ドルの中、
州政府は当初五〇%の負担を求めていたが、今年の州議 会は六百万ドルの補助金の供与を約した。 OHAは必
要になれば、ボンド(債券)発行も資金調達方法としている。
 
・ワイキキ水族館から盗まれたエメラルド色に光る珍しい貝、戻る
ワイキキ水族館の西太平洋海洋生物珍種展の目玉珍種として展示されていたエメラルド・グリーンの珍しい殻を持
つジャイアント貝七個が盗まれた。 同展示会は三月十九 日から開催されていたもので、盗まれた貝は絶滅に瀕す
る生物として保護されている もので、同水族館は南太平洋から四十四個を採取し保護して、繁殖させようとしてい
るもの。 盗まれているのを四月六日になってスタッフが発見した。 アンドリュー・ロジター館長は、 「今回の珍種展
は世界でも珍しい絶滅に瀕する海洋生物を、より間近で観賞してもら おうと、簡単な柵だけで仕切った展示場を準
備しました。 それが逆目に出たようです。  残念です」と、珍種展の中断を発表した。 今後は盗難を考慮した展示場
を用意する。 準備期間は少なくとも六週間はかかるという。 盗まれた貝は、最大は二百五十ポンドの大貝に育ち確
かにコレクターのアイテムとし てブラック・マーケットでは一個、五百ドルぐらいで取引されている。 市内のあるペット・
ショップ店主は、「今回の珍種はコレクター間では、大きな額で取引されています。 ただこう公になってからは、市内
で取引する業者はいないのでは ないでしょうか。 私なら水族館に返還します」と盗んだ貝の返還をすすめている。
 「黙って全個数を返してくれれば、起訴しません。 罪には問わないから、とにかく早 く返して欲しい」と、ロジター館
長は、犯人に呼びかけています。 貝が生きていくには特殊な海水を用意しないと死亡するという。 もし有罪となった
場合、禁固刑三年罰 金二十万ドルとなっている。 その後、四月十一日になって、すでに弱っている貝があったがす
べて無事だった、と発表された。
 
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● News Letter from リンダ・リングル州知事:
なんと美しく、エクサイティングな季節なのでしょう!先月、私は第四四二戦闘部 隊組成六十二周年祝賀に参
加し、第一〇〇大隊と第四四二戦闘部隊で出征した兵士の 家族に賞賛の辞を捧げる光栄に浴しました。 これ
らの兵士が州と国に対して尽くした 顕著な功績を高く評価し、合わせて、今現在海外で戦っている兵士達が全
員無事に帰 還するよう祈念しています。 私はまた三月二十八日に、新しく選出された第五十三代桜の女王一
行とホノルル日本青年商業会議所の会員、および、ロス・アンジェルス二世ウイーク一行と北カリフォ ルニア桜
の女王一行にお会いする機会に恵まれました。 これは彼女らが戴冠以後初めて公式の場に姿を見せたもので
した。 これから、皆が各々の地区を代表して、各地を回るに当たり、幸運をお祈りしています。 今州議会の会期
は半分以上を終えたところであり、四月は州議会議事堂でもエクサイティングな時が続いています。今までのとこ
ろ、私は楽観的であります。我が政府が 上程した二〇八件の法案の内、九十件と、法の精神を取り入れて修正
された七十件が議会で審議中であります。 ということは、我々の提案分の八〇%がまだ審議中だということです。   
  
我が政府がこの会期中最も力を入れている問題の一つは、ハワイで最も弱い立場にある人々のことです。 これ
には我々のクプナ(祖父母)が含まれます。  ハワイでは、家族が高齢者の面倒を見るのは、一つの伝統であり、
多くの人々特に、日系社会の方々の文化となっています。歳老いた人達は若い世代の助けに依存しています。
ですから、その介護の負担はこれらの人達の家族に掛かっています。ハワイの人達は他州の人達より長寿を享
受しており、ハワイの高齢人口が他州のそれより速いスピードで増加しています。したがって、質が高く、皆が利
用可能な長期介護の必要性がますます高まっています。 高齢化が進む社会での介護は、個人、社会、政府をふ
くめた皆の責任だと信じています。 その意味で、ハワイ日本文化センターが、「お陰様で:ハワイの日系社会にお
ける挑戦、犠牲、満足」と題する討論会で、これらの問題に問い掛けたのを見て、非常に嬉しく思いました。
 
政府側では、長期介護保険の費用を含む、高齢者介護に掛かる費用の負担を軽減するための法案を数多く上程
しました。長期介護保険を掛ける人々に対する、一千ドルまでの税額控除を提案しました。この控除は、家族の中
の親族をカバーする保険を掛ける個人に適用されます。また、従業員のために長期介護保険を掛ける雇用主に対
する税額控除も提案しました。 高齢者介護の費用を軽減させるために我が政府が採ったもう一つの重要な措置は、
二〇〇四年七月に始めたハワイプラスと呼ばれる全州的なプログラムです。このプログラムは、処方箋薬をカバー
する保険を掛けていない人、あるいは、処方箋薬の付保額を使い切ってしまった人で、所得が多すぎてメディケイド
に不適格な人に対して、 割引価格の薬品を提供するものです。 もしこの資格があれば、メディケアの下でカバーさ
れているすべての処方箋薬につい て、一〇%から二〇%の割引を受けられます。 現在、州は二〇%から四〇%
の割引を得られるよう製薬会社と交渉中です。
もし、ご興味があるならば、www.hawaiirxplus.com で詳細な説明が
得られます。
 
これらの重要な提案とプログラムに資金を供給し、これらを上手く調整する所存であ ります。 これらはハワイのすべ
ての
市民を真に助けるものと信じています。 有難うございました。
 
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● 四分の三世紀を生きてきて ---  平井 喜平
七十五歳になる
昭和五年(一九三〇年)六月に生まれたので、この六月で満七十五歳になる。四分の 三世紀を生きてきたことに
なる。 日中戦争、太平洋戦争と戦時に過ごした少年時代、 戦後の食糧難の時代を経験した青年時代、高度成長
の波にもまれて、国の内外で働き詰めだった壮年時代。 そして、一九九八年にシティ銀行を退職、長かったサラリ
ーマン生活に終わりを告げて、マイペースで生活しているこの頃。そう頑健な体でもないのに大病もせず、大怪我も
せず、致命的な事故にも遭わず、良くここまで生き延びてきたものだ。一つの節目を迎えるに当たり、我が人生を振
り返り、今の心境を若干綴って見たいと思う。
 
戦中戦後の青少年時代
東京の杉並区に生まれて、小学校に入る前、しばらく近くの幼稚園に通っていた。玉成幼 稚園という名前で、園長
先生はアルウインという米国からきた白髪のおばあさんだった。 幼稚園には数名の若い女性の先生がいて、遊戯
をしたり、童話を聞かせてくれたりしてい た。そして、時折、園長先生が出て来て、優しい眼で我々を見守っていた。
今振り返ると、 この先生の微笑が当時の平和だった時代のシンボルのように思い出される。
 
しかし、この平和な時代は直ぐに終わり、私が小学校に入学した昭和十二年 (一九三七年)に日中戦争(支那事変)
が始まった。 これが昭和十六年(一 九四一年)真珠湾 攻撃から太平洋戦争(大東亜戦争)に発展、昭和二十年 (
一九四五年)の終戦まで八年の長きにわたる戦争が続いた。 この間、人的・ 物的資源は最大限戦争目的に向けら
れ、「銃後」の国民は物不足の生活を強い られていた。 この時代の標語の一つに「欲しがりません、勝つまでは」と
いう のがあった。 これが当時の生活を端的に表していると思う。
 
度重なる空襲の結果、終戦後も日本経済は疲弊していて、昭和二十五年(一九五〇年) の朝鮮戦争による特需景
気が
起こり、経済再建の途につくまで、同じような物不足の時代が続いていた。
 
当時の我が家の中を思い出してみよう。両親と兄弟五人が住んでいた家の作りは、八畳、六畳(洋館)、四畳半(居
間)
、三畳に台所、トイレ、押入れなどが付いている典型的な中流サラリーマンの住家だった。 水道は無くて、手押し
式のポンプが台所に 一台。風呂を立てる日には、良く水汲みを手伝った。下水道も無くて、トイレは汲み 取り式。 た
だガスは来ていて、台所に料理用のガス・コンロが二台あった。 時計は、 一週間に一度ぜんまいを巻く、居間の柱
時計が一つと親父の腕時計だけ。 目覚まし時計があった記憶は無い。 ラジオは真空管式の雑音が多いのが一台。
傘も家族の人数分
しかなく、夕方急に雨が降り出すと、西荻窪の駅まで、妹を連れて、父の傘を持って、 迎えにいっ
たものだ。
 
外を見ると、住宅街にあった我が家の前の道は舗装されておらず、砂利が敷いてあっ た。 所々に弱い光の外灯が
あっ
た。 車がほとんど通らないので、近所の子供たちが大勢出て来て、メンコ、縄飛び、石蹴り、かくれんぼ、鬼ご
っこ、竹馬などで暗くなる まで遊んでいた。 後年、シンガポール駐在中、良くインドネシアに出張したが、ジャ カル
タ郊外の住宅街の泥道で子供が大勢遊んでいるのを見て、ふと、少年時代を思い出したことがある。
 
北側の表通りの五日市通りは舗装がしてあった。 ここでは、バスやトラックに混じっ て、牛が御者を載せた荷車をノ
ロノロ
引いている姿を始終見かけた。 当時はまだ牛車が荷物の運搬に大きな役割を果たしていたのであろう。 南
側の水道通りはまだ舗装さ れていなくて、車も少なく、草がぼうぼう生えていた。 晴れた朝、父に連れられてそこま
で散歩に来ると、西の方に富士山がはっきり見えた。 それほど空気が澄んでいた。
 
また、住んでいた所には、杉並区の名称通り、各所に杉林あった。 春になると杉花粉 が至る所で舞っていて、その
中を
皆で遊んでいた。 しかし、今流行の花粉症なるもの は、罹った人もいなかったし、聞いたことも無かった。 当時
は物は無かったけれど、綺麗な自然があった。 しかし、今となっては、コンピュー タを頂点とする便利な各種電子機
器や家電製品を返上して、このような昔の生活には帰られないし、帰りたいとも思わない。
 
高度成長期を生きた壮年時代
その後、カナダ、バンクーバー市のブリティッシュ・コロンビア大学留学を経て、東京教育大学を卒業、昭和二十九年
(一九五四年)三井銀行に入行した。 銀行では国際部門、海外支店で働きたいという希望が叶えられて、すぐ外国
営業部に配属となった。 民間貿易が始まっていて、取引が日に日に増えたが、若手で英語の書類を取り扱える者が
少なく、人手不足で、毎晩遅くまで働いていた。
 
しかし、その内、調査部で、英文月報を発行することとなり、私と英文タイピスト一人が外国営業部から転勤となった。
文月報の編集に加えて、経済論文を書いていた。 この間、財界の調査機関といわれた日本経済調査協議会に出
向、主任研究員として 「円の国際的地位」という報告書の執筆にも参加した。 また、社長のかばんを持って、東南ア
ジア諸国へ一回、イランとヨーロッパ諸国へ一回出張した。 しかし、調査部の勤務は時間的には余裕があった。 ここ
で働いている間に、結婚、子供が二人出来た。
 
大学時代、新聞部に属していたように、ものを書くのが好きで、調査部の仕事も自分に向いていると思い始めた。 し
し、英文月報の発行が軌道に乗ると、再び国際部門 に戻された。 昭和四十二年(一九六七年)ニューヨーク支店
へ転勤を命じられた。 そ して、これが日本と海外との間を三、四年毎に家族揃って引越しをする生活のきっか けとな
った。 その後昭和五十八年(一九八三年)までの間、ニューヨーク→東京→ト ロント→東京→ロスアンジェルス→サン
フランシスコ→東京→シンガポールと旅がらすの生活が続いた。
 
私が先に任地へ行き、半年後にワイフが引越し荷物をまとめ、子供を引き連れて、任地へ来る。 特に、最初ニューヨ
ーク
へ行った時には、初めて一人で運送屋さんを指揮 して荷物を送り出し、小学生の長男と幼稚園児の次男を連れ
て、空路海外へ旅立った時は相当苦労したようだ。 その後の度重なる引越しの経験から、「私は海外引越しの 専門
家」と自称するようになったほどだった。 行員の中には、海外で働きたいと希望 していながら、奥さんや子供が病弱
だったり、海外生活になじまなかったりして、一 回の勤務でその希望が絶たれてしまう人もいた。 そういう意味では、
良く子供を育て、 心身共に健康で、ここまで協力して来たワイフの内助の功に心の中で感謝している。 もっとも、この
頃は、二人の間の会話はご他聞に漏れず、「めし、風呂、寝る」の三語でほとんど間に合うようになってしまったが...。
 
シティ銀行へ、そして今は
昭和五十八年(一九八三年)シンガポールから国際部に転勤となり、帰国。五十五歳 の定年が近づいていたので、
近々銀行の子会社か取引先に就職口を斡旋してくれるの だろうと思っていた。 結婚した時建てた家が相当傷ん
で来ていた。 これからは日本に住むのだから、ということで三井ホームに立て直して貰った。
 
ところが、ある日シティ銀行への出向を命じられた。そして昭和六十年(一九八五年) 七月に同行に着任した。そし
て、
平成十年(一九九八年)まで、十三年間勤務した。 最初は上席副頭取国際部長の役を命じられたが、直ぐに
首席副頭取に昇格、もっぱら ジェームス森田会長の対日関係の補佐役を勤めてきた。
 
引き続き担当していた日系取引先との折衝に加えて、日本から頻繁に会長宛て訪れる お客の近況報告作成、接
待の
お供、会長が年に一、二回米本土か日本に出張する時の下準備とお供などが主な仕事だった。 森田会長は
私のそれまでの銀行経験を買って、 重用して下さり、秘書が優秀で、優しい人柄の人だったので、シティ銀行は、
働き易 く、働き甲斐のある職場だった。
 
シティ銀行から退職する時期が近づいた時、引退後何をして暮らそうかと考えた。 サラリーマンではなく、フリーラン
サー
として働きたいと思った。 その結果、今までの 経験を生かして、独立の翻訳の仕事をしようと決心した。 それ
には、コンピュータを駆使出来なければというので、カピオラニ・コミュニティ・カレッジのコンピュー タの講習会に通っ
た。 この時学んだコンピュータの基礎知識が今大いに役立っている。 その他に、頼まれて、一、二の会社の非常
勤役員なども勤めている。
 
また、今まで世間の皆様のお陰でここまで生きて来られたのだから、これからは少しでも社会に恩返しをしたいと思っ
いた。 ちょうどその頃、ハワイ日本文化センターで、翻訳ボランティアを求めているので、という誘いがあり、以来、
毎週金曜日の午後、センターへ翻訳の仕事に出掛けている。 主な仕事は、移民史関係の資料や外部か ら頼まれ
る戸籍謄本などの翻訳である。 加えて、最近は時折ハワイ陸軍博物館から頼まれて、ボランティアとして、旧日本軍
の兵士が残した手記や軍旗上の寄せ書きなどの翻訳とその持ち主探しの手伝いもしている。
 
稼ぐにしても、ボランティアにしても、心身共に健康であることがその前提だ。 ボケてしまったり、病床に臥していたり
して
いるのでは何も出来ない。かかりつけのお医者さんに聞いたら、歩くのが一番だ、という。 ゴルフか文化センター
に行かない日は、 毎日一万歩を目標に歩いている。 歩いていると脳も活性化されるのか、色々良いアイ ディアが浮
かんでくる。 哲学者カントが散歩中に生み出した高邁な思想にはその足元にもおよばない。 しかし、たとえば、文章
を書いていて、適切な単語や言い回しが出てこない時、歩いていると、うまいアイディアがひょっと閃く。
 
健康補助食品は別として、薬はなるべく飲まないようにしている。 かかりつけの内科医、歯医者、目医者など健診の
に西洋医学のお世話になっているし、西洋医学も大切なことは十分認識している。 しかし、私は東洋医学(漢方)
の方を重視している。 西洋医学では、たとえば、頭痛、肩こり、下痢などの症状に対しては、それぞれの症状に対す
る薬を処方してくれる。 言うなれば、体を頭、肩、胃などという部品の集まりとみて、具合の悪い部分を治そうという考
えかたである。 それに薬は強ければ強いほど副作用を伴う。 これに対して、東洋医学では体を一つの有機体と見て
、体内の血流、経路、つぼなどを重視している。 たとえば、頭が痛い時、鎮痛剤を飲むのではな く、つぼに対する指
圧などで、血の流れを良くして、痛みを取る。 それに、このような療法には副作用が無いのも有り難い。
 
最後に、七十四歳で亡くなった孔子様は次のように述べておられる。 「私は十五歳で 学問に志し、三十になって独立
た立場を持ち、四十になってあれこれ迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉をすなおに聞
かれ、七〇になると思 うままに振舞って、それで道をはずれないようになった。」(岩波文庫「論語」) 私 はまだ迷うし
、天命とは何か判らず、人の言葉に時折逆らい、思うままに振舞ったら何をしでかすか判らない小人だ。 孔子様の享
年を超えた今、もう一度「論語」をゆっ くり読み直して、その教えを学び返して見たいと思っている。 その内聖人君子の
端くれみたいになれるか? 乞ご期待。
 
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● ニーマン・マーカスにアメリカの著名デザイナー スー・ウォングが来店
高級スペシャリティーストアと知られる〈ニーマンマーカス〉は世界のトップブラ ンドや最新ファッションをいち早く紹介
しているが、この三月にも米本土で活躍するスー・ウォングとシンシア・ステーフの二人のデザイナーとメークアップ
アーティス ト、ローラ・マーシャーが、〈ニーマンマーカス〉アラモアナ店に来店し、ハワイの顧客に直接接し、それぞ
れの魅力をアピールした。
 
三月二十九日に来店したスー・ウォングさんのドレスは二階のレディス・ギャラリー ・コレクションにあるが、フェミニン
で繊
細なデザイン、レースや刺繍と高度なクラ フトマンシップが細部に施されているドレスで、全米だけでなく世界的
に人気を博し ている。 この日はウォングさんの作品のプライベート・ファッションショーが行われ、カジュアルなものか
らイブニングドレスまでが次々と紹介され、観客はスー・ウォング・ワー ルドに酔った。
 
ウォングさんは今回の来布で、ハワイのナルシスフェスティバルの候補者にスー・ ウォング・デザインのイブニングドレ
を寄付した。 中国生まれだが、子供の時に両親と共に移民でアメリカに渡り、ロサンゼルスで育つ。 この日のスー
・ウォングさんの装いは黒シルクの袖の広がった東洋的トップとあちらこちらに丸アプリケットが施されたロングスカート
という中国服をイメージさせるデザインだったが、ウォングさんがデザインするドレスはご本人が着ている服とイ メージ
が異なる。
 
「私のデザインは典型的なスー・ウォングの世界です。ご覧になってわかるように チャイナドレスではありません。 私
の生
まれ故郷の中国文化の影響を受けているかというとイエス、またノウと言えます。 私のデザインは魅惑的でノス
タルジーを感じさせるものです。
 
一九二〇〜三〇年代のヴィクトリアスタイルの影響を強く受けています。 私が東洋人なので東洋にこだわっていると
われがちですがそうではありません。 ただ私は東洋の文化のバックグラウンドを持っていることに感謝し、その良
さは作品に反映していると思っています」とウォングさん。 今ではアメリカ以外にも世界各地の高級デパートでウォン
グさんのドレスを扱っているという。 成功した理由の一つに、女性らしさを表現できるデザインと共に、価格 の手頃感
が受けている。
 
手頃な価格で販売できるのは製造をウォングさんの故国でもある中国で作っていることがあげられる。 もちろん仕立
ての
確かさから見ると、大量生産で作れる品質でない。 高い技術を持った職人を確保しているからこそ実現できると
ウォングさんは自信を持っている。 日本でも次第に知られるようになったそうで、既に何度も日本へ行っているウォン
グさん。 日本の若い女性にも支持を受けているようで、ニーマンマーカス・アラモアナ店でも、日本人の若い女性が
パーティードレスのためによく買っているという。
 
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バックナンバー:2005年 4月15日